わたしがルキウスに買われてから、1ヶ月が経過した頃。
アーカードがルキウスを尋ねてきた。
初めて知ったことだが、アーカードは自分が売った奴隷がどうなったかこうして後で確認しているのだ。
奴隷が役立たずだったり、契約に嘘があった際。
返品に応じたり、他の奴隷と交換する。
ただそれは表向きの話で、目的はもう一つある。
「ルキウスさん、ハガネと少し話をしても?」
「ええ、もちろん。いいですよ」
それは売られた奴隷が犯罪に使われていないかどうかの確認だ。
たとえば大規模犯罪組織に奴隷を流す奴隷商人がいた場合、その商人は犯罪組織の一味と認識される。
知らずに売っていたのだとしても、事が大きくなれば無視できなくなるだろう。
ルキウスが連続殺人鬼として逮捕されたら、アーカードも困りそうだ。
事情を察したわたしはアーカードと少し話をした。
それは他愛もない会話で、最近どうだ。とかうまくやっているか。とかだ。
ベルッティは元気にしているとか、そんなことも言っていた。
ああ、ベルッティならきっと何だってうまくやるだろう。
彼女には燃え上がるような野心と向上心がある。
そういえば、わたしが出て行く時に何か言っていたような気がする。
「何もかも利用するつもりでないとダメだ」
だったか。
利用、利用か。
わたしに何が利用できるだろう。
頭のおかしい殺人鬼に買われたわたしに。
同じように頭がおかしくなって、地獄の底までついていく他、ないのではないだろうか。
「ハガネよ。今、幸せか?」
唐突にそんなことを訊かれた。
想定外の言葉だった。
言葉に詰まる。
アーカードはこんなに優しい商人だったろうか。
幸せ? 幸せって何だ。
「はい、とても幸せです」
口を突いて出たのはそんな言葉だった。
嘘ではない、はずだ。
「そうか、よかった」
「オレのところに居た時は、そんな笑顔見せなかったものな」
え?
驚いて、自分の顔に触れてみる。
確かに笑っている。
自分でも驚くほどに、笑っている。
わたしは今、どんな顔をしているのだろう。
9歳らしい、無垢な笑顔ができているだろうか。
それとも、醜悪な殺人者の笑みをしているのだろうか。
「ああ、本当によかった」
「じゃあ、これで失礼させてもらおう。すみませんね、ルキウスさん」
アーカードが立ち上がる。
しまった。
何かはわからないが、何か致命的なことに気づかれてしまった。
そう思った時にはもう手遅れだった。
それから数日後、帝都の警備は目に見えて強化された。
見回りしているのは皇帝直属の奴隷部隊だ。
正規兵の代わりに危険な前線に立つ部隊で、その名の通り奴隷で構成されている。
「おい、そっちはどうだ?」
「さぼってんじゃねえぞ。アーカードさんに何言われるか」
殺人を終えて路地に身を隠していると、奴隷部隊たちの声が聞こえてくる。
どうやら、アーカードが手を回したらしい。
何を考えているのだろう。
ルキウスが捕まったら、困るのはアーカードではないのか?
「困りましたねぇ」
ルキウスが苛立つ。
当然だ。大好きな殺しがやりにくくなってしまったのだ。
「すみません、ルキウスさん。わたしのせいで」
この状況を作り出したのがわたしなら、わたしは殺されても文句は言えない。
主人の邪魔をしてしまったのだ。
「いいんだよ。ハガネ、いいんだ。ハガネは何も悪くないんだからね」
そう言って、ルキウスはわたしの頭を撫でる。
その血塗られた手が、わたしにはとても心地よかった。
なぜだろう。なぜこんなに優しくされるのだろう。
「ハガネ、君は初めての理解者だ。私のようなクズは誰にも理解されない。理解されないまま人を殺して殺して、殺し続けて、そうして死ぬしかなかったんだ」
「でも、君に出会えた。それだけで私は幸せなんだよ」
それはわたしも同じだった。
わたしも、誰にも理解されないまま死ぬしかない存在だった。
あの月の夜の出会いは、ある種の奇跡だった。
思えばルキウスはひと目見ただけでわたしの殺人趣向を見抜いた。
こんな素晴らしいことが、他にあるだろうか。
「今日は語ろう。酒でも飲みながら」
ルキウスは血まみれのまま、近くの酒屋へ入り。普通に酒を買うと、自宅に戻った。
これで捕まらないのだから、この世は狂っている。
ずっとずっと、狂ったままでいて欲しい。
