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ネットプリントは20枚にも上った。陽葵本人に見せようとウキウキしながら翌朝、水姫が席に座っていると──信じられないことが起こった。 陽葵が黒髪で登校してきたのだ。行動が極端すぎる。水姫は「あっ」と声を上げそうになって、すぐに口をつぐんだ。一体どうしたのかと声を掛けに行きたいが、周囲の目を気にして席を立てない。友達なんじゃないのか、この少心者が、と机の下で拳を握り締める。
「えっどうしたの陽葵!急に黒に染まっちゃって!」
結局友達もどきに先を越されてしまった。
「急に真面目ぶっちゃって!失恋か?失恋でしょ?星くんに振られたんでしょ!?」
肩に手を回され、陽葵は鬱陶しそうに払いのける。
「違うよ、飽きただけ」
ウィッグだったとは流石に言えないようだ。でも髪の色を変えるなんてよくあるイメチェンだ。揶揄われるのは最初だけだろう。むしろ黒髪の方が、水姫の言った通り似合っていて良い感じだし、清楚系で男子人気もますます上がるに違いない。何なら星くんにも注目されるのでは──そう思ったのだが。
「え〜金髪の方が良かったのに!」
ある男子の駄々をこねるような声を皮切りに、皆が口々に不満をもらし始めた。
「だよね、あんま似合ってないっていうか」
「正直ちょっと芋感あるかも」
「なんでうちらの相談なしにやっちゃったかなぁ……」
ダンッ、と机に何かを激しく叩きつける音が響いた。水姫もそれほどの怒りを感じていたので、一瞬自分がやったのかと錯覚しそうになった。
陽葵が、下ろしたリュックをじっと見つめている。表情は見えないが、じりじりと怒りを感じる。いや、怒りというより悲しみかもしれない。
教室には冷えた空気が流れている。
「ちょ、何キレてんのw」
「より陰キャ感凄いからやめなってw」
馬鹿にしたように笑う人や、引いたような表情をしている人。悪いのは周囲なのに、なぜか陽葵が悪いことにされている。
異常だ。陽葵は以前自分のことを異常だと言っていたが、今はこの教室の方がずっと異常だ。
「……ごめん、ちょっとトイレ」
話が通じないと諦めたのだろう、陽葵は教室を出て行く。水姫も慌てて、今更のように席を立った。もう手遅れかもしれない、それでも絶対にこのまま一人にしてはいけないという使命感に駆られていた。
「んだよ、びっくりさせんなよw」
「トイレ行きたすぎてキレたのウケるw」
幸い教室にはざわめきが戻り、水姫が後を追ったことは誰も気付かないようだった。この期に及んでまだ周囲の視線を気にしている自分が情けない。だからせめて早く陽葵に寄り添ってあげなければ、そう思った。
廊下に太陽はいない。となると例の準備室で間違いない。鍵が閉まっているので、驚かせないようにそっとノックすると、陽葵の怯えた声がした。
「青井さん……?」
名前を出すな。もし先生だった場合、こっちも説教に巻き込まれるだろ。と自己中なツッコミをしつつ、自分が来ることを少しでも期待してくれていたのが嬉しくもある。
「そうだよ」と答えると、ガチャリと鍵が開いた。水姫が入ると、ドアのすぐ横に陽葵が体育座りでうずくまっていた。
「……大丈夫?」
「大丈夫じゃないかもしれない」
まだ怯えた様子だ。途端に申し訳なさでいっぱいになり、水姫は腰を屈めながら頭を下げた。
「ごめん、私が大野さんらしくいてほしいとか、きっと黒髪も似合うとか、変に押し付けたから……まさかこんなことになるなんて……大野さんを取り巻く状況を甘く見てた……」
「違う、青井さんは何も悪くない。ああ言ってもらえて嬉しかったし、だからやっと自信を持って黒髪で来れたの。悪いのはあいつら。いや、あいつらなんかに負ける私。いつもみたいに笑い流せば良かったのに、あの程度でムキになって、情けない」
