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血筋良し、見栄え良し、都でも一二を争うモテ男、少将、守近《もりちか》の屋敷正門を入ってすぐに、 外界と内とを隔てるかのように、小さな門がある。そしてそれには、南北へ伸びるよう、渡り廊下が繋がっていた。
この中門《なかもん》に繋がる廊下──、すなわち、中門廊《ちゅうもんろう》を歩めば、客間のある母屋となる寝殿へ、さらに、奥へ進めば、主の正妻──、北の方の房《へや》が存在する棟《むね》、北の対屋《たいのや》へと行き着く。
さて、その廊に、一台の牛車《くるま》が寄せられていた。牛車の格といい、直寄《じかよ》せする様《さま》といい、女人の来訪なのだろう。
ただ、招かれざる客なのか、待機する屋敷の従者達は、なにやら沈んでいた。
その客人。
何故か、屋敷の女主《おんなあるじ》、徳子《なりこ》の房に、我が物顔で座っている──。
「それでは、お人払いを」
と、気位の高そうな、細面の女が、垂れる御簾の向こう側へ声をかけた。
「徳子様、この度の、斉時《なりとき》様の件、さぞかし、戸惑われておられるでしょう?そのお気持ちは、分かります。ここは、お方様──、安見子《やすみこ》様にお任せいたすのが、一番かと存じ上げますが」
後ろに控える、どうも垢抜けない、のっぺりとした面立ちの従者らしき女が口をだす。
と、御簾の中から、鈴を転がすかのような徳子の……ではなく、ニャーンと小さな鳴き声がした。
「あら、安見子様。こちらに、おいででしたか」
「徳子様っ?!」
安見子と呼ばれた細面の女と、のっぺり面の女は、共に、房の入り口を望んだ。
「木更津《きさらず》!だから、房に、女房もいないというのは、おかしいと、言ったではありませんか!」
「はあ、しかし、北の方ともあろうお方なら、北の対におられるはずで……。御簾も降りていましたし……」
「この様《ざま》ゆえに、受領《ずりょう》の娘と見下されるのです!」
主人と従者の争いを遮るように、徳子が声をかける。
「まあ、斉時《なりとき》様の北の方、安見子様がお目見えとのことで、私《わたくし》寝殿の客間で、お待ちしておりましたのに。まさか、私《わたくし》の房に入り込まれているとは思ってもみませんでしたわ」
はんなりと、ではあるが、しかし、どこか棘のある物言いは、来訪者の怒りを買うのに十分なものだったようで、安見子は、かっと目を見開き、物言おうとする。
が、それより先に、徳子が動いた。
「猫に向かって、おひとりで、お連れの女房までも、喋っているのですから、驚きましたこと。さあ、出ておいで、お前も、恐ろしかったでしょう」
御簾をくぐり抜け、白地に黒のぶち柄猫が現れた。
「な、何故、猫などが、御簾の内にっ!」
「だって、私《わたくし》が、飼っているのですもの」
惚けて見せる徳子に、付き添う女房達は、含み笑った。
「さあさあ、お方様、此方へ。いつまでも、お立ちになられていては、お体に触れますよ」
「そうね。私《わたくし》、身重ですから、体に気をつけないと。ふふふ」
徳子は、これ見よがしに、腹部を庇うよう手を添えた。
そして、まるで、安見子などいないかのように、その前を横切ると、促されるまま御簾の内へ座したのだった。
「いやぁー、徳子《なりこ》様、なかなかやるねぇ。うちのが、縮こまっているよ」
「そうですよ!斉時《なりとき》様。うちのお方様は、やるときは、やるんですからぁ!」
「ほぉー、初めて見るなぁ、あのような、徳子姫の姿」
「おっ!守近、惚れ直したか?」
「しいっー!斉時様!お静かに。気付かれてしまいますよぉっ!」
「おっと、紗奈《さな》、そうだな」
房《へや》を間仕切る几帳《ついたて》の裏で、斉時、守近、女童子《めどうじ》紗奈の三人が、徳子《なりこ》達の様子を伺っていた。
「しかし、もとを正せば、斉時、お前のせいだろう。ゴタゴタを、持ち込んでくれて……」
「そう言うな。まさか、うちの安見子《やすみこ》が、乗り込むとは、思ってもいなかったのだ。どうも、あいつ、お前さんの所に、敵対心があるようでなぁ。おまけに輿入れしたにも関わらず、いつまでも、受領《ずりょう》の娘と、いじけておるのだよ。まあ、動きを嗅ぎ付け、先回りできたのだ、感謝しろ」
などと、他人事のように語る斉時でだが、三人が隠れる几帳の向こう側では、正妻通しの、底知れぬ意地の張り合いが繰り広げられていた。
「あっ、安見子様、猫ちゃんにまで、あたっていますよ!もう、武蔵野様は、関係ないのにぃ!」
「守近よ、武蔵野とは?」
「例の猫騒動。結局、今は、武蔵野の呼び名で落ち着いているが、これまた、どうなることやら」
「あー!猫に、お前達夫婦の名前をつけて、検非違使《けびいし》が、勘違いした、あれか?!」
「そうそう。そして、猫の次は、斉時、お前だ」
はぁ、と、守近は息をつく。
遡ること、三日前──。
厄日である、物忌《ものい》みの日に、守近の屋敷へ斉時が、現れた。
穢《けが》れを避けるため、屋敷は作法通り、御祓《みそぎ》に即《そく》していた。それにも関わらず、斉時は、自分も、向かい先の方位が悪いと、方違《かたちが》えに来て、守近の屋敷に泊まったのだ。
そもそも、吉の方位にある屋敷に泊まり、行き先の方角の吉凶を調整するのが、方違えなのだが、わざわざ、災いが起こりやすい凶が出ている守近の屋敷を選ぶとは、何を考えているのやら。
そうして、見事に、大凶、が出た。
斉時が、徳子付きの女房、橘《たちばな》と、一夜を過ごしたのだ。そこは、男女の仲の話。守近も、徳子も、追及するつもりはなかったのだが、しかし、屋敷は、御祓中。少しは、控える事を知らぬのかと、思いきや、斉時、自分の屋敷のごとく、自由気ままに動いてくれた。
事もあろうに、朝を迎えても橘を側に置き、さらに、情事の後のまま、つまり、一糸纏わぬ姿で、闊歩《かつぽ》したのだ。
その姿に驚き、倒れる、屋敷の女人達の為、医師《くすし》を呼びに行く斉時。
何故か、自身の姿に気がついておらず、皆が倒れる原因を作っているとも気がつかぬまま、守近の屋敷を飛び出した所で、出くわした、都の番人、検非違使に捕まった。
そうして、再び、守近のもとへ、戻って来たのだった。
「全く、腰に手拭いを巻きつけて、現れたお前には、私も参ったよ」
「ああ、実に、検非違使の手拭いが、役に立った。しかし、あの者、どうして、頬被りしていたのだろう」
「あー、斉時様。それは、わからんちんの、髭モジャ男だからですよ」
「へぇー!あやつが!噂の!」