岩崎と芳子は、舞台に並び唄い続ける。
男女の高音をお咲ののびやかな声が追いかける形になり、劇場内は、どよめきと笑いとが入り交じり和やかな空気が流れていた。
今や、ひろげた弁当もそのままで、舞台に皆集中している。
そして、最後の高音部分がやって来た。
岩崎と芳子の声が響き渡り、お咲も、ああーーと、唄いあげる。
一瞬の間ののち、観客の大きな拍手が鳴り響き、おかみさん達の歓声が飛び交った。
岩崎と芳子は、うやうやしくお辞儀をし、上品に二人して退場する。
お咲が、芳子のドレスを裾を持とうと駆け寄るが、残るように岩崎に止められた。
このまま、留まり唄うようにということだろう。
心ならずもというべきか、お咲にまだ、心づもりが出来ていないのか、ポツンと舞台に立ちすくむ事になってしまった。
一人、幼子が立っていると、観客がざわつき始める。
すると。
「ちょっと!すまねぇ!通してくれ!お、お咲っ?!お咲かっ?!」
お咲の名を呼びながら、升席に座る客を掻き分け、若い男が舞台へ向かって進んで来た。
「あつ!!にいちゃん!!」
「お咲なのかっ?!って!!お前、こんなところで何やってんだ?!にいちゃん、聞いてないぞ!」
「お咲、女中になったんだ!月子様の女中なんだ!」
「女中ーー?!お咲、お前がっ?!」
「うん!かあちゃんが、お咲は女中になれるって言った!」
「かあちゃんが?!そ、それ、お咲、それ!!」
あの飲んだくれの親父がっ!!と、若者──、お咲の兄らしき男は頭を抱え込み叫んだ。
「お前まで……。すまねぇ!お咲!悪いのは、とうちゃんなんだけど、にいちゃんの働きが悪くて……お前まで……」
ここまでの会話で、どうやら舞台に立つお咲という幼子と若者は家族で、それも生き別れていた所、この演劇場で偶然再開した。
つまり、涙なくしては観られない芝居が始まったのだと、観客達は勘違いしてか、わぁーーと、またもや、拍手喝采、立て続けに、掛け声がかかり始める。
それを待っていたのかどうなのか、ピアノの伴奏か始まり、物悲しくも心に染み入るバイオリンの音まで流れて来た。
中村が、何食わぬ顔で舞台に登場し、お咲達の会話に合わせ、バイオリンを奏で始める。
升席のあちらこちらで、すすり泣きか聞こえ、完全に、皆、お涙頂戴の芝居だと思いこんでいるようだった。
「にいちゃん!お咲、唄うんだ!」
「唄うんだって、お前がか?!女中はどうなったんだよ?!」
唄うと言う言葉が、合図になったのか否か、ピアノの和音が連打された。
中村も、その音に合わせて弓を引き、桃太郎の旋律が流れ出した。
たちまち、家族連れが沸いた。
子供達が、我先にと、桃太郎を唄いだし、大合唱になってしまう。
中村は、あちゃーと、渋りつつ、仕方なしとばかりに、音を変調して、別の曲の一節を弾き始めた。
急に曲が変わってしまい子供達は、ざわつき、はたまた、グズリだす。
それを待っていたように、中村は、再び、桃太郎の旋律に戻した。
ピアノも軽快な音を出しながら付いてくる。
「あっ!お咲、唄わないと!」
言って、お咲は、中村のバイオリンに合わせ、あーああー!と、発生練習よろしく声をだす。
その透き通った響きに、皆、驚きから、静かになった。
これから間違いなく、さっきの男爵夫人の唄のように、凄いことが起こると察したようだった。
中村が、ここぞとばかりに、バイオリンを小気味良く弾いて行く。
そして、ついに、お咲が、大きく口を開け、唄い始めた。
しんと静まり聞き言っていた観客は、一斉に笑いだし、演劇場は爆笑の渦が巻き起こる。
大きな手拍子に、笑い声に、皆、お咲版桃太郎を楽しんでいた。
自分が唄うたびに、賑かになり、掛け声がかかるのがお咲も気に入ったのか、途中からは、身ぶり手振りにしか見えない振りつけ付きで、唄い続ける。
そして……。
「桃太郎ーーーー!!」
お咲は、芳子ばりの高音の締めで、唄い切った。
「日本一!!」
「桃太郎!!」
「ミケにタマ!!」
天地が引っくり返るかのような勢いで、やんややんやと、訳のわからない掛け声が、舞台に向かって飛んでくる。
「お咲!それ、かあちゃんの唄だな?!」
歌い上げ終わったお咲に、兄である若者が問いかけた。
「そうだよ!かあちゃんの唄!お咲、にく太郎も唄える!」
わぁーーと、升席から歓声が上がった。
皆、もっと聞きたいと大きな拍手をお咲に送る。
「いや、ちょっ、なんだよ、そのにく太郎って」
中村は、どう弾けば良いのかと困惑しきった。
「お咲ひとりで唄えるよ!中村はいいよ!」
我が物顔でお咲は言うと、
「ひげひげひげ、にく太郎ーー」
自作の、にく太郎の唄を得意になって唄い始めた。
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