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宿屋でルナールが一方的に思いを遂げ、クイネ夫婦も濃厚な話し合いがなされたであろう夜の翌日。
案の定、柊也には昨夜の記憶がまるで無く、ルナールが事前に額の上にのせてくれた冷たいタオルを押さえながら彼は朝を迎えた。
「おはようございます、トウヤ様」
ぼんやりと天井を見ている柊也に向かい、ルナールが小声で朝の挨拶をする。ハイペースで飲ませたうえに激しい運動を強要させてしまったので、きっと柊也は二日酔いだろうという配慮からだ。
「おはよぉ……ルナールゥ。あー……ヤバイ、完全に二日酔いだわぁ」
目は閉じられたままで開ける気配は無い。ガンガンと響く様な酷い頭痛という訳では無いのだが、元気なフリをして動くのは無理そうだった。
「ならば、食堂でシジミのお味噌汁でも作ってもらってきましょうか?」
「おぉ……そんないい物あるの?」
「はい。この間メニューで見かけたので大丈夫ですよ」
飛ばされて来たこの異世界が、実は自分の世界の“並行世界”であるという点を柊也は改めて実感した。食べ慣れた物がある事のなんと素晴らしい事か。二日酔いの体には尚更だ。
「頼みますっ」
体を起こす事なく、柊也が顔の前で手をパンッと拝むように合わせた。
「了解です。では早速行って来ますね」
「はーい……」
柊也は、ルナールに聞こえるか聞こえないかくらいの微妙なボリュームで返事をした。
頭が微妙に痛い。背中も脚も、不思議な事にお尻さえも。何処もかしこも何故か痛い。柊也は理由が全く思い出せないのだが、お酒を飲んだせいなんだろうなぁ……という事だけは見当がついた。
「またなんかやっちゃったのかなぁ……」
青くて綺麗な甘いワインを飲んだ事までは覚えているが、その後の事はサッパリだ。
「……ルナールに迷惑かけてないといいけど」
今日はまた解呪作業があるので早く体調をどうにかせねばならないが、一番気になるのはやはりルナールの事だ。迷惑をかけて、呆れられては旅の先行きが一気に不安なものになるので、ルナールの機嫌が気になってしょうがない。だけど先程の雰囲気だと、不機嫌どころかむしろとても機嫌が良さそうな感じだったので、『今は頭痛に対し逆ギレしながら味噌汁を待っているだけでもいいかなぁ……』と柊也は思った。
「お待たせしました、トウヤ様」
十五分程経った後。ルナールが部屋に戻って来た。味噌汁のいい香りが部屋を満たし、早く寄越せと胃が訴える。優しくて美味しそうな磯の香りに釣られ、柊也がゆっくり体をベッドから起こした。
ルナールは手にトレーを持っており、上には食堂の方が作ってくれたシジミのお味噌汁と、鮭を崩したものをまぶしたお粥がのせてある。ルナール的には口付けの一つでもして二日酔いを治してあげたいところなのだが、柊也の味を深く知ってしまった後ではそのまま押し倒してしまいそうな気がして、まだ朝なのでグッと堪えた。……夜だったなら、勢い任せに癒す以外の事も追加して色々とやらかしていただろうが、それらの欲望は全て爽やかな笑顔で隠す。
「ありがとぉ、ルナール」
頭に響かぬ様スローテンポで礼を言い、柊也がベッドから降りて椅子に座る。目の前に並べられたお味噌汁とお粥を前に「いただきまぁす」と言うと、彼はゆっくり朝御飯を食べ始めた。
「ルナールは今日も食べないの?」
「すみません、先程少し摘んできたので」
「そっかぁ……ルナールは小食だねぇ」
「まぁ、そうかもしれませんね」
適当にお茶を濁し、ルナールは出発の準備を始める。予想通り、昨夜の記憶が全く無さそうな柊也の食事をする姿を横目に見ながらルナールは、感慨深い瞬間を覚えていて欲しかったような、忘れてくれてありがたいような……ちょっと複雑な気分だった。
食事や着替えなどを終え、柊也は白衣の袖に腕を通しながら「よし」と気合を入れる。気分はもうテレビで見たお医者さんだったのだが、すぐ我に返り『流石に調子に乗り過ぎだわ』とつっこんだ。
