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「どこまで行ったかと思ったら、こんな所にいたのか。
さぁ、早く戻ってレッスンを始めるんだ、優羽!」
須田さんの強い口調に思わず後ずさったわたしの前に立ったのは、彪斗くんだった。
「おい、今なんて言った?
あんた、誰の許可を得て、コイツ連れていくつもりなの」
「…彪斗…!?」
須田さんと雪矢さんは、顔を見合わせて、一瞬眉をひそめた。
さっきとは違って、少し媚びるような態度になると、須田さんが答えた。
「ひさしぶりだな彪斗。実はこの子は俺が見つけた歌手の卵なんだ。
これから売り出そうと磨いていくつもりなんだ」
「へぇ。でもこいつ、歌手やりたくないって言ってるけど?」
「き、来たばかりで戸惑っているだけだ。な、そうだろ、優羽」
急に優しい声色になって縋るように見てきた須田さんだけど、わたしは彪斗くんの陰に隠れるように顔をそむけた。
「どうせまた汚い手使ったんだろ。あんたたちっていつもそうだよな。
でも、もう遅いよ。たった今から、こいつは俺のもんになったから」
「なんだと」
「人のもんに勝手に手ぇつけて言いと思ってんの?
この俺のものに」
「くっ…」
「彪斗」
ひるむ須田さんの横から、ずっと黙っていた雪矢さんが、口調を強くして割り込んできた。
「おまえ、横暴もいい加減にしたらどうだ」
「はぁ?」
「そうやって、ちょっといいと思った子にすぐ手を付けて、好き勝手に遊ぶのはやめろ」
遊ぶ…?
わたしは彪斗くんを見上げた。
綺麗な顔は、涼しげな表情を変えずに雪矢さんを見つめ返している。
そういえば、朝は玲奈さんのことでも言われてたな…。
やっぱり…彪斗くんって、そういう人、なのかな…。
「どうせその子もすぐに飽きて捨ててしまうんだろ?
おまえの勝手にその子を巻き込みたくない。おとなしく」
「捨てねぇよ、ばぁか」
涼しげな表情を変えないまま、
けど、断固とした強い口調で、彪斗くんは言った。
「こいつは絶対に捨てねぇ。死ぬまで俺のもんだ」
この言葉には、さすがの雪矢さんも驚いたみたいだった。
余裕溢れる王子様のような顔が、唇を引き結んで焦るような表情を浮かべた。
けど、すぐにふっと笑うと、またあの穏やかな顔でわたしを見つめた。
「優羽ちゃん。こいつを信じちゃだめだよ。
きっと、たくさん泣かされる。
俺は、君の泣き顔よりも…明るく笑った可愛い笑顔が見たいよ。
だって、まだ見せてくれなかったしね」
「……」
「ま、わかったよ。今日はこれで諦めるよ。
でも、お父さんの気持ち、忘れちゃだめだよ?」
「……」
「気が変わったらいつでも俺を頼って。待ってるから」
そうやさしく言うと、雪矢さんは須田さんに振り返った。
「ということです。ここは、押してだめなら引いてみろ、で。いったん引き下がりましょう」
須田さんはしぶっていたが、仕方がない、とぼやいて雪矢さんと踵を返した。
くる
けど、しばらく歩いて、雪矢さんだけがわたしに振り返ると、
にこり
って、微笑を浮かべて、去っていった。
白いシャツと綺麗なサラサラな髪が校舎の奥に消えていくのを見ながら、わたしはちょっと、そのどこか寂しげに見えた微笑に罪悪感を感じる。
申し訳ないことをしたかな…。
わたしが臆病なばっかりに…。
せっかく、わたしのことを認めて、お世話をしてくれるって言っているのに…。
「翻弄されんなよ」
けど、そんなわたしに、ぴしゃりと冷たい声が降ってきた。
「『あれ』こそあいつの『手』なんだ。アホみたいに絆されて、変な気持ちになってんじゃねぇよ」
そうなの…?