陽葵は顔を歪め、ぐしゃりと自分の髪を握り潰した。せっかくのサラサラの黒髪が。かなり迷ったが、どうしても食い止めたくて、水姫は陽葵の手にそっと手を重ねた。
「それも違うよ。あんなの誰だって傷付くし、一瞬でも正直な気持ちを出せたのは良いことだよ。大野さんが自分に正直になっていける度、私は嬉しいよ」
「青井さん……」
髪の隙間から覗く、陽葵の縋るような瞳と目が合う。
なんだか良い雰囲気だ。このまま落ち着ければ──と思ったのだが、そう上手くはいかないようだ。
陽葵は水姫の手を静かに払った。なぜ。
「正直に喋ってもいいの?」
なぜ発言も許可制。
「いいよ」
「じゃあ言うけど」
陽葵は遠くの景色に視線をやった。
「私、陰キャとか陽キャって言葉で人を侮辱したりカテゴライズするのが嫌なんだ。人それぞれの個性があるはずだし、明るい人にも暗いところが、暗い人にも明るいところが、予盾した面があって当然だから」
すごく良いことを言っている。
「なのにあいつらは何でも一概に括る。陽キャは何を言っても良くて、陰キャのことは見下してもいいと思ってる。自分勝手な理屈だよ。だからこっちも見下してやればいい、無視してやればいい、そう思うのに……あいつらに見下されるのが怖くて敢えて関わってきた。あいつらが悪口言ってる時も……」
間が空く。言いづらいことなんだと予想がついて、水姫は身構えた。
「例えば、青井さんの悪口言ってる時、私は黙ってることしかできなかった。……いや嘘、少し同調してた」
水姫は理解した。わざわざ手を払った理由を。陽葵は自分を責めて、一人で苦しみ続けているのだ。
「ハンカチ踏んだ時パニックで逃げたって言ったけど、あれも嘘。自分のことを優先した。意図的に青井さんの気持ちを踏みにじった。結局いじめる側に回っただけだった。同類だった。だから青井さん、もう私に関わらない方がいいよ」
「それは私が決めることだよ」
思ったより力強くはっきりした声が出た。それだけ水姫は本気だった。少し怒りもあったかもしれない。陽葵のした行動がというより、陽葵を苦しめてきた陽葵自身に対して。
勝手に決めつけて苦しむのは、水姫が何よりやりがちなことでもあったから。
「ちゃんと謝ってくれたし、平等に接してくれたよね。関わりたいと私に思わせてくれたのは、紛れもなく大野さんだよ。大野さんの個性は変わらないままだよ」
「そっか、そうだね」
陽葵の目に輝きが戻った気がした。陽葵は確かめるように頷いて、ゆっくり立ち上がった。
「ありがとう、話聞いてくれて」
「ううん、聞く為に来たから」
「じゃあ最後に一つ聞いていい?」
「いいよ」
「黒髪と金髪、どっちがいいと思う?」
そんな、金の斧と銀の斧みたいに問われても。
「えっと……ウィッグで蒸れる心配がないから黒髪かな?」
「やっぱそうだよね。しばらくこのままでいくか」
気合いを入れるように宣言し、陽葵は水姫に笑いかけた。
「巻き込みたくないから先戻ってて、後から行く」
「ごめん、一緒に戻るよとも言えなくて……」
「いいんだよ、お互い演じるものがあるんだから」
陽葵は力強く拳を突き出してきた。
「頑張ろう、学校生活」
「うん、頑張りすぎない程度に」
水姫も拳を突き合わせて──改めて感じた。自分の弱さと向き合っているから、この人は強いのだと。
それからというもの、陽葵はクラスで浮いた存在になった。全く話さないわけではないものの、ほとんど混ざらず、一人で突っ立っていることが多くなった。休み時間に席で本を読んでいる時もあった。
それでも水姫は教室では関わらず、その代わり昼休みになると二人で準備室に集まった。お弁当を食べながらアイスクマの話をする。これほど楽しいことはなかった。
「昨日のアイスクマは激熱だったね。まさか地下の冷凍室に住んでたなんて」
