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夕暮れ時を迎えようとしている大納言家の正門脇、牛車《くるま》を収納する車宿《くるまやどり》では、おんおんと、男の鳴き声が響き、それに答えるよう、もうもうと、牛の鳴き声が続いていた。
「じゃろう、じゃろうて、若よ、お前も寂しいか?皆の前では、さすがに、泣けんからのぉ、若よ、泣かせてくれーー!」
守満《もりみつ》を、乗せ、戻ってきた、若が引く牛車《くるま》は、若と車を外そうとする作業が止められていた。常春《つねはる》と紗奈《さな》を送る為だった。
髭モジャが、ごしごしと、袖で目を擦り、大粒の涙を拭いている。
「ひ、髭モジャよ!」
男泣きしている髭モジャへ、崇高《むねたか》が、声をかけた。
なにか切羽詰まった顔つきで、崇高は、筒袖、衽なしの垂直《ひたたれ》と、裾を括《しぼ》った括袴《くくりばかま》に着替え、脚絆《きゃはん》を、脚へしっかり巻き付けて、長時間歩ける完全な旅姿で立っていた。
「女童子殿が、国元へ、帰られると立ち聞きしてしまい、我は、慌てて、支度してきた。検非違使の諸々、後のことは、頼む!」
「立ち聞きとは?また、男らしくないのおー」
「確かに、この崇高の一生の不覚とも言えるだろうが、運んでいた荷を届けようと踏み込んだら、皆が、大騒ぎ、そして、聞こえてしまったのだ」
崇高は、渋い顔をしつつ、食材を積み上げた荷車をどこへ運べばと、髭モジャを探しているうちに、聞こえてしまったのだと、言った。そして、その足で、屋敷へ戻り、取り急ぎの支度をしたのだと、肩で息をしていた。本当に、急いだようで、額には、しっかりと、汗をにじませている。
「もう、日が暮れる。今からの、出立など、無茶じゃ、故に、我も着いて行くぞ!」
「あー、心配するな、都を出て、暫くの所までは、ワシが送っていくからのぉ。しかし、二人と、いうのは、心強いかもしれん。崇高よ、頼めるか?」
「当然じゃ!!!我は、国元で、女童子殿と暮らすつもりだっ!!!」
あーーー、言いきっちゃったよぉーーー、と、小さいが、しっかりとした声が、被さって来た。
「上野様、どうします?」
紗奈が、包みを手に、立ちすくんでいた。
その足元では、タマが、
「暮らすっていったってさぁー、犬猫じゃあるましい、そんな、簡単に出来る訳ないじゃんーー!」
と、わかった様なことを言っていた。
「……タマ、犬猫じゃあるまいしって、あんた、犬みたいなもんでしょ?それに、猫ちゃんと、夫婦になるって、言い切ってんのに、いいの?!」
紗奈に、言われて、タマは、わーーー!言っちゃったーーー!と、叫び、グルグル回っている。
「なんなんでしょう?全く。でも、崇高様、ぜひお願いします!」
「えーーー!いいんですかっ!!!上野様!!」
タマが、叫ぶ。
一方、崇高は、かくかくと、膝を揺らしながら、立っているのが精一杯の様子で、髭モジャが、慌ててその体を支えていた。
「そ、そ、それは!!!」
崇高は、期待に満ちた声を出し、紗奈へ、問い詰めた。
「あー、正確には、一緒に暮らす振り、ですかねー。なんだか、国元は、婿取り話で、盛り上がっているそうなんです。だから、約束している、で、顔だけ見せて、崇高様は、都へお帰りください。お勤めもございますでしょ?あとは、都で、好きな女ができたとかなんとか、まあー、こちらで、適当に流しておきますので」
「紗奈!いや、徳子《とくこ》!それは、崇高殿に失礼だろうがっ!」
書物らしき大きな包みを、両手に下げる常春が、いた。
「当面の、とりあえず、は、旅支度だけだろっ!!」
それをお前は、と、妹へ注意する常春の眉間には、すでに深いシワが、寄っている。
「兄様!だって、あちらで、勝手に結婚相手を決められては、何のための、頭領娘なのですか!!きっと、狸おやじ達が、都合の良い殿方を連れてきて、屋敷は、乗っ取られますっ!」
妹の叫びに、ん?と、常春は、考え込んだ。
「……それも、一理あるなぁ。だなぁ。お前を指名するばかりか、婿取りさせる話が出ているということは、うん、あり得るかもしれん!」
「でしょー!!!ですからっ!!!」
「なるほど、こちらから、相手を連れて行き、様子を見ると」
はい!と、紗奈は大きく返事をした。
「……そうでなくとも、混乱しているはず、うん、念には念をということか。それに……崇高様なら、あの、見かけ。皆も、正直、怖じ気づく」
「何せ、都の検非違使ですからねー、荒武者ですもん!」
なるほど、なるほど、と、常春は、得心したようで、崇高へ、いきなり、大きく頭を下げた。
慌てて、紗奈も、常春同様、「宜しくお願いします!」と、声を張り上げ、頭を下げた。
「まるっきりわからんが、お家騒動を阻止するということで、よいのかのお?!ならば、崇高は、見かけからして、うってつけじゃ!!」
髭モジャは、バシンと、崇高の背を叩き、いや、こりゃー、良い話じゃないかと、嬉しげに笑った。
わからないのと、全てに引っ掛かかっているのが、崇高で、
「……我は、我は、どうすればよいのだ?!」
と、沫を食うばかりだった。