見上げると、彪斗くんがぐいっと強引にわたしを抱き寄せた。
「俺以外のヤツ見るんじゃねぇよ、ばか」
「ご…ごめんなさい…」
ものすごいこわい顔で見下ろされて、思わず謝ったけど…。
もう…どうして謝らなきゃならないの…。
「ま、なんにせよ、取りあえずこれで良かったんだろ。歌手になるつもりないんだから」
「はい…」
その通りだ。
どうなるかと思ったけど、彪斗くんが上手くカバーしてくれて、なんとかしのげた。
彪斗くんがいなかったら、間違いなくわたし、連れていかれてたな…。
「よかったな。汚ぇ大人たちの餌食にならなくて」
「ありがとう…」
湧き起こってきた感謝の気持ちを、精一杯の勇気をもって素直に伝えた。
「べつに」
すると、彪斗くんは急に顔を真っ赤にさせて、わたしから視線をはずした
あれ。
なんだかヘンなの。
彪斗くんって、こういう顔もするんだな。
ドキドキ…。
不思議と高鳴りだした心臓の鼓動に気づきながら、わたしはふと思ってみる。
もしかして、彪斗くんはわたしを守ろうとしてくれているのかな。
無理強いするふりをして、わたしを須田さんたちから引き離そうとしてくれているのかな…。
ほんとはすごく、やさしいのかな…。
「おい。ところで返事は?」
「…え」
「俺のものになる、って返事」
「え、そんなすぐには決められ」
「はい、は?」
「ええ…」
「はい、は!?」
って…撤回だよ…
やっぱり、彪斗くんは威張りん坊…!
でも、突き離せなかった。
黒髪からのぞく、色っぽい目に惹きこまれるように、
こくん…
ってうなづいてしまった。
「よし、いいこ」
すると、彪斗くんは子どものように、くしゃっと笑った。
「今日からおまえは俺のものな。
俺の言うことはなんでもきくし、俺の好きなようにされるんだぞ」
「そんな…それじゃあドレイだよ…」
「問答無用。知らねぇのか?ここじゃ俺に逆らうやつなんていねぇんだぞ。
俺の言うことは絶対。おまえの自由も権利も、ぜーんぶ俺のもの」
ぜーんぶ、な…
そうつぶやいた彪斗くんの指が、わたしの唇にふれた…。
なぞるようにそっと動く。
くすぐったさと、
きゅるきゅるとする胸の甘い痛みに、
わたしは息を忘れる。
ニッと彪斗くんが笑った。
「おまえ、すぐ震えるんだな」
「え…」
「ほんと、小鳥みてぇ…」
綺麗な顔が近づいてくる…
ドキドキ
胸が痛くなって、ぎゅっと目をつぶった。
ひぁ…
耳たぶに、ほんの一瞬、柔らかい感触を感じた。
と思ったら、低くて色っぽい声が、そのすぐそばで震えた。
「仕方ないから今日はこれで許してやる。
けど、ここじゃ俺が王様。
おまえは俺からは絶対に逃げられない」
解かったか、小鳥。
そう言い聞かせるように言われて、やっと解放された。
なぜだか脚の力が抜けて、へなりと崩れそうになったのを、
ぱしっと手をつかまれた。
「おっと。腰抜かしてる暇はねぇぞ。
おまえ、メガネとヘアゴムはどうしたんだよ」
「え…あ…!
忘れてきちゃった…」
雪矢さんに取られたまま、部屋に置きっぱなしにしていたんだ。
どうしよう…。
取りに戻るわけにもいかないし…。
「ったく、なにからなにまでどんくせぇな。
しかたねぇな、こいよ」
言うや否や、彪斗くんはわたしの手を引いて、スタスタ歩き出した。
「ど、どこいくの…??」
「決まってんだろ。
今からおまえをブスに戻すんだよ」