コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
守恵子《もりえこ》は、コクンと頷き、はにかんでいる。
紗奈は、ポロポロ涙を流していた。
守恵子が、臥せる原因を作ったのは、不用意に、国へ帰ると言ってしまったからなのだと、守恵子の胸の内を思い、紗奈は、気持ちを押さえ切れなかったからだ。
「守恵子様、では、私達は、お言葉に甘えて、国へ帰る為、おいとま頂きます」
常春《つねはる》が、平伏し、守恵子へ、告げると、泣きじゃくる妹を見た。
「紗奈、いや、徳子《とくこ》様、急ぎ、国元へお戻りください。あちらでは、あなた様のお帰りを待ち望んでおります」
言うと、紗奈へ向かった常春は、再び頭を下げた。
しぃーんと、静まり返っていた場は、更に、静まり返り、そして、皆、何を言えば良いのかと、おどおどしている。
「徳子様って、誰ですか?」
小さいが、しっかりとした声が、その静寂を撃ち破る。
「うわー、タマ!その名を言わないでー!」
泣きじゃくりながらも、紗奈は、慌てて、守恵子の枕元に座っているタマを制した。
「え?!って、ことは、上野様のこと?!徳子って?!」
だからっーー!と、紗奈は、慌てている。
「あっ!そうでしたわ!そうそう、そんな、名前でしたね!」
「女房殿?よくわからんのじゃが?」
うっかりしてたと、橘が、言う側から、髭モジャが、どういうことじゃと、言って来る。
「お前様、紗奈は、そもそも、受領の娘。貴族の姫君ですよ」
「おお!そうじゃったなあ!ワシが、紗奈のかか様を迎えに行ったことがあったなぁ」
だから、成人した今は、名前が……と、橘は、懐かしそうに昔の事を思い出している髭モジャへ言った。
「おお、そうだった。我が屋敷では、あくまでも、女房ゆえに、上野と、呼んでいたから、本来の名前をうっかり忘れておった!」
守近が、うんうんと、頷いている。
わからないのは、斉時で、
「なあ、薬院よ、あんた、今起こっていること、わかるかい?」
と、康頼《やすのり》へ尋ねている。
「斉おじさま!師匠様を、巻き込まないでください!」
守恵子が、斉時を叱咤して、あいすみません、と、康頼へ、謝った。
「いや、守ちゃんよ、斉おじさま、さっぱりわかんねぇんだけど、その、勢い、おじさま、喋っちゃ、いけないのかい?!」
「はい」
きっぱり、守恵子に答えられ、斉時は、ひい、と、息を飲み、母子共に辛辣で、と、呟き、目を回しかけている。
「いや、皆様、あのですね」
「そうそう、そんなに、騒がないでくださいよーーー!!!」
常春と紗奈は、騒ぎの元を作ってしまったと、おろおろしつつ、二人で顔を見合せるが……。
「守恵子、大丈夫そうだなぁ!ああ!よかった!!」
何故か、女人が持つ桧扇《ひおうぎ》を握りしめた、守満《もりみつ》が、ドタドタと駆け込んで来くる。
「屋敷へ戻ると、守恵子が大変だと聞かされ、いやぁ、肝を冷やした!」
で?と、きょろりと、守満は、辺りを見回した。
「いや、守満様こそ、どうされました?なぜ、その様な物をおもちで?」
「あー、常春、これには、深い訳があって……」
守満は、今しがた起こったことを語り始める。
そして、守近へ、桧扇を差出し、
「父上、いったいどうすれば……」
と、困りきった顔をした。
「おお、徳子は、どう思う?」
「いや、そこは、守恵子は、でしょうよ?守近」
どうしても、斉時は、喋りたいようで、ここぞと、いう所へ割り込んで来るが、
「うん、橘の方が経験豊富かな?」
「何を、おっしゃいますやら、女人に関しては、守近様の方が……」
「はい、そう思いまして、守満、父上にお伺いいたしたのです」
守近、どころか、橘、守満にまで、相手にされず、斉時は、ついに、皆に背を向けて縁に、寝転がってしまった。
「あー、お前さん達、終わったら呼んどくれ」
ふてくされた、態度を見せるが、誰も、答える訳でもなく、一層、わいわい、盛り上がり始める。
「ありゃー、ワシも、気付かんかった。守満様、申し訳ありません」
髭モジャが、慌てて膝をついていた。
「いや、それは、仕方ないよ、髭モジャ。皆、車を押すのに、精一杯だったんだから」
しかしなぁ、お乗りになっていた、姫君も、お困りだろう。と、守満は、手にする桧扇に目をやった。
「……な、なんなんですか?!そ、それは、つ、つまり、姫君が、守満様に拾って欲しくて、わざと落としたのでしょ?そんなことも、お、お分かりにならない、わ、若君になど、もう、常春は、お、お仕えできません。さ、さあ、紗奈、いや、徳子様、い、今すぐ参りましょう!」
常春が、さっと、紗奈を見る。
「あーーーー!!!はいっ!!兄様!!兄様にでも、わかることが、わからないなんて、わたしも、げんかい、ですうーーー!」
紗奈も、なにか、見切った素振りを見せて、すっくと、立ち上がり、おさらばだぁーー!!!と、叫ぶ。
そして、兄の元へ行き、その袖を引っ張るようにして、こんなとこでなんか、やってらんないと、捨て台詞を残し、房《へや》を出た。
「まったく、なんて、やつらだ。皆、ほおっておくように」
と、言い切る守近の瞳は、潤んでいる。
はいっ!!と、守満と、守恵子も、大きく返事をしたが、しかし、二人の頬には、涙の筋がある。
「あー、髭モジャや、本当に、出ていったかどうか、確かめて来てくれ。なんなら、若を、使って、追い出してもよいぞ!」
「はい、かしこまりました。二人の為に、牛車《くるま》の用意で、ございますな!」
お前様!と、橘が、髭モジャをおもいっきり、小突く。
「なんじゃ、まったく!皆、素直じゃないのお!最後ぐらい、笑って、見送ってやればよいのに!」
立ち上がり、二人を追う、髭モジャも、袖で、ごしごしと、目元をこすっている。
「全く、素直じゃないんだから……なんですか、おかしな芝居を打って……」
皆を諌める橘は、あー、旅支度を
!と、慌てて駆け出す。
「いや、ちょっ、あんたら、いいのかよっ!常春も、紗奈も、怒って、出ていっちまったぞっ!!」
斉時は、言いながら目を白黒させ、立ち上がろうとした。そのとたん、慌てすぎたのか、うわっ、という声と共に、ドタンと音をたて、縁から転がり落ちた。
「あっ」
と、康頼《やすのり》が、身を乗り出したが、
「師匠様、斉おじさまは、中庭が、良いらしいので、どうぞ、お気になさらずに!」
守恵子の明るい声に、制されるまま、不思議そうに、斉時を眺める。
「守恵子?師匠様とは?」
守満が、守恵子へ問い、実は……と、こちらも事情が明かされて、へえーと、守満が、呑気な声をあげた。
一人消え、二人消えと、去っていった者はいるが、どこか和やかな空気が流れている房の傍らでは、徳子《なりこ》が、童子と様子を伺っていた。
「騒がしいから、守恵子に何かあったのかと思ったら、寂しくなりますね……。童子や、二人を見送ってやって」
はい、と、童子こと晴康《はるやす》は、答えると、タマおいで、と、言い残し駆けて行った。