テラーノベル
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青く澄み渡る空の下、白い帆が大きく風を孕んでいた。
帆布は陽光を受けてやわらかく輝き、まるで空そのものを切り取ったように眩しい。
風は一定のリズムで海を渡り、船体を押し出す。
きしむ木の音と、帆がはためく乾いた響きが重なり、静かな力強さを生んでいた。
船はゆっくりと、しかし確かな意志を持って進む。
波は船首で砕け、白い飛沫となって左右に分かれ、後方には長い航跡が残る。
それはまるで、この船が通ってきた時間そのものを刻みつけるかのようだった。
見上げれば、果てのない空。
見渡せば、どこまでも続く海。
その狭間を、一隻の帆船が、未来へと向かって進んでいた。
その美しさは、あまりにも整いすぎていた。
――まるで、誰かが作った景色のように。
青く澄み渡る空の下、白い帆が大きく風を孕んでいた。
帆船は海を切り裂くように進み、その先に、ひとつの旗が揺れている。
「親分、見えました」
「東エンドア株式会社の旗です」
少年は舵輪の横で目を細めた。
風を読むように、遠くの帆影を見据える。
「おっし、やるで~」
「皆の衆、用意はいいか!」
甲板にざわめきが走る。
縄を握る者、弓矢を肩にかける者、刃を抜く者。
だが、その中で一人だけ、妙に軽い声が返る。
「でも親分、本当にいいんですか」
「エスカリオ国旗も上がっていますよ」
少年は肩をすくめ、懐から古びた王冠を取り出した。
それを指先でくるくると回す。
「前に話したろ」
「俺、リチャードからあの国もらったんだよ」
笑っている。まるで冗談みたいに。
だが、その目だけは笑っていない。
「だからあの国のものは俺のもんだ」
王冠は、陽を受けて鈍く光る。
「5・4・3・2・1」
一瞬、風が止まったように感じた。
「いけー!」
その声と同時に、帆船はさらに速度を上げ、
一直線に敵船へと突っ込んでいく。
14歳にして「親分」と呼ばれる少年――カルド。
爵位を持つ彼をこう呼ぶ者もいる
バロン・カルド、と。
彼が乗る船の名は、デッセゼニー(初代)。
ここはエウロピア大陸から少し離れた地、エイシア。
王と商人と、そして嘘と金が交錯する海域。
――この物語の舞台は、しばしここへ移ることになります。
エイシア大陸は、
この時代、香辛料、絹、茶・陶磁器、
香料、染料、薬品、宝石、綿、砂糖など、
あらゆる富の源泉であり、
エウロピア大陸列強が、こぞって進出した土地でございました。
中でもこの地エンドアには、
エスカリオ王国が早くから設立した
東エンドア株式会社が存在いたします。
ではここで私、サイラス・イシスが、
その歴史をご説明いたしましょう。
エスカリオ王国はエイシア航路を発見すると、
香辛料の直接貿易に成功し、莫大な利益を得るようになります。
やがて国王の勅許により
東エンドア株式会社が設立され、
香辛料と絹の独占貿易権が与えられました。
エンドア沿岸に最初の商館が築かれると、
瞬く間に現地勢力との「同盟」――
いえ、支配が始まります。
その後、同社は私兵組織を保有し、
「護衛」の名目のもとに軍隊化していきました。
香辛料の価格を操作し、
ついにはエウロピア市場すら実質的に支配。
さらに現地王族の内紛に介入し、
傀儡政権を樹立いたします。
反乱を起こした港は、一夜で焼かれた。
翌朝、その灰の上に、新しい商館が建てられた。
エンドアの主要港はすべて掌握され、
関税と通貨発行の権限までもが奪われました。
社員数は三千を超え、
競合する商会はことごとく排除。
――もはやそれは、
国家に比類する勢力であったと言えましょう。
そして――
この東エンドア株式会社は、
たった三人の男によって、作られたのです。
「本国で国王が変わってから一年……何か来てるか?」
現地視察から戻った
ウォーレン・ヘースティングズは、
書類を投げるように机に置いた。
ジョブ・チャーノックは肩をすくめる。
「ああ、“なんだかんだ理由をつけて金を送れ”だとさ」
「まったく……あの連中ときたら」
「領地にへばりついてるだけのくせに、
金だけは欲しがる」
「働かざる者、食うべからず――ってな」
ヘースティングズは鼻で笑った。
「それでも役には立つ」
「ここでのことを――もみ消してくれる」
「違いない」
そのとき、隣の部屋から怒鳴り声が響いた。
「バロンだかバイカウントだか知らんが!
そんな話を儂のところへ持ってくるな!」
「ですが……しかし……」
「我が東エンドア株式会社に喧嘩を売るような奴は、
沈めてやればいい。それだけだろう!」
「今月で三隻目です!