「体調はもう大丈夫ですか?」
「うん、頭痛の方はもう平気だよ。もともと激痛ってほどじゃなかったしね。でも体はあちこち痛いかなぁ。プロレスごっこでもやった後みたいだわ。……昨日の夜って、まさか僕、暴れたりでもした?」
「まさか!トウヤ様は至って——ゴホッ」
昨夜の痴態を思い出し、ニヤけそうになるのをルナールは咳で誤魔化した。
「『至って』、何?」
「…………お酒を飲んで、あとは寝てましたよ」
あながち間違いでは無い。無いが……『寝る』違いだ。
「そっか、じゃあきっと寝違えたんだね」
ぐぅと体を伸ばし、柊也が軽く体をほぐす。ちょっとお尻も痛いのが妙に気になるのだが、思い出せないものは仕方ないかと、気持ちを切り替えた。
病院で医者の真似事をしながらの解呪はこれで三日目となったのだが、ルナールの予想通り老人達の分が終わったおかげで順調に作業は進んでいった。というか、もう銀のブレスレッドを外した時点で、金の鈴付きブレスレットを使わずとも院内の解呪が一気に出来る様になっていたので、病院に人が来るまでの待ち時間の方が長かったくらいだ。
アイク村長は「まとめて解呪されてはお疲れになるのでは?魔力や体力の方は大丈夫ですかな?」と相変わらす柊也の体調を心配していたが、彼は『僕にはそもそも魔力なんか無いよー。一気に解呪出来るだけ力ついたんだよー』などと説明をし出すと逆に追加説明で話が長くなりそうなので「若いんで!」の一言で適当に流した。
なので、シャスピエール・ラマノーゾ・ランヴァイル・テンティイシオ……以下略の村人達の解呪完了は目前だ。
「もう後は、来ていない人の所に直接行って解呪してしまう方がいいかもしれないね。まぁ、一気にまとめてやっちゃうのが一番早いんだけど、もう今更それも『出来る』って言い難いしなぁ」
「そうですね。来院者の名前は全てメモしてあるので、まだ来ていない人の住所を訊いてみますか」
柊也がルナールに淹れてもらった緑茶を飲みながら二人でそんな事を話していると、クイネが「こんにちは!」と言いながら診察室に入って来た。
「丁度いいタイミングで丁度いい人が来た!」
クイネの顔を見た瞬間、柊也が叫んだ。
「——お付き合い、ありがとうございました」
夕陽を背にしながら柊也はそう言うと、クイネに向かい頭を下げた。訪問医療で村の中を周り、村民を知り尽くしているクイネのおかげで残っていた全ての解呪が終わったからだ。
各御宅を回る前に『やはり金の鈴を鳴らしては?』とルナールに言われたのだが、『いいや。ここまで医者っぽい振る舞いをしたのだし、もう突き通すよ。こんな経験二度と無いだろうしね』と柊也が言った為、徒歩で全てやり遂げた。
「いえいえー、お役に立てて何よりですよ」
ニコニコとした素晴らしい笑顔でクイネが返す。昨夜はやっと奥さんとよろしくやれたので、すっかりご機嫌だ。
「これで明日にはもう、此処を出発する事が出来ますよ」
「それは何よりですけど、ちょっと寂しくもなりますねぇ……」
「僕もですよ。のんびりとした空気感が素敵な村ですからね、いつまでも居たくなりますもん」
夕焼けに染まる空を見上げ、空を飛ぶ白いカモメを柊也が目で追った。風が吹くと潮の匂いがして心地いい。
「そうだトウヤ様、今夜は一緒に御飯を食べませんか?シュキュウとの仲を取り持ってくれたお礼に」
引っ掻き回しただけで、『取り持った』とは到底思えなかったのだが、仲良く出来るようになったのは良い事だ。
「お、その様子だと上手い具合に話がまとまったんですね」
「えぇ、おかげさまで」
後頭部を軽くかき、クイネが照れ臭そうに笑った。
「……まさか監禁して強制解決した訳では無いでしょうね」
不信感たっぷりの顔で、ルナールが訊く。
「いえ、そんな!最終手段にはいきなり手出ししませんよ!ちゃんと話し合って、無事に全て綺麗にまとまりましたからご安心を。調教に近い事くらいはしましたが、まぁライトなものですので」
