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ショコラ主催のサロンの噂は、あっという間に社交界に広がった。
呼ばれた者、呼ばれなかった者、呼ばれた者に早くも次回紹介して貰おうという者、その感情は様々だ。
「ショコラ様、ミエルさん。お二人ともよろしいですか。先日のお披露目は評判も上々でした。いらっしゃる方々は皆、期待を持ってお出でになるはずです。――ですから当日、いくら夜会等のパーティーで無いとは言え……くれぐれもそのような家着などはお召しにならないように!」
ファリヌは掌を向けてショコラの着ている物を指し示し、少々誇張するようにして指導した。
これまでのショコラは、屋敷外の人間と会う機会はほぼ無いという生活をしていたため、動きやすく汚れてもいいような服を好んで選んでいた。見た目などは二の次三の次。それに加え髪も簡単に一纏めにして終わりというような、公爵令嬢にあるまじき簡素な格好をしていたのである。それはもちろん、今この時も……。それが彼に一抹の不安を抱かせていた。
サロンを開く場所が我が家であるがゆえに、その意識のままでいたら大変である。だからわざわざ釘を刺したのだ。
「それくらい、分かってますわ!ねっショコラ様!当日の計画はきちんと練っていますから、ご心配なさらず。」
えへんと威張るようにしてミエルは返した。
「それなら結構。ですが、ただ可愛らしくすればいいというわけではありませんからね?」
「〰〰分かっっています‼当日、腰を抜かさないようお気を付けくださいね!」
…まさに売り言葉に買い言葉……。ショコラは慌てて間に入った。
「二人とも、仲良く!ねっ??」
彼女にとって、ファリヌとミエルの対立は少々悩みの種でもあった。こうして言い合っている姿をよく目にする……。
『う――ん…。でも、二人とも私の事を考えての事だし……放っておいてもいいのかも……?』
とりあえず、手が付けられないような険悪さではないし、二人の関係は良くも悪くも対等のように見える。どうしても不味いようであれば、父に相談すればいいかとショコラは思い直した。
所変わって。この日グゼレス侯爵家には、任務のため地方へと行っていたグラスが久々に帰還した。そして今、執務室にいる父のもとへその報告に来たところだ。
「――グラス、よく帰った。出張りご苦労。」
「はい、父上。只今戻りました。」
騎士団の制服のまま、グラスは団長である父に挨拶をした。こういう真剣な姿を目にすると、やはり侯爵なのだという威厳を感じる。ずっとこの状態でいてくれたらいいのに……。その様子を見ていた弟はそう思った。
「ご無事で何よりです、兄上。」
「そりゃあ無事だろう。特に何があるわけじゃなかったんだ。グラスたちはただの警備強化要員。手薄になる海岸線地域のな。」
今回、船旅で新婚旅行へと出掛けたフィナンシェたちの護衛を、海上師団が行う事になっていた。大袈裟のようだが、フィナンシェが父・ガナシュの外遊に連れ出される時は、いつもそういう待遇をされている。もちろん、要人であるガナシュ一人だけの時だって同じ事だが……
――フィナンシェの価値とは国宝級であり、良からぬ者に身柄を拘束でもされればどんな交渉事に利用されるか分からない。
それが、今回の旅行でも適用されたのだった。
グラスを含む陸上師団の一部は、海上師団の警備が手薄になった海沿いの地域に派遣され、外部に対して睨みを利かせている事を示す役目が主だった。だから、元から危険の危の字も無い任務だったのである。
「そういえば兄上、兄上がいらっしゃらない間に王宮で夜会があったんですよ。」
「ああ、そうらしいな。」
弟のソルベが話し掛けるが、あまり興味は無いらしい。兄は生返事のようなものをしている。
『……フィナンシェ様がいらっしゃらない夜会には本当に興味がないな、この人……。』
呆れ顔で溜息を吐いた弟は、わざと明るく声を張った。
「でも、勿体なかったですよ。ねえ?父上。オードゥヴィ家のショコラ様が珍しく参加なさっていて、それが驚くほどお綺麗で!さすがフィナンシェ様の妹君という感じで……って、聞いてます?兄上!」
「ああ、うん。聞いている。」
やはり生返事だ。今の言葉は本当だろうか……と思いながらも、ソルベは話を続けた。兄が不在の間の出来事を伝える事も、良き弟の務めなのである。
「それで、今度ショコラ様主催のサロンが開かれるそうなんですが、その噂で世間は持ち切りなんですよ!明日からすぐにまた王宮でご出仕でしょう?このくらいご存知なければ、皆の話題にはついていけませんよ。」
得意気な顔をして、彼は講釈を垂れた。
「…“サロン”……。へぇ――…。」
