「もういやだわぁーー!京介さん!声が大きいっ!!耳がきぃーんとしたじゃないっ!」
すかさず芳子が耳をおさえながら、岩崎へ文句を言うが、それに爛々と目を輝かせる者がいた。
「なんとっ!男爵家のお家騒動!!怒鳴り合い、言い争いという醜聞ですなっ!これは、読者が喜ぶっ!!」
野口が、上着のポケットから手帳を取り出し、喜び勇んで何やら書き付けている。
「君……醜聞とは?君達が騒ぐから京介が怒鳴っただけだろう?むしろ、君達の方が分が悪いと思うのだがねぇ……」
思案顔で男爵が呟きつつ、芳子へどうして皆で屋敷へ戻ってきたのかと問いただす。
「あ!京一さん聞いてください!」
芳子は、婦人雑誌記者、野口とのやり取りを説明しつつ、
「とにかく!写真を撮る事よりも、仮祝言だわ!そちらの方が大切じゃない?!吉田!準備してちょうだい!月子さん!着替えましょう!あぁ、京介さんも、寝巻きのままでボサボサはいけないわよっ!なんなのかしらっ!」
「そうゆうことなら、私もタキシードに着替えた方がよかろう。吉田!早急に準備しなさい!」
男爵夫妻は、すっかり、仮祝言を行うつもりになっている。
「待ってください!」
ふたたび岩崎が叫んだ。
「写真を撮るのは演奏会の様子であって、どうして、祝言が出て来るのです?!そもそも、新聞記者!独演会の話しはどうするつもりだ!うやむやにしようとしていないか?!」
岩崎は、盛り上がっている男爵夫妻に何を行っても無駄だろうと、そもそもの根元である沼田と野口、二人の記者へ言い寄った。
それを聞き、男爵が、うむと考え込む。
「……芳子の経緯は知らんが、確かに、新聞記者君は、京介の独演会を開くと言っていたな……」
そのまま、訳がわからんとばかりに、男爵は押し黙る。
慌てたのは沼田で、
「ええ!ですから、岩崎男爵様に後援をお願いに来ましたところ、夫人の写真撮影と祝言がはじまるとかなんとかで、いや、こちらも、寝耳に水で、まさか祝言が行われるとは露知らず、手土産のひとつもご持参せずに申し訳ありませんで……」
「いや、記者君、そんなものは、構わんよ。祝言と言っても仮だし、こちらも急に決まって準備もまともにできない。まあ、京介と月子さんの写真を撮ればそれでよかろうと思っているのだが……そうか、独演会の話もあったなぁ」
「そうです!ぜひ男爵様の後援を!!」
沼田が揉み手で男爵のご機嫌を取ろうとしている。
「……月子様……お咲、兄ちゃんに写真見せれる?」
大人達の言い争いを見て、お咲が不安げに月子の袖を引き見上げている。
「あっ、お咲ちゃん!そ、そうだったね」
つぶらな瞳に頼られ、月子は、焦った。お咲は兄に自分の晴れ姿を見せられると信じてやって来ているのだ。祝言だなんだと、話が大きくずれては、お咲が何のためにやって来たのかと思うのも仕方ないだろう。
「……あ、あの、京介さん。今からというのは……。同居することは、町内へ挨拶周りもしていますし……。無理に今から仮祝言なんて……。それに、お咲ちゃんも張り切っていることですから……」
お咲をだしに使う様な物言いに、月子はしまったと思いつつ、おどおどと、岩崎を見る。
月子とお咲にすがられた岩崎は、分かっているとばかりに、またもや声をあげた。
「あのですね!私の独演会に、岩崎男爵の後援というのは、何かおかしな話ではありませんか?というよりも!兄上!私は、自分の力で独演会を開きたいのです!そして、月子を養いたいのです!いつまでも、兄上に頼るわけには参りません」
きっぱりと岩崎は言い放ち、沼田をジロリと睨み付けた。