ぽっと顔を赤くし、クイネが頰を両手で隠した。
「……わぁ」
(最悪監禁する気はあるのですね⁈しかも、ちょ、調教とか……シュキュウさん大丈夫かな……)
柊也はそう思ったが、戦慄くばかりで言葉が出ない。
「まぁ、それならばいいのですが。程々にしてあげて下さいね、あんな健気な方を不幸にしたら呪いますよ」
冷気を漂わせながらルナールに言われ、クイネが背筋を正した。
(え?いいの?良い要素は、どこ⁈)
柊也がギョッとし、ルナールを見上げる。『監禁』やら『調教』やらがルナールには許容範囲に入るという事を知り、ちょっと寒々としたものが柊也の背中を走った。
「幸せにしてあげますので、そんなに心配しないでいいですよ。なので、シュキュウの作る御飯を一緒に食べましょう?きっと奥さんの顔を見たら、お二人の心配なんか吹っ飛びますから」
胸を張り、自信満々にクイネが断言する。
「さぁ、行きましょう!トウヤ様」
「じゃあ、遠慮なくお邪魔させて頂きます。——いいよね?ルナール」
「トウヤ様がそうしたいのならば」
ルナールが頷き、柊也の手を取る。三人は和気藹々とした雰囲気でクイネの家に向かい歩き出した。
呪いよりもちょっと厄介な夫婦問題に軽く巻き込まれはしたものの、この村での仕事も一段落して柊也は御満悦の様子だ。 ルナールはルナールで、柊也と濃厚な一夜を過ごせた事で朝からずっと機嫌がいい。
柊也の【純なる子】としての力も増したので、これからの解呪作業は、今回みたいに何かの役を演じるような目にさえ遭わなければ、きっとスムーズに進むだろう。
この村での最期の夜は心配事も無く楽しくすごせそうだなと、それぞれが思いながら夕日の綺麗な田舎道をのんびり歩いて行ったのだった。
一方その頃。
ルプス王国の城下町から遠く離れた北方にあるエゾ地方で、一人の人間がソファーに横たわり、退屈そうに脚をゆっくりバタバタとさせている。
「マヒロ様、お願いです!明日こそは、王都まで共に行っては頂けませんか?」
両手を祈るみたいに組み、懇願する真っ白い司祭服に身を包んだ猫に似た獣人の声が質素な神殿内に響く。
「もーさぁ……ボクの条件呑んでくれたらってぇ、何度も言ってるよね?」
この世界の風景が描かれた本をパラパラと捲り、『マヒロ』と呼ばれた人間が面倒くさそうにそう告げると、司祭服の男の姿を横目に見ながら『またかよ!』と言いたげに舌打ちをした。
「そ、それは何度もお聞きしていますが、マヒロ様のお力があれば、即座にこの世界が救えるのです!ワイバーンに乗れば、王都まで半日で到着出来ますから!」
「い・や・だ。ボクは高所恐怖症ですぅ」
「ですが、陸路では……流石に……」
この地方から王都へ行こうと思うと、ほぼ陸路のみでは時間がかかり過ぎる。途中絶対に船にも乗らねばならず、あまりに遠い。移動は皆空路一択なので、司祭服の男がオロオロとした。
「諦めて下さーい。こちらの条件を飲まないと、ボクは……何だっけ?【純なる子】だっけ?そんな奴として働くのは、絶対にお断りですぅー」
ソファーの上で頬杖をつき、マヒロは再び視線を画集に向けた。
「くっ……。この地方全域を降臨と同時に一瞬で解呪したそのお力を、早く国王様にお知らせしたいのに……。——だぁぁぁぁっ!マヒロ様がこの様な状態では、【純なる子】の二人目が現れたとすら報告出来ないっ!」
ガクッと膝が崩れ、大声で叫ぶ司祭服の男が本気で泣き出した。
「むふふん、いいねぇ、いいねぇ。君の泣いてる顔、すんごく可愛いぞぉ」
ニタリと笑い、マヒロが泣き出した男の顔に見惚れた。
「おやめください!自らその御心の清さをを濁すのは!」
「んな事言われてもさぁ、知らないよ。コレがボクですからねん」
「す、凄まじい程の素質はあるのに……くっ」
司祭服の男はボソッと呟くと、口元を押さえてこれ以上泣くのを必至に堪える。
彼らにとっての『異世界』から飛ばされて来た二人目となる【純なる子】は『柊也』とは違って、少々難ありの者だったようだ。