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そこにグラスがいるのを見たショコラは、ファリヌに耳打ちをした。
「……グゼレス侯爵様って、お呼びしていないわよね⁇」
「当然でしょう。逆に、なぜお呼びする必要が?」
二人の頭上には、同時に『何で来た⁉』という言葉が浮かんでいた。
ファリヌはショコラを後ろへ隠すようにしてッと前へ出ると、いつも通り毅然と対応する。
「これはグゼレス侯爵様、何用でございましょうか。生憎と本日、当屋敷は超多忙にございます。申し訳ありませんが、侯爵様のお相手をしている暇がございません。」
「ええ、知っていますよ。これからサロンが開かれるのでしょう?」
暗に『帰れ』とファリヌは言ったのだが、いつものにこにことした笑みでグラスは全く意に返さない。
その会話を聞いていたショコラはファリヌの後ろからひょっこりと顔を出すと、一言付け足した。
「――あのう、今日のサロンにお姉様はいらっしゃいませんよ?」
「ああ、ショコラ嬢。今日はいつもとは違う装いなのですね。お似合いです。 サロンの事なら、分かっていますよ。貴女が主催と聞いておりますから。」
笑顔だけは素晴らしく、グラスはそう返して来た。ショコラたちはますます分からなくなった。それを分かっていながら来たとは……。
やはり『 ナ ゼ 』の二文字しか浮かばない。
すると今度は、ファリヌがショコラに耳打ちをした。
「……お引き取り願いましょうか?」
ショコラは考えた。
姉・フィナンシェが不在と分かっていても来たのなら、純粋にサロンに興味があったという事なのだろうか……。もしそうでなかったとしても、サロンに参加している間は目の届く所に彼はいる。いくら何でも、勝手に姉を探して屋敷内をうろつくような事は無いだろう――…。
「いえ、いいわ。 グゼレス侯爵様、サロンに参加なさいたいとおっしゃるのなら、ご案内いたします。」
「ありがとうございます。招待を頂いていないのに、申し訳ありません。どうしても興味がありまして、飛び入りさせて頂きたかったのです。」
相変わらず爽やかな笑顔で喋るグラスを見ながら、『この人は一体どういう神経を持っているのだろうか』とファリヌは遠い目をした。その時その後ろからもう一人、焦ったように駆け込んで来る人物がいた。
その人物はショコラたちの所までやって来て足を止めると、息を切らしながらこちらに声を掛けて来た。
「…はあっ……兄が…ご迷惑をお掛けして……、申し訳ありません!…撒いても無駄ですよ、兄上!」
ギロリと睨み付けた時、兄が「チッ」と小さく舌打ちをしたのを弟は見逃さなかった。が、はっと気付いてショコラたちに向かい、姿勢を正した。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。お初にお目にかかります。わたくしは、弟で子爵のソルベ・ダット・グゼレスと申します。愚兄が日頃お世話になっております。」
含みのある言い方……。しかし、人を虜にしようとするようなキラキラとした華やかな笑顔の兄とは違い、親しみの持てる笑顔の弟だとショコラは思った。そしてその言葉に、彼が日頃から苦労しているのだなという事を感じた。
「まあ、ご丁寧に。お察しいたします。それでは、ソルベ様もどうぞ。じきにサロンの始まる時間ですので。」
「えっ!?」
ショコラの返事に、兄を連れ帰る気満々でいたソルベは驚いた。だが、快く(?)どうぞと言ってくれたのを断るのも忍びなく、彼は兄と共にサロンへ参加する事になってしまった。
――…そんな彼らを連れてテラスへと行くと、すでに参加者たちはみな席に着いていて、自分たちが来るのを待っているという状態だった。
そんな中、急遽二人増えて足りなくなった分の椅子を、使用人が用意して来ている様子が目に入った。するとグラスは途中でその椅子を受け取り、恐縮する使用人を前にしながら自分でそれを運び始めたではないか。そして何と、ショコラの席の右隣に陣取ったのである。その様子に、その場の誰もが驚いた。
何を考えているのか分からない……。弟のソルベは警戒して、そんな兄の隣に自分の椅子を置いて座った。
一方でショコラの席の左隣だが、そこは元から義兄・クレムの席だった。そして彼も、やはりグラスの行動を不審に思っていた。
「…ショコラ、侯爵をお呼びしたの?」
クレムはグラスには聞こえないようにと、ショコラへこそりと耳打ちをする。
「いいえ。飛び入りで参加したいとの事で……それなら害もないでしょうし、許可いたしました。」
「ふうん……。」
義兄は、あまり納得が行かないような顔をした。他の参加者たちも、ひそひそと話をしている。
「何故侯爵様がここに……?」
「あの方はフィナンシェ様に横恋慕と聞いたんだが…」
「まさかショコラ様に鞍替えしたのでは……」
兄の醜聞が知られている事に、ソルベは穴があったら入りたい……いや、穴を掘ってでも今すぐに入りたい気分だ。なぜ当事者だけが平然としていられるのか、彼には全く理解が出来なかった。
そうこうしている内に、今回のサロンの先生として呼ばれた歴史学者が沢山の書物を抱えて姿を現した。
「これはこれは大勢お集まりで……わたくしは王宮にて歴史を研究しております、シュトロイゼル・ミモザと申します。皆様、本日はよろしくお願いいたします。え――、それではまず、ガトラル建国からのあらましを……」
講義が始まった。
公爵家の広いテラスで、参加者たちは学者を中心にして半円状に広がって座っている。その最前列の真ん中がショコラの席だ。ミルフォイユとサヴァランはといえば、ショコラから見て右側の最前列の端の方に席を取っていた。
ショコラは学校のような所に通った経験が無いため、こんなに大勢の人間と勉強をするのは初めてだ。……というよりも、自分のために教師を付けて貰った事すら、公爵候補になってからのお話だ。それまでは幼い頃からずっと、家庭教師との勉強が嫌だとぐずる姉の機嫌を直すために、その傍らで彼女の見様見真似をしていた。それで知らず知らずの内に学習していた……という具合だったのだ。後は興味のある事ばかり勝手に調べたりしていたので、その知識には偏りがある。それなりに学はあるのだが、博識とまでは言い難かった。
「…――というのが、これまでの我が国の変遷でございます。」
その辺りまでは、参加者たちはさも当然かのように「うんうん」と頷きながら余裕の表情で学者の話を聞いている。……今回の招待客は、ミルフォイユ以外にはほぼ男性しかおらず、ショコラにいいところを見せたいという心理が働いているのだろう……。真面目に講義を聞きに来たというよりも、自分をいかに賢く見せようかという事にみな一生懸命のようである。
しかし、そんな事など知りもしないショコラは――…
『……やはり皆様、きちんとお勉強なさっていらっしゃるのね……』
参加者たちの真剣そうな様子に、自分もしっかりと勉強しなければと身を引き締めていたのだった。
「え――、それでは次に、我が国を支える貴族家のご説明に移らせて頂きたいと思います。現在の伯爵家以上の爵位家は、建国80年頃までにはすでにほぼ確立されたと言われております。中でも公爵家となると、王家出身の家系以外は全て、建国当時から続く由緒あるお家柄となります。本日の主催であるショコラ様のオードゥヴィ家が、まさにそうでございますね。」
そう言って、シュトロイゼルはニコニコとしながらショコラの方を見た。この学者はヨイショも忘れない人物らしい。
「そして、あちらにいらっしゃるヴァンブラン家と申しますと、現在の爵位制度の基にもなったお家でございます。初代国王陛下のご次男とご三男が王室をお離れになる際、陛下より姓と公爵位を賜りました。その一つがヴァンブラン家でございます。それ以降、新しい公爵家は“ヴァン”を冠する旧王族だけとなっております。 そしてこれが現在、男爵家が出来る時に陛下から新しく姓と男爵位を授けられる、という制度に繋がって参ったのですね。わたくしの実家の男爵家も、こうして出来たものでございます。ちなみに男爵家は一代限りですので、歴史上、過去に何度か同じ姓の家がございますが、これらには特に繋がりはございませんのでお気を付けを。」
この辺りになると、まだ余裕の表情で頷く者や知ったかぶりをする者、そろそろ付いていけなくなりそうな者……とそれぞれ出始めて来た。――そんな彼らを、ファリヌは観察している。密かに、“ショコラの婿候補”を探そうという目論見があったからだ。
その頃ショコラはといえば、学者の話を純粋に『まあそうだったのね』と興味津々に聞き入っていた。その結果、彼女の中で一つの疑問が生まれた。
ショコラは挙手をする。
「先生。では、ヴァンロゼ家はなぜ“伯爵家”なのでしょう?以前ミルフォイユ様から遠縁だと伺ったのですが、今のご説明では納得のいかないところが多々ありまして……。」
するとシュトロイゼルは急に冷や汗を掻き出した。そしてチラチラと気にするように、横目でミルフォイユたちの方を見ている。
「な、なかなか良いご質問でごさいますね、ショコラ様……。えぇ…ヴァンロゼ家というのは……初代陛下のご次男とご三男のお子様同士、つまりはお孫様同士の婚姻により出来たお家でございます。初代陛下がそのお祝いとして、特別に伯爵位を授けたものでして、血統としましては公爵家と変わらぬお家なのでございます……」
「そうなのですね。それでは、ヴァンブラン家ではないもう一方は何というお家なのですか?申し訳ないのですが、わたくしは無知のため存じ上げないのです。」
その質問に、学者の掻いていた冷や汗が、目に見えるほどダラダラと流れ始めた。
「ええ―…それは…その…………」
しどろもどろになり、彼は何かとても言い辛そうにしている。そして困った様子で、ミルフォイユとサヴァランの顔色を窺っている……。
何をそんなに気にしているのだろうか――…?と、ショコラは思った。
「先生、結構よ。お続けになって。」
その時、ミルフォイユが平然とした態度で助け舟を出した。
「私たちには構わず、どうぞ。」
そう促したサヴァランも、いつになく真剣な面持ちで落ち着いている。
それらを聞くと、シュトロイゼルはようやく安心したようだった。彼は流れ落ちた汗をハンカチで拭うと、改めて話を続けた。
「……そのもう一方というのは、…“ヴァンルージュ”と申します。初代国王陛下のご次男ご三男は、双子のお子様でございました。……そして、そのヴァンルージュ家は現在、……存在いたしません。」
サロンの会場がざわついた。旧王族の公爵家が存在しないとは……さすがのショコラも不自然だと思った。由緒ある家というのは、そう簡単に消えるものではない。そうならないように手を打つのが当然だからだ。
すると、次に学者が口を開くよりも先に、別の人物の声がした。
「――取り潰されたから、でしょう?」
それはショコラの右隣――…グラスの声だ。そう言った彼は、不敵な笑みを浮かべている。
その時彼女は、その場の空気が凍り付いたのを感じていた。