「ほおお!なるほど!芳子!京介がやっと、分家すると言い出したぞ!うん、やはり、この見合いは成功だったなぁ。嫁を貰ったら自立すると思ったんだが、やっと、一人立ちする気になったか!」
「何も、私は兄上に甘えてはおりません!兄上達が、何だかんだと口を挟んできていただけでしょう!」
男爵の、一人立ちという言葉に、岩崎は不服ありと言い返す。
「あら、でも、やる気になってても、京介さん一人では、見ていて危なっかしいんですもの!口も挟みたくなりますよ!ねぇ、京一さん!」
芳子が男爵の肩を持つような事を言い、話がまた、脱線しそうになっている。
完全に男爵家の内輪の話となり、沼田は一人取り残され、居心地悪そうに立っていた。その横では野口が嬉しそうに、この有り様を手帳へ書き付けている。
「では、京介様の分家のお祝い、仮祝言、引き続き、雑誌を飾る写真撮影ということで、本日はよろしゅうございますね?皆様、お早くお召しかえを」
終わりなく続くと思えた愚痴の言い合いのような各々の主張を、執事の吉田が、さらりとまとめあげた。
「はい、そちら様は撮影のご準備を。客間をご利用するのが妥当かと思います。そして旦那様、折角、新聞社と雑誌社がお揃いなのです。京介様の独演会は、二社の協賛ということで行えば、新聞も雑誌も、各々宣伝になりませんでしょうか?」
「うん、そうだな、構わんよ、吉田」
あっさりとした返事をし、男爵は芳子と共に、支度へ向かった。
「いや、ちょっと、それは……」
沼田が、呆然としている。
「ほほぉー!あんた、やるねぇ。さすが、男爵家の執事だわ!というか、最初からあんたを通してたら、無駄な時間を過ごさなくてよかったと言う話だよなぁ。それ、それで、行きましょ!うちは、異存ないですよ!」
男爵夫婦を追って去ろうとしている吉田を誉めつつ、野口は、へらへらしながら、やる気を見せた。
それに反応したのが沼田で、
「う、うちだって異存はないですよ!やろうじゃないですかっ!!二社協賛の独演会を!!」
野口に負けてたまるかと、躍起になっている。
「左様ですか。それは、それは、ご苦労様です」
ねぎらいながら、律儀に、野口、沼田へお辞儀をする吉田の姿がある。
月子は、何が起こったのかさっぱり分からない。ただ、なんとなく、良い方向に話が進んでいる様な気がして、岩崎をそっと見た。
「うん、そうだな。それが良いだろう。すまんが、これからのこと……よろしく頼む」
岩崎は、きちんと背筋を伸ばし、野口と沼田に頭を下げた。
「はいはい!新聞社に負けておれませんからね!おまかせください!」
野口が変わらず、へらへらとそれでいて、沼田を挑発する。
「い、いや、先生!頭をあげてくださいよっ!!こちらこそ、お世話になるのですから!」
沼田は慌て、岩崎へ揉み手ですり寄っていく。
「月子さーーん!お咲ちゃんも、早く早く!」
先の廊下から、芳子の急かす声がした。
「あっ……」
おろおろする月子に、吉田が優しく微笑み、抱えていたお咲の衣装が入っている風呂敷包みを受けとろうと、手を差し出した。
「月子、吉田に任せて早く行きなさい。義姉上を待たせるとまた、一騒動起きる」
うんざりしながら言う岩崎は、
「寝巻きのままやって来たのは流石にまずかったか。やはり、着替えてくればよかったかなぁ」
と、やっと、自身の姿に気がついたようで、恥ずかしそうに頭を掻いている。
月子はその姿に微笑んでいた。
すべて上手くまとまったようだ。
これから岩崎と歩んで行くのだと確信できたからなのだろう、月子の心の奥は、ほのかに暖かくなっていた。
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