初めて弟の話にぴくりと反応し、生返事だったグラスの声色がわずかに変わった。ソルベは嫌な予感がした。愚兄がまた何か良からぬ事を考えているのでは……
もしかすると、自分は余計な事を言ってしまったのかもしれない。――と、彼は後悔した。
「まっまあ、兄上は興味ありませんよねえ。フィナンシェ様はいらっしゃらないでしょうし!!」
彼は言葉の後半になるにつれ、語気を強めた。どうやらこの話題には、軌道修正が必要な模様……。
「そのサロンはいつなんだ?」
「…知りません。僕も 兄 上 も ! 招待されていませんから。」
「分かった。明日他の者に聞く。父上、それでは失礼いたします。」
「どっどうして…」
グラスは軽く頭を下げて父に挨拶をすると、弟の事など目もくれず部屋から出て行ってしまった。兄を掴もうと出したソルベの手は空を切り、やり場を失くして固まった。兄の興味を薄れさせようという弟の努力は、徒労に終わったのだった。
そしてソルベは、恐る恐る父・フランの方を振り返った。
フランもソルベの方を見て、無言のまま顎でグラスの行った方を指している。『行け』とばかりに――…。
「…………分かりましたよ、見張りでしょ!いつもの…。ああーもう、今のは全部僕の所為ですよ!!」
良かれと思った事が全て裏目に……。ソルベは自棄のように叫んだのだった。
それから数日後。
サロンの開催日は幸先もよく、朝から爽やかな天気になった。
場所は、ショコラの提案により屋敷の中にあるホールから、急遽テラスへと変更する事にした。
「さあショコラ様、今日は気合いを入れておめかししましょうねっ!」
「あまり、華美でなくていいのよ……“お勉強会”なのだし。」
「大丈夫ですよ。清楚で理知的な仕上がりを目指しましょう!」
ウキウキとしながらミエルは燃えていた。今のところ、ショコラを飾り付けられる機会はまだあまり無い。本当は『思い切り!』…と行きたい気持ちを抑え、彼女は他の侍女たちと共に諸々の注文に合わせ仕上げて行く。
……それからしばらくして全ての支度が整うと、ミエルは誇らしそうに胸を張り、ショコラを連れてファリヌのところへ見せに行ったのだった。
夜会用のような豪勢な物ではない、しかし十分に余所行きである軽めのドレス。そこへ普段は付けない髪飾りや首飾り、派手ではない化粧――…。強烈な主張はしていないが、十分に主役となれる出来上がりだ。
全体を観察したファリヌはこくりと頷いた。
「――…うん、いいでしょう。なかなか上手い具合いに仕上げましたね。それでは、本日の先生がお見えになっています。まずはご挨拶に伺いましょう。その後は玄関でお客様のお出迎えをする準備をしますよ。もうすぐ皆様が集まって来られる時間です。あまり余裕がありません、急ぎましょう!」
ショコラは屋敷の中を、あっちへこっちへと連れ回された。サロンはまだ始まってさえいないというのに忙しく、すでに疲れてしまいそうだ。主催者というのが、こうも大変なものだったとは……
そして開始前、最後の仕事となる客の出迎え。そのためにショコラが今いるのは、玄関ホールだ。そこで次々とやって来る相手と顔を合わせ、一人一人に挨拶をする。その最中、扉は開け放されており、招待客たちが外で列をなしているのが見えた。……まだまだ一息吐けそうにはない。
しかし、本番はこれからだと気合いを入れ直していると、見知った顔がやって来た。
「ショコラ様、本日はお招きありがとう。」
「まあ!ミルフォイユ様にサヴァラン様、ようこそお出でくださいました!」
男性が多い出席者の中で、ひときわ目を引く公爵令嬢・ミルフォイユ。その隣には、婚約者であるサヴァランの姿ももちろんあった。初めて会うような相手ばかりと挨拶をしていたショコラにとって、彼女たちはひと時の癒しのような存在に思えた。
「ずいぶん賑わっていらっしゃるみたいですわね。わたくしもサロンは初めてですから、楽しみにしていますわ。」
「ありがとうございます。ご期待に添えると良いですわ。さあ、会場の方へどうぞ。ミエル、案内をお願いね。」
ミエルに先導されテラスへと向かう途中、サヴァランはぺこりとショコラへお辞儀をして通った。
さっきは会話に入る事が出来なかったが……。とりあえず、今日は逃げ出さない事が目標だ。……低過ぎる目標だったが、彼はそれを最低限と決めてやって来ていたのだった。
「――…そろそろ、お招きした方々は大方いらっしゃいましたね。それでは、我々も参りましょうか…」
ファリヌが言い終わりかけた時、新たに来客者が姿を現した。
開け放された扉の向こう。それに気付いたファリヌは少し驚き、凝視していた。そんな彼の様子を不思議に思い、ショコラはその視線の先を追って振り返った。
そこにいたのは……
何と、あのグラスだったのだ。