現地の水夫たちも怯えて――」
「……儂が出るしかないというのか」
扉の向こうで、低く唸るような声。
ロバート・クライヴだった。
「バロン、だと……?」
「――金で買ったか、血で奪ったか」
「どちらにせよ、気に入らんな」
吐き捨てるように呟く。
その声には、
嘲りとも、怒りともつかぬ色が混じっていた。
――己と同じ“爵位”を名乗る者への、
露骨な嫌悪だった。
「……名は?」
「カルド、と」
カルドはボズワースの戦場を、
泥にまみれながら逃げ出した。
振り返ることは、ついに一度もなかった。
港へ戻り、船を出す。
それが、彼の“国”との別れだった。
やがて
ヘンリー・テューダーは王位につき、
テューダー朝は華々しく幕を開ける。
――だが、それはカルドには関係のない話だった。
後年、彼はこう語る。
「もうな、何もかも嫌になってたんだ」
「仲間と海に出ようって思った。
こんな国、どうでもいいってな」
少し笑って、酒をあおる。
「それでエイシアに行くことにした」
「なんたって――お宝の山だからな」
一拍。
「……でもな」
グラスを指でなぞりながら、カルドは続けた。
「そこは天国じゃなかった」
視線だけが、遠くに落ちる。
「商売ってやつがな」
「きれいな布をかぶってるだけで」
静かに言い切る。
「――中身は地獄だった」
「あいつらは笑って奪うんだ」
夜明け前、海はまだ青ではなく、鈍い銀色をしていた。
やがて東の空がほどけるように明るみはじめると、水平線の向こうから、ゆっくりと光が滲んでくる。
その光に照らされて、海の色が変わった。
濃い藍から、透き通るような青へ。
そして波の先だけが、金を溶かしたように輝きだす。
やがて、陸が見えた。
白い砂浜が、長く、どこまでも続いている。
その背後には、濃い緑が壁のように立ち上がり、風に揺れていた。
見たこともない形の木々が、陽を受けて鈍く光る。
葉の一枚一枚が、異国の匂いを含んでいるようだった。
潮の香りに混じって、甘い匂いが流れてくる。
花なのか、香料なのか、それとも果実か。
鼻に残るその香りは、どこか現実離れしていて、夢の中にいるようだった。
波は穏やかで、まるで船を拒まない。
むしろ――歓迎しているかのように、静かに寄せては返している。
「……なんだ、ここは」
誰かが呟いた。
港にはすでに船が集まっていた。
帆の形も、色も、国も違う船が、
まるで吸い寄せられるようにこの海に集まっている。
人の声が遠くから響く。
笑い声。怒号。取引の声。
それでも、すべてがどこか柔らかく、豊かで、
この場所だけは世界の争いから切り離されているように見えた。
カルドは目を細めた。
「……いい場所だな」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
ただ、海の向こうに捨ててきたすべてを、
一瞬だけ忘れさせるには、十分すぎる光景だった。
――まるで、ここが天国であるかのように。
「ここに――カルド商会を立てよう。」
希望に満ちた声だった。
船を港に入れ、
カルドはそのまま市場へ足を向けた。
人であふれている。
色とりどりの布、香辛料の匂い、
聞き慣れない言葉が飛び交う。
――確かに、にぎわっている。
だが。
「……何か違うな」
ざわめきの中に、妙な“濁り”があった。
その時だった。
小さな影が、果物をひったくって走り出す。
「待て!」
すぐに捕まった。
店主が、こん棒を振り上げる。
「やめろよ」
カルドが割って入った。
「子どもだろ。いくらだ?」
舌打ちしながら、店主が値を言う。
カルドは無造作に銭を投げた。
子どもは一瞬だけカルドを見て、
すぐに人混みの中へ消えた。
「……こればっかりは、世界共通か」
小さく呟く。
飢えた奴は盗む。
盗めば殴られる。
どこへ行っても同じだ。
カルドは周囲を見回し、
一人の男を呼び止めた。
「おい、お前。案内できるか」
男はすぐに笑顔を作る。
「もちろんでございます」
その目を見て、カルドもわずかに笑った。
「……まあ、そうだよな」
手の中で、銅貨を二枚、転がす。
「向こうから近づいてくる奴なんて」
軽く放る。
「ろくな奴いないのも――世界共通か」
「……でも、それでいい」
男がそれを受け取り、頭を下げる。
カルドはその背中を見ながら、ゆっくり歩き出した。
市場は相変わらず、にぎわっている。
だがその奥で、何が動いているのか。
もう、見え始めていた。
男は、よくしゃべる男だった。
マルコス、とか言ったか。
歩きながら、聞いてもいないことまで、ぺらぺらと話し続ける。
「この町は綿花が有名でしてね」
「畑も広いし、工場もあります」
「全部まとめて仕切ってるのが――」
男は、少し声を潜めた。
「“東エンドア株式会社”でございます」
カルドは、わずかに眉を動かした。
「……ああ」
聞いたことがある。
本国でも、何度か耳にした名だ。
でかい。
金の匂いがする名前だ。
カルドは、何気なく空を見上げた。
「儲けてるんだろうな」
その言葉に、男は笑った。
「ええ、そりゃあもう」
「この町の空気は、あの会社でできてるようなもんです」
カルドは、少しだけ口元をゆがめた。
「……へえ」
一瞬の沈黙。
「じゃあ」
軽い調子で言う。
「挨拶くらいはしておくか」
男がぎょっとする。
「え?」
「でかい顔してるやつには、一応な」
カルドは肩をすくめた。
「礼儀ってやつだろ」
だがその目は、笑っていなかった。
「あまり関わらない方が……」
マルコスの声が、わずかに震えた。
「あそこは、ちょっと……」
言葉を選んでいる。
「普通の商売じゃありませんので」
カルドは何も言わず、
銀貨を一枚、指の上で弾いた。
軽い音を立てて、それは宙を回る。
マルコスの目が、その軌跡を追った。
ぱし、と手のひらに収まる。
「……ここだけの話ですが」
マルコスは声を落とす。
「あまり深入りしない方がいい」
一歩、近づく。
「お客さん、海賊か何かでしょう」
カルドは、わずかに笑った。
否定しない。
「彼らは――」
マルコスは周囲を気にしてから、さらに声を潜めた。
「軍隊も、警察も持っています」
「捕まる前に、ここを離れた方が……」
言い終わる前に、
カルドの右手が動いた。
くい、と指を曲げる。
呼ぶような仕草。
その指の間には、もう一枚の銀貨。
「……」
マルコスの喉が鳴る。
カルドは、柔らかく笑った。
「工場とかに、案内してくれ」
まるで、散歩の行き先を決めるような口調だった。
「……正気ですか」
マルコスが呟く。
カルドは答えない。
ただ、銀貨を軽く放った。
「案内料だ」
短く言う。
「足りなきゃ、あとで払う」
その言葉に、マルコスはしばらく動かなかった。
やがて――
ゆっくりと、その銀貨を握りしめる。
「……わかりました」
声は、もう震えていなかった。
いや。
震えるのを、やめただけだった。
カルドは満足そうにうなずいた。
「いいね」
そして一言。
「話が早い」
工場の前には、男たちが立っていた。
守衛――というより、兵士に近い。
腕を組み、無言でこちらを見ている。
その視線には、明らかな“拒絶”があった。
マルコスが一歩前に出る。
何かしゃべって
言い終わる前に、男のひとりが手を上げた。
通す気はない、という合図だった。
マルコスが、ちらりと振り返る。
カルドと目が合う。
何も言わない。
ただ、ほんのわずかに、顎で示す。
カルドは、ため息のように笑った。
指の間で、銀貨を一枚弾く。
それを、軽く放る。
マルコスが受け取り、守衛に握らせた。
一瞬の沈黙。
やがて、男が横にずれる。
道が開いた。
「……なるほどな」
カルドが小さく呟く。
門をくぐると、空気が変わった。
外の喧騒が、急に遠くなる。
中から、一人の男が歩いてくる。
背筋が伸びている。
服も、ここにいる連中の中では明らかに上等だ。
「リシャブと申します」
流れるような言葉だった。
「ご案内いたしましょう」
その目は笑っていたが、
どこか測るような光を帯びていた。
カルドは、その視線を受け止める。
「頼む」
短く答えた。
リシャブは一礼し、背を向ける。
そのまま歩き出した。
カルドは一歩遅れてついていく。
――この先にあるものが、何であれ。
もう、引き返す気はなかった。
建物に入った瞬間、空気が変わった。
重い。
湿っている。
熱がこもり、外の風はまったく入ってこない。
「……なんだ、ここ」
カルドは思わず顔をしかめた。
奥から、絶え間ない音が響いてくる。
カタン、カタン、カタン。
単調で、乾いた音。
それがいくつも重なり、逃げ場のない壁のようになっている。
中へ進むと、その正体が見えた。
織機だった。
細い糸が幾重にも張られ、
その間を木の枠が往復している。
人が、それを動かしていた。
痩せた男が、腰を落とし、足で踏み、手で引き、
一定のリズムで機械を操っている。
カタン。
糸が打ち込まれる。
カタン。
また一本、布が生まれる。
その動きに、迷いはない。
いや――迷う余地がない。
止まれば、遅れれば、
すぐに横から声が飛んだ。
「手を止めるな!」
振り返ると、太った男が立っていた。
腕を組み、目だけで全体を見渡している。
その足元には、まだ巻き取られていない布が積まれていた。
白く、美しく、滑らかで――
外で見たあの“宝”そのものだった。
カルドは一枚、指で触れた。
「……すげえな」
思わず漏れた言葉。
その瞬間、背後で小さな音がした。
振り向くと、子どもが糸をほどいていた。
細い指で、絡まった糸をほどいている。
指先は傷だらけだった。
血が乾いて、黒くなっている。
それでも、手は止まらない。
「おい」
カルドが声をかけると、子どもは顔を上げた。
何も言わない。
ただ、見ている。
その目には、感情がなかった。
「……いくらだ」
カルドは、隣の男に聞いた。
「こいつらか?」
男は鼻で笑った。
「安いもんだ」
「飯と、ちょっとの銭。
逃げられねえように借りも背負わせてる」
「働けば働くほど、借りは増える」
「いい仕組みだろ?」
カルドは黙った。
カルドの体の中で何かがはじけた
「……なるほどな」
静かに言う。
「これが、“儲かる商売”か」
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