「日光を避ければ100年生きられるんだね。でもその代わり、地上に住んでる人間の友達には永遠に会えないっていう……」
「せめて二次創作では、リモートで繋がった絵を描いておこう」
「流石神!」
「やめて、神は原作者だけだから」
「リスペクトを常に欠かさない!流石神ファン!」
「どうもどうも」
アイスクマのイラストの更新が夜なので、翌日会った時に昨晩のイラストについて話し始めるのがお決まりになった。
更新がない日は、例の異世界転生ヤギの小説の話もした。
「ヤギが自分が食べてしまったラブレターを魔法で生成する瞬間は感動ものだったね」
「しかもそれが実は自分宛だったっていうね。あれは胸キュンだった〜」
「あ一魔法っていいなー、私も異世界に転生したい」
「そんな、まだ何十年も残ってるよ!諦めないで!」
「そういう青井さんはどうなの」
「私もまあ……憧れはするけど」
「一緒にトラックに轢かれたら同時に転生できんのかな」
「ちょっ物騒なことやめて!?」
それらのやり取りは現実逃避を含んでいる為、決して学校の話はしなかったが。あのイケメンの星くんが7股していると発覚した時は、流石に話さずにはいられなかった。
「関わらなくて良かったね大野さん……あの時カラオケ行ってたら危なかったよ」
「いや、そもそも行く気なかったし」
「そうなの?ビッグチャンスだったのに」
「逆に青井さんが迫られたらどう?なんか怪しいなってならない?」
「それはそうかもだけど……」
「私は最初から危ない予感してたよ」
流石だ。
「にしても、皆どんな面があるか分からないものだね」
「ほんとだよ。鬼ごっこしてたあいつだって」
「ああ、あのバネ仕込んでた人」
「家では親に敬語使ってて、一言でも逆らったら殺されるらしい」
「ええ……だからその反動であんなことになってるのかな……」
「だからといってハンカチを破っていいことにはならないけどね」
「でもなんか可哀想というか、鬼ごっこ程度に収めてるのが可愛く思えてきたかも」
「絶対嘘じゃん」
「まぁ嘘だけど」
噂をすれば、廊下から「アハハハ!今度はバナナを仕掛けてやったぜー!」と高笑いが聞こえてきて、二人で顔を見合わせて笑い合ったりした。
そんな日々が二週間ほど続いた、ある日の日曜日。
陽葵からLIMEで『昨日買い物行ったらガチャガチャあった!やりに行こう!』との報告を受け、二人は再びショッピングモールに出向いた。お目当てのガチャガチャを前にして、二人のテンションは最高潮に達していた。
「うわー嬉しすぎる!もうできないかと!」
「私たちのアイスクマへの愛が通じたのかもね」
「へえ、大野さんもそういうこと言うんだ」
「なっ、私を何だと思ってんの……」
「だって大野さん、前にアイスクマでテンション上がってる私を冷めた目で見てたからさ」
「いやいや、いつの話……」
「『学校と違いすぎ、流石にドン引きだわ』みたいな」
「言ってないって笑 あの時は照れ隠しというか、まだ心からアイスクマへの愛を出せなかったというか……」
もごもごと口ごもる陽葵が可愛らしくて、水姫は満面の笑顔で100円玉を10枚出す。
「絶対コンプリートさせようね」
「うん、最速を目指そう」
「まあまあそう焦らずに。何が出るか楽しみ〜」
「何が出ても良いけどね。むしろいくら被っても良い」
「ちょっ、そういうこと言うと本当に被りまくる可能性が……」
水姫の心配は杞憂に終わり、被りはたったの一回だけだった。交互にカプセルを回し、カプセルが出るごとに喜び、全5種のラバーストラップはすぐに出揃った。
「やったー!やっぱ二人でやると強いね!」
「マジでこれ最速だ!ギネスだ!」
「流石にギネスはないと思うけど笑 大野さんはこの中でどれが欲しい?」
「え、コンプリしたかったんじゃ?」
「形だけできれば十分だよ。私は何でもