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カタン、カタン、カタン。
音が、頭に張り付く。
「うちはエスカリオ国王ヘンリー様も名をつらねる
いわゆるお墨付きの会社だ」
男は笑っていた。
カルドは、何も言わなかった。
ただ、子どもの手を見ていた。
細い指。
裂けた皮膚。
乾いた血。
それでも、動いている。
そして怯え、震えてる
カタン。
「……おい」
カルドは、静かに言った。
「なんだ?」
次の瞬間だった。
拳が、男の顔にめり込んだ。
カルドは、この時のことをこう話す。
「俺も若かったな。反省してる。
これからは、みんなに迷惑はかけねえ」
周りは、苦笑した。
「国を出てから、むしゃくしゃしてたんだよ。
ビーチで青い海見ながら、
酒飲んでていいのかなってな」
少しだけ間を置く。
「でさ……ヘンリーの名前を聞いた瞬間、
思い出したんだ」
視線が、遠くを見る。
「俺はリチャードから、
“立派な王になれ”って言われてたんだってな」
鈍い音。
男の体が横に吹き飛び、
積まれた布の上に崩れ落ちる。
織機の音が、一瞬だけ乱れた。
「な、何しやがる!」
ざわめき。
カルドは、ゆっくり拳を下ろす。
「……どおりで、
阿漕で品のねえ商会だと思ったぜ」
それだけだった。
「人を道具みてえに使いやがって」
男が血を吐きながら叫ぶ。
「当たり前だろうが!
金になるから使うんだ!」
カルドの目が、わずかに細くなる。
「……そうか」
一歩、近づく。
襟をつかむ。
「じゃあ、お前もだな」
ぐっと引き寄せる。
「いくらだ?」
「な、なんだと……」
一瞬だけ、笑う。
だが、その目は笑っていない。
「いくら払えば、
お前を踏んずけていいんだ?」
突き放す。
男の体が床に転がる。
カタン、カタン、カタン。
織機の音は、すぐに元に戻る。
誰も止めない。
誰も、変わらない。
カルドは振り返りもせず、歩き出す。
「逃げるぞ」
「……逃げるんですか?」
剣に手をかけていた二人は、あっけにとられる。
カルドは肩越しに、少しだけ笑った。
「欲しいもん買うときってよ、
一回決めてから――もう一回、店内回るだろ」
足を止めない。
「“また来る”ってな」
逃げて港に戻ると、
「なんであっしまで逃げにゃならんのですか」
マルコスだった。
「まあ運命だ。乗れ」
出港。
やがて、沖に出たところで見張りが叫ぶ。
「追っ手です!」
帆を張ったまま、一直線に迫ってくる。
「何隻だ?」
「二隻!」
「船の名は?」
「……エドワード号だそうです」
一瞬、間。
カルドは、目を細めた。
「……見逃してやれ」
「もう一隻は?」
「ヘンリー号です」
カルドは、即答した。
「沈めろ」
「……名前で決めてるんですか?」
「そうだよ」
肩をすくめる。
「いいだろ。嫌いなんだから」
部下が苦笑する。
だが、誰も反論しない。
カルドは海を見たまま、ぽつりと言った。
「今日はむしゃくしゃしてる」
「名前ってのはな、便利なんだよ。
殺す理由になる」
少しだけ間。
「――あの船、沈めるぞ」
「了解」
やれやれ、という顔。
それでも誰一人逆らわず、支度が始まる。
「ほんと、むしゃくしゃしてただけなんだ」
カルドは、どこか他人事のように言った。
「ただ一隻、沈めただけだ」
少しだけ、間。
「ほんと、それだけだった」
誰も口を挟まない。
「でもな」
視線が、遠くへ流れる。
「今思えば、あれが始まりだったんだろうな」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「エンドアの国ごと巻き込んだ――
でかい反乱のな」
沈黙。
カルドは、そこで言葉を切った。
しばらくして、ぽつりと。
「……楽しかったんだけどな」
顔を上げる。
思いっきり、笑っていた。
カルドはヘンリー号を拿捕すると、
船員たちを海に放り込み、船に火をかけた。
エドワード号は、すでに逃げていた。
燃え上がる帆。
きしむ船体。
夜の海に、炎が揺れる。
カルドは甲板に腰を下ろし、
その光景をぼんやりと眺めていた。
「――カルド商会に乾杯!」
誰かが笑う。
酒瓶が打ち鳴らされる。
炎が、夜を赤く染めていく。
その炎を、陸から見ている男が二人いた。
ナーナー・サーヒブと
ターティヤー・トーペー。
しばらく無言で見つめる。
やがて、顔を見合わせた。
同じことを考えていた。
「……ここ何年も、東エンドア会社の船が
焼かれたことなんてない」
トーペーが低く言う。
ナーナーは、炎から目を離さずに答えた。
「だとすると――」
一瞬の間。
「いったい、誰が」
