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眠狂四郎
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眠狂四郎
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#戦国時代
眠狂四郎
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#戦国時代
眠狂四郎
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バルカは、わずか数騎の兵に守られながら戦場を落ちていった。
その行方を追って、ラエリウスは四方へ探索の兵を放った。
街道を封鎖し、港を見張り、近隣の村々にも兵を走らせる。
常勝無敗の魔人を、今度こそ逃がすまいと。
数日後――。
スピリタスは一人、街外れのスラムにいた。
崩れかけた家々が並ぶ、薄汚れた路地。
その一角にある粗末な家の扉を開ける。
中は暗かった。
小さな窓から差し込むわずかな光の中、部屋の中央に一人の男が座っている。
男はスピリタスを見ると、驚くでもなく口を開いた。
「誰かと思えば、お前か」
バルカだった。
アルペスを越え、幾度となくグラン軍を打ち破り、
その名だけで人々を震え上がらせた男。
スピリタスは何も言わず、持ってきた酒瓶を男の目の前に置いた。
バルカはそれを無造作につかむと、栓を抜いた。
二つの杯に酒を注ぐ。
「飲むか」
「いただきます」
スピリタスは向かいに腰を下ろした。
二人はしばらく黙って酒を飲んだ。
常勝無敗。
魔人。
怪物。
これまで、いくつもの呼び名で恐れられてきた男。
だが今、目の前にいるバルカは――。
少し、疲れていた。
やがてバルカが口を開いた。
「努力家だな、お前」
スピリタスは杯を傾けながら答える。
「そう言われます」
「まあ、俺は天才だが」
「そうですね」
バルカは小さく笑った。
そして、しばらく杯の中の酒を眺めていたが、やがて静かに言った。
「俺はな」
その声から、先ほどまでの軽さが消えた。
「お前たちが勝手に起こした内戦で、俺たちの国を巻き込み――」
バルカの指が、杯を握りしめる。
「あまつさえ、何も知らぬ幼き女王を死に追いやったことが」
「どうしても許せなかった」
スピリタスは何も答えなかった。
ただ、静かに目を閉じた。
もし――。
自分が逆の立場だったなら。
祖国を戦争に巻き込まれ。
守るべき者を奪われ。
怒りと憎しみだけを抱えて生きることになったなら。
自分にもできただろうか。
アルペスを越え。
何万、何十万という兵を動かし。
いくつもの国を巻き込み。
世界そのものを敵に回してでも、復讐を遂げようとすることが。
分からなかった。
正しいとは思わない。
だが――理解できないとも言えなかった。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
スピリタスは杯に残った酒を飲み干した。
そして、ふと思いついたように口を開く。
「バルカ将軍」
「なんだ」
「史上最強の軍略家って、誰だと思いますか」
バルカが眉を上げた。
「……なんだ、急に」
「いや、聞いてみたくて。」
バルカは呆れたようにスピリタスを見る。
それから酒を一口飲み、少し考えた。
「一位は東の果てを見たイスカンダー大王だな」
「奴は世界を征服した。戦場で敗れたこともない。一位は奴だ」
「では、二位は?」
「教えてやらん」
スピリタスは少し身を乗り出した。
「では、三位は?」
バルカは当然のように答えた。
「俺だ」
「自分なんですね」
「当たり前だ」
スピリタスは思わず笑った。
「私に負けたのに?」
「だから三位なんだ」
「なるほど」
スピリタスは自分の杯に酒を注いだ。
「では――」
杯を持ち上げる。
「先日、あなたが私に勝っていたら?」
バルカの手が止まった。
しばらくスピリタスを見つめる。
やがて、その口元に笑みが浮かんだ。
「文句なく俺が一位だ」
スピリタスは目を丸くした。
そして、堪えきれず吹き出した。
「本当に自信家ですね」
バルカも笑った。
「天才だからな」
薄暗い部屋に、二人の笑い声が響いた。
一人は、かつて世界を震え上がらせた常勝無敗の魔人。
もう一人は、その背中を追い続け、ついに彼を打ち破った若き将軍。
「本当に――」
バルカは杯を眺めながら、ぽつりと言った。
「あと少しだったのだ」
スピリタスは黙って聞いていた。
「グランは今や、ぼろぼろの家だ」
バルカは酒を口に含む。
「柱は腐り、壁にはひびが入り、屋根には穴が開いている」
そして、自嘲するように笑った。
「あと一度――」
杯を傾ける。
「ドアを足で蹴破れば、そのまま倒れるくらい」
それは負け惜しみではなかった。
スピリタスには分かっていた。
グランは勝った。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
幾万もの兵を失った。
いくつもの街が焼かれた。
田畑は荒れ、国庫は底をつき、数え切れぬほどの人間が家族を失った。
本当に――あと少しだったのだ。
もし、どこかで一つでも歯車が違っていたなら。
今日、この場所に座っていたのは自分だったかもしれない。
スピリタスは立ち上がった。
そして懐へ手を入れる。
取り出したのは、小さな瓶だった。
それを静かに置いた。
バルカは瓶を見る。
何が入っているのか、尋ねることはなかった。
スピリタスも説明しなかった。
「半刻、待ちます」
「そうか」
バルカは小さく笑った。
「ありがとな」
スピリタスは一礼した。
そして、振り返ることなく部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静寂が戻った。
バルカは一人、座っていた。
空になりかけた酒瓶。
二つの杯。
そして――小さな瓶。
バルカはそれを手に取った。
栓を抜く。
酒の残った杯へ、中身を注いだ。
ゆっくりとかき混ぜる。
「あと少し、か」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
アルペスを越えた。
トレビで破った。
トラシムで屠った。
カンナルでは、グランそのものを滅亡の淵まで追い込んだ。
それでも――。
届かなかった。
バルカはしばらく杯を見つめていた。
やがて、ふっと笑った。
「まあ、いい」
杯を持ち上げる。
「最後くらい――」
常勝無敗の魔人は、誰もいない部屋で笑った。
「グランの重荷を取り去ってやるか」
そして。
毒の混じった酒を、一気に煽った。
杯が卓上へ置かれる。
カタン――。
小さな音が、薄暗い部屋に響いた。
コメント
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第92話、読み終えました。スピリタスとバルカ、二人きりの酒の場。静かなのに、ものすごく熱い会話が交わされて、胸がぎゅっとなりました。特に「あと少しだった」ってバルカがぽつりとこぼすところ、そして最期に毒の酒を自らあおる選択…。あの「ありがとな」の一言に、将軍としての矜持と、二人の間に流れた不思議な信頼が全部詰まってる気がしました。本当に、いい話でした。