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「……シルヴィア様?」
ドアノブに手をかける寸前、何者かに呼び止められる。声がした方向へ目線をやると、数人の使用人が怪訝そうな表情でこちらを見ていた。彼らの手には箒やはたきなどの掃除用具が握られている。声をかけてきたのはその集団の先頭にいた女だ。見覚えのある顔……そうだ、こいつは王妃付きの侍女ではないか。名前は確かロザリー・モラン。
「そちらの客室は現在ジェムラート家のクレハ様がお使いになっておられます。殿下の近衛隊の一員である貴女には別棟に個室があてがわれているはずですが……」
王妃の側使えがなぜ今、侍女を引き連れて迎賓棟にいるんだ。面倒くさい奴と鉢合わせた。レオン様に報告でもされたら厄介だ。どうにか怪しまれないようにやり過ごすしかない。
「そんなの知ってるよ。私はその公女様に会いに来たんだからね」
「クレハ様に……?」
「そう。久しぶりに王宮に来たから、ヴィーはまだ公女様に挨拶できてないんだもん。他の隊員はみんな会ってるっていうのに……」
王宮に来るのが久しぶりというのも、公女に会えていないというのも本当。挨拶に来たというのは嘘だけど。
理由を聞いた侍女連中は合点がいったらしく表情を緩めた。ロザリーの眉間に寄っていた皺も薄くなる。無邪気な顔で拙い喋りをするだけで簡単に信じてくれるのだから助かる。
「左様でございましたか。残念ですが、クレハ様はレオン殿下と共にご実家へ帰省しておられます。遅れて王宮にいらっしゃったシルヴィア様には連絡が行き届いていなかったようですね」
「ええっ!! そうなんだ。せっかく来たのにー……」
レオン様から直接聞いたから公女がいないことなんて知ってる。不在なのを承知で来たっていうのに……ああ、面倒くさい。
ロザリーこそ何をしに来たというのだ。公女の部屋を掃除するだけならその辺の使用人どもに任せればいいものを……王妃の側使えがわざわざ出しゃばる必要はないだろう。
「えっと……ロザリーさんはどうしてここへ? 公女様いないんでしょ。あっ、だからみんなで大掃除するのかな」
「掃除も行いますが……クレハ様の新しいお部屋の準備が整いましたので、本日から荷物の移動を開始するのですよ。私は王妃殿下にその指揮を取るよう命じられました」
「部屋の変更? もしかして公女様がこんな部屋は嫌だーってワガママ言ったとか」
「ク、クレハ様はそのようなことを仰る方ではっ……」
ロザリーの後ろにいた侍女のひとりが会話に割り込んで来た。なんだコイツ。軽く睨んでやると、びくりと肩を震わせロザリーの影に隠れた。こんなのでビビるなら最初から口挟まなきゃいいのに。
薄くなっていたロザリーの眉間の皺が再び峡谷のように深くなっていく。この程度の軽口にみんなムキになっちゃってさ。公女に気を使い過ぎじゃない?
「クレハ様のお部屋の移動は王妃殿下がお決めになったことです。本来ならもっと早くに行う予定でしたが、様々な理由が重なり延期になっていただけでございます」
「ここのお部屋だって充分広くて綺麗なのにー。お客様をおもてなしするのになんの不足もないと思うけど」
「王妃殿下はクレハ様を『お客様』として扱ってはおられませんから。レオン殿下の婚約者でいずれ王家の一員になられるお方……既にご自身の娘のように可愛がっておられるのですよ。新しいお部屋も王妃殿下の向かいですしね」
ロザリーは聞いてもいないのに公女がいかに王妃に大切にされているかを熱弁してくる。牽制のつもりなのか。うざいなぁ。全体的にどうでもいい内容だけど、公女の新しい部屋が王妃の向かいというのだけは聞き逃せなかった。
王妃の部屋がある区域は『とまり木』の人間でも許可無く立ち入ることができない。このまま移動が行われてしまったら、公女の部屋に侵入するのが困難になる。まして持ち物を調べるなんて不可能だ。
レオン様が付きっきりになっているのは腹立だしいが、公女が部屋を空けている今がチャンスだった。更に公女の護衛としてくっ付いているバカ兄弟……レナードとルイスが両方とも不在なのも都合が良かったのに。
あの兄弟は私寄りの思考をしていると思っていたが、とんだ見込み違いだったな。愚かにも公女に懐柔されてすっかり腑抜けているそうだ。不甲斐ない……やはり他の隊員はあてにならない。レオン様のことを真に理解しているのは私しかいない。あんなくだらないことで足止めされてなるものか。
「お部屋の移動……ヴィーも手伝ってあげるよ。人手は多い方がいいでしょ?」
掃除を手伝うふりをして公女の部屋を調べればいい。ここにいるのはたかが侍女数人。レナードとルイスがいないのならどうとでもなる。
「せっかくのお申し出ですが、移動は我々のみで行います。気にかけて頂きありがとうございます」
「遠慮しなくていいよー。今お仕事入ってないからヴィー暇だし」
「いいえ。ご厚意だけありがたく頂戴致します」
ロザリーは私を部屋にいれるのを拒んでいる。態度は低姿勢だが警戒心を隠しきれていない。公女の部屋だから慎重になっているだけか……それとも、誰かに命令されているのか。
「人数多い方が早く終わるじゃん。せっかく手伝ってあげるって言ってるのに……もう、いいよ」
思わぬ伏兵だ。まさか王妃の侍女に邪魔されるなんて。
好意を無下にされて拗ねた子供を演じると、ロザリーが僅かにたじろいだ気がする。こちらを警戒してはいるものの、完全に突き放してもいないようだ。やはり誰かの命令に従っているだけか……
どのみち今日は公女の部屋に入るのは無理そう。これ以上粘ると不信感を助長させるだけになり逆効果だ。仕方ない。別の方法を考えよう。
「ロザリーさんのわからず屋!!」
控えめに捨て台詞を吐いて、私は公女の部屋から走り去ったのだった。