でも、無理だ。
こんなことを続けていればいつかは捕まるだろう。
ルキウスが自室で語ったのは、彼の人生だった。
裕福な親の元に生まれ、何不自由なく育ち。
働く必要も無く、誰かに必要とされることもなく、ルキウスは生きた。
まず、最初に手を伸ばしたのが芸術だ。
絵画、彫刻、詩、そして音楽。
考え得るすべてに彼は手を出し、挫折した。
「見てくれよ。くだらないだろう?」
わたしの目から見ればルキウスの作品たちはどれも超常に近い。
奴隷の身分では到底辿り着けない境地にいるはずなのだが、彼は納得していないようだった。
ルキウスが言うには、上には上がいてどんなに努力しても勝てない天才たちの領域があるらしい。
なんて贅沢な話だろう。
安全な寝床があり食うに困らないだけで、相当な幸福だというのに。この主人はそれだけでは飽き足らなかったのだ。
一番の問題は恵まれていない人間がその努力や才能をもってルキウスより先に行くことだった。
なぜ恵まれた自分が努力しても辿り着けない場所に、不遇な者がいるのか。
それはもう金でも時間でもないもの、純粋な才能と力にルキウスが敗北したからとしか彼は考えられなかった。
飢えと欠落が心に根を張っていく。
それは誰よりも強く、賢くあれという呪い。
わたしの主人はルキウスだが、ルキウスの主人は羨望だった。
彼は誰かに認められたいという気持ちに抗うことができない。
もし、ルキウスが恵まれていなければ。
金がなく、日々の労働で時間を削られる労働者であったなら、こうはならなかっただろう。
作物が栄養過多で枯れるように。
過剰な富が、ルキウスを羨望の奴隷にした。
しかし、誰よりも強く賢い者など。この世に一人しか居ない。
そこに到達するのは並大抵のことではないし、多くの人間には不可能だろう。
そんなことはわかっていた。
だから、諦めた。諦めても羨望の炎は消えなかった。
「だから、私は人を殺した。殺し続けた」
「人を殺すと心が楽になるんだ。ああ、こいつらは私より下なんだと。私は人を殺しても捕まらない、特別な存在なんだと。そう思えるから」
「私はどんな芸術を生み出す人間だって殺せる。私の方が遙かに殺しの腕は巧いはずだ。私の方が、あいつらより、ずっと」
その点ではルキウスはわたしと真逆だった。
わたしが人を殺す理由。
それは気高く美しいものを死で汚すと、最低なわたしと同じ所に落とせるからであって。
自分を上等な人間だと錯覚するためではなかった。
驚いた。
殺しの趣向にも方向性があるのだ。
なぜ思い至らなかったのだろう。
殺したいと思うのなら、わたしもルキウスも同じだと思っていた。
ルキウスは自分語りを終えると、わたしの頭を撫でてそのまま眠りについた。
こうなると朝が来るまで起きない。
思えば、いい主人だった。
わたしを性的に搾取しないし、食べ物はくれるし、寝床も温かいし、趣味もそこそこ合っていた。
わたしは床に無造作に転がる、ルキウスの幅広剣を手に取る。
この剣は振動剣と呼ばれる魔法剣だ。
魔力炉が内蔵されているため、わたしのように魔力の乏しい小娘でも起動できる。
「【震えよ《シェイカー》。】」
刀身が高速で振動する。
こうなると鉄だろうが石畳だろうが、人の骨だろうが、バターのように切れるのだ。
わたしはルキウスを仰向けにして、顔を見た。
綺麗な顔だ。美形と言える。
わたしはルキウスの額(ひたい)にキスをして、こう言った。
「ばいばい、ルキウス」
首を刎ねれば、血が跳ねる。
でも、叫び声はしなかった。
だって、首が飛んだのだ。
叫ぶこともできないだろう。
これはルキウスお得意の殺し方だった。
そういえば、なぜわたしはルキウスを殺したのだろう。
いくつか思い当たることはあるけど、一番大きいのはそうだな。
「方向性の違いかな」
素晴らしいものでありたいと願ったルキウスの魂が落ちてくる。
わたしのいるところまで、落ちてくる。
ああ、なんて素敵なのだろう。
「ねえ、ルキウス様もそう思うでしょう?」
ルキウスの頭を抱えて、わたしは眠りについた。
誰よりも、何よりも自由なままに。
ルキウスは死んだ。
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