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「詩乃? どうした?」
足が止まり、祥平が私の顔を覗き込む。
「なんでもない! なんか、知り合いっぽい人がいるなと思っただけ」
「そ?」
見間違いだ。
見間違いではないとわかっているのに、私は自分にそう言い聞かせた。
だって、見間違いじゃなければ――――。
折角の外食なのに、気も漫ろで楽しめなかった。
いや、食事中は楽しかった。
他愛のない会話は家でもするのに、場所が違うだけでいつもの三倍増しで楽しかった。
年甲斐もなく言ってみれば、恋人の頃に戻ったように心が弾んだ。
だが、店を出て、来た道を戻り始めて思い出してしまった。
「詩乃、あんまり飲まなかったな」
「ご飯が美味しかったからね」
「何が美味かったかはわかんねーけど」
「馴染みのない名前ばっかりだったもんね」
来る時は繋いでいた手を、帰りは夫の腕に絡ませる。
「駅まで歩けるか?」
来る時に通ったシティホテル前に並ぶタクシーを見て、祥平が聞いた。
「うん。大丈夫」と答えながら、行き交う人たちを凝視する。
まさか、ね……。
時間が経って、あれは見間違いだったのだろうと思った。思いたかった。
だが、なんてタイミングの悪さだろう。
ホテルから出てきた男女を見て、愕然とした。
見間違いではなかった。
女性は史子。
隣には、史子のご主人ではない男。
私は二人から目を離さず、重い足を前に出す。
「詩乃? どうかしたか?」
「知り合いが……いた気がしたの」
「知り合い?」
私から、私の視線の先に目を向けた祥平だが、当然誰のことかはわからない。
「見間違いかも」
「そか?」
「うん」
家に帰り、先にシャワーを使うように祥平に言ってから、私はスマホのメッセージアプリを開いた。
確か、大会の写真が――。
メッセージをスクロースし続ける。
見つからない。
あ、グループの方?
グループのトーク画面を開き、やはりメッセージをスクロールして写真を探す。
勢いあまってスクロールした中に写真を見つけ、ゆっくり戻す。
やっぱり――!
美佳からのメッセージ。
息子が大会で優勝した時の、家族写真。
美佳が撮ったものだから、彼女以外の。
ガタイのいい柔道着姿の男の子と、更に大きな男性二人。一人は中年。
美佳の次男と三男、そしてご主人の三人は、満面の笑みだ。
史子、なんで……。
ホテルに入って行ったのも、出てきたのも、史子と美佳のご主人。
わけがわからない。
史子と美佳のご主人が不倫してるってこと?
でも、史子の相手は他にもいる。
美佳のご主人だと知らずに付き合っている可能性も、ない。
少なくとも、史子は美佳のご主人の顔を知っているし、忘れたとしても『荻又《おぎまた》』なんて珍しい名字で気づくはず。
史子は、悪意を持って美佳に男を紹介した。
美佳とご主人を別れさせるため?
でも、史子にもご主人がいる。
それ以前に、史子が美佳のご主人と結婚したいなんて考えるだろうか。
タワーマンションでの暮らし、高給取りの夫、優秀な娘との生活を捨てて?
相手が誰であれ、史子が泥沼不倫なんて考えられない。
史子が何を考えているのか、わからない。
わかっているのは、見たことを私の胸の内に秘めておく気にはなれないこと。
はっきり言って他人事なのに、きっと気になる。ずっと。
ならば、はっきりさせるべきだ。
お節介は性に合わない。
でも、見てしまった以上、見なかったと自分に言い聞かせて、史子と美佳には会えない。
私は史子にメッセージを送った。
〈今日、Hホテルにいなかった?〉
既読になる前に、祥平と交代してシャワーを浴びた。
聞いてどうするのかまでは考えていない。
っていうか、なんでこんなことになった――?
いつものようにランチしただけ。
美佳の幸せ自慢のような愚痴もいつものこと。
なんで不倫話なんてしたの。
『……なんでかな』
そう言った史子の、投げやりにも聞こえる抑揚のない声を思い出す。
学生時代の史子は、私や美佳より大人びていた。
そういう印象のメイクもしていたし、服装も可愛いより綺麗めだった。
告白もナンパもされてたけど、いつも『恋人がいるから』と断っていた。
事実だ。
史子には高校時代から付き合っている社会人の恋人がいた。
美佳はいつも「いいな」と言っていた。
美佳に恋人ができた時、史子は大袈裟なくらい「良かったね!」とはしゃいでいた。
美佳の恋はあまり長く続かなくて、フラれて泣いていた美佳を親身になって慰めていたのも史子。
「ちょっと誘われたくらいで他の女になびくような男、別れて正解だよ!」と怒ったりもしていた。
そんなことをぐるぐる考えていたから、シャワーを浴びてもさっぱりした感じでもなく。
むしろなんだかやけに疲れてしまった。
寝支度をしてリビングに戻り、スマホを見る。
史子から返事がきていた。二分前に。
〈見られちゃったか〉
私はすぐに返信した。
〈一緒にいたのが今の彼?〉
十秒ほどで既読がつく。
そして、更に十秒ほどで返事がきた。
〈だったら?〉
やっぱり、と思った。
やっぱり、史子は美佳のご主人だとわかっていた。
イラッとした。
中学生や高校生じゃあるまいし、分別がなさすぎる。
〈何がしたいの?〉
〈遊びよ〉
〈ふざけないで〉
〈詩乃には関係ない〉
それだけ。
結局、私は悶々としたまま浅い眠りにつくことになった。