炎は、なおも燃え続けていた。
炎の向こうから、さらに二隻の船影が現れた。
夜の海を裂くように近づいてくるその船は、やがて味方の旗を翻した。
二番艦《デッセゼニー》、三番艦《ホワイトボアー》。
艦を預かるのは、若き航海士ネルソンと、老獪な私掠船乗りドレイクだった。
エンドア周辺の偵察に出していた船である。
二隻は焼け落ちる船の明かりを目印に、カルド艦隊へと合流した。
エスカリオの港を出たカルド艦隊は、わずか三隻、総勢百名。
兵の多くは農民あがりか、没落しかけた下級貴族の子弟だった。
だが、皆若かった。
最年長でも二十二。
負け癖のついた老兵はいない。
若い連中のいいところは、失うものが少ないことだ。
そして、奪える未来だけは山ほどあることだった。
あるのは、行き場のない怒りと、向こう見ずな野心ばかりだった。
カルドは脱出の混乱の中で、もともとリチャードが建造させていた艦と、
戦争のために集められていた傭兵たちを丸ごとかすめ取った。
いや、かすめ取ったというより――口説き落とした、というほうが近い。
王は死んだ。
ならば、次に賭ける相手を選べ。
そう言って、若い兵たちを船に乗せたのだ。
さらに書類を偽装し、残っていた軍資金も処分した。
のちに港へ踏み込んだ役人たちは、
「リチャードの金は戦争ですでにほとんど尽きていた」
と判断するほかなかった。
領地も財産も、大きなところはヘンリーに接収された。
カルドにも一応、横領と逃亡の罪はかかった。
だが、しょせんは身分の低い小僧の仕業。
新政権にとっては、わざわざ追うほどの獲物ではなかった。
カルドは一度、目を伏せた。
炎の揺らぎが、その顔を赤く染めている。
「……成り行きだ」
ぽつりとそう言ってから、顔を上げた。
「悪かったな」
誰に向けた謝罪か、自分でも分かっていないような声だった。
だが、次の瞬間には、もう別人のように言い切る。
「カルド商会を立ち上げる」
一拍、置く。
「――だがその前に、あの町から東エンドア株式会社の連中を追い出す」
甲板に、ざわめきが走る。
「親分……」
ドレイクが低く言った。
「相手は従業員三千人の大商会ですぜ」
「軍艦だって持ってやす」
現実を並べる声だった。
脅しでもなく、ただの事実だ。
カルドは肩をすくめた。
「でもやるよ」
軽く言った。
あまりにも軽く。
「お前だって、あの子見たらそう思うよ」
その一言で、空気が変わる。
ドレイクは何も言わない。
言えなかった。
カルドは笑った。
「偽善だよ」
そして、静かに言い切る。
「――戦争だ」
翌日――
カルドたちは街に踏み込んだ。
拍子抜けするほど、あっけなかった。
エンドア株式会社の駐在員たちは、
三隻の船影を見た瞬間に動揺し、
戦うこともなく逃げ出したのだ。
もともと、彼らは商人だ。
戦う理由も、命を懸ける覚悟もない。
街は、ほとんど無血で解放された。
だが――
占拠を終えたカルドの前に、
今度は街の有力者たちが現れた。
「どうか……乱暴はおやめください」
彼らは頭を下げ、懇願した。
誰に従えばいいのか分からない目だった。
カルドはしばらく黙っていたが、
やがて一つ命じる。
「村の女の子たちの証文、全部集めろ」
ざわめきが走る。
借金の証文、売買の契約書、
逃げられないよう縛り付けるための紙切れだ。
それらは広場に積み上げられ、
火がつけられた。
炎が立ち上る。
誰も声を出せなかった。
カルドはそれを見ながら、ぼそりと言った。
「工場も燃やしちまうか」
「もったいねーんじゃないですかい」
ドレイクが即座に返す。
「……そだな」
あっさり引いた。
その軽さに、誰もが戸惑う。
やがて、有力者のひとりが恐る恐る口を開いた。
「これから……私たちは、どうすればよろしいのでしょうか」
カルドは振り向きもせず言った。
「好きにすればいいんじゃねーの」
「みんなで決めろよ」
沈黙。
誰も動かない。
決める、ということが
彼らには一番難しかった。
その様子を見て、カルドは少しだけ眉をひそめた。
そのとき――
マルコスがそっと耳打ちする。
「旦那……ここ、ずっとエンドアに支配されてた町でさぁ」
カルドはようやく、振り返った。
この国の“現状”を、初めて知ることになる。
このころのエンドアは、均衡の上に成り立っていた。
北には大イヴァール帝国。
南には、いくつもの藩王国。
互いに争い、まとまることはない。
――そこに、東エンドア株式会社はつけ込んだ。
争いを煽り、武器を売り、私兵を置く。
勝者にも敗者にも貸しを作り、
気づけば、誰も逆らえない立場に立っている。
そして統治は徹底していた。
現地の文化も、風習も、言葉も無視し、
エスカリオ王国の法律と制度を押しつける。
支配とは、力ではなく“仕組み”だった。
――それを、マルコスは静かに語った。
カルドは腕を組み、吐き捨てるように言う。
「で、どうすりゃいいんだ?」
「親分がここにとどまればいいんじゃないですか」
「よそもんが統治なんてできるのかよ」
「けど、親分がいなくなれば、またあいつら来ますぜ」
「……いても来ると思うけどな」
短い沈黙。
カルドはふと、マルコスを見た。
「ところでよ」
「はい?」
「なんでお前、エスカリオ語しゃべれるんだ?」
マルコスは、少しだけ困ったように笑った。
「旦那には、はじめて言いますが――」
一拍、置く。
「これでも私、この街の貴族なんで」
空気が変わる。
カルドは一度、マルコスに街を任せることも考えた。
貴族で、土地の事情も知っている。
これ以上適任はいない。
――だが、やめた。
「せっかくなんでな」
軽くそう言って、
港で書記見習いをしていたコピットを呼びつけた。
「統治ってやつ、本気で考えてみるか」
「え、俺っすか?」
「お前、字読めるだろ」
「まあ……」
机の上には、押収した帳簿と法令が山のように積まれていた。
めくる。
読む。
まためくる。
「……こりゃあ、商人ってより役人だな」
カルドは顔をしかめた。
「なんで徴税までやってんだ、しかも――えげつねぇ」
コピットが小さくうなずく。
「税じゃないっすね、これ。取り立てっす」
調べれば調べるほど、見えてくる。
関税、通行料、保管料、罰金。
名目はいくらでもある。
だが、そのすべてが、
逃げ道のない形で組み合わされていた。
払えなければ借りる。
借りれば縛られる。
縛られれば、逃げられない。
「……よくできてやがる」
感心したように、カルドはつぶやいた。
そして、ふと止まる。
「なんだ、これ」
指先が、ある一行の上で止まっていた。
「――失権の原理?」
コピットが覗き込む。
「権利を……失う、って意味っすかね」
カルドは黙ったまま、続きを読む。
顔から、わずかに笑みが消えた。
「……なるほどな」
ぽつりと、そう言った。
そのとき――
扉が、叩かれた。
「誰だ」
「お客様がまいられました」
マルコスが扉の向こうで声をかける。
一拍。
そして、ゆっくりと告げた。
「……私は、ターティヤー・トーペー」
室内の空気が変わる。
「こちらは――マラヤー王国国王、ナーナー・サーヒブ様にございます」
扉が開いた。
入ってきたのは、武人の気配をまとった男と、
それを従えるように立つ一人の王。
マルコスは静かに後ろへ下がり、控えた。
ナーナー・サーヒブは、カルドをまっすぐ見た。
値踏みするでもなく、威圧するでもない。
だが、視線は一歩も引かない。
そして、いきなり言った。
「彼女を助けてほしい」
カルドは眉ひとつ動かさない。
「誰だ」
短く問う。
ナーナーは、ためらわなかった。
「ラクシュミー・バーイー」
一歩、踏み出す。
「ジャンシー藩王国の王妃だ」
沈黙。
カルドは、何も言わない。
だがその目だけが、わずかに細くなった。
――なぜ、俺のところに来た?
そう問いかけている。
ナーナー・サーヒブは、それを理解していた。
「もうこの国は爆発寸前だ」
「我々はもう止めることはできない」
「そしてみんな死ぬだろう」
部屋の空気が張りつめる。
カルドは、まだ何も言わない。
ただ、ゆっくりと椅子に背を預けた。
そして、初めて口を開く。
「エスカミオ人」
ナーナーの頬に涙がつたう。
「我々を救ってくれ」
沈黙。
その一瞬で、すべてが決まった。
カルドは、答えない。
歴史は、動き出した。
ラクシュミー・バーイーは
王ガンガーダル・ラーオとの間に一子をもうけた。
だが、その子は幼くして世を去った。
王もまた失意のうちに病に伏し、
彼女は藩王国存続のため、養子ダーモーダル・ラーオを迎えて奔走する。
しかし、実質的にインド支配を押し進めていた東エンドア会社は、
後継者なき藩王国は会社に帰属するという
「失権の原理」を盾に、
ジャーンシー藩王国の併合を進めた。
それは、末期養子を認めず家を断つ、
冷酷な無嗣改易にも等しいものであった。
王が病没すると、
ジャーンシー藩王国はついに東エンドア会社に接収される。
城の明け渡しを迫られたとき、
ラクシュミー・バーイーはきっぱりと言い放った。
「我がジャーンシーは、決して渡さない」
戦いは、始まった。
ナーナー・サーヒブはカルドをまっすぐ見た。
「あの日、お前が灯した炎――」
「我らが見失っていたものだ」
一拍、間を置く。
「あれは……我々にともった、最後の希望の灯なのだ」
#グロ表現あり
1,167
#バトル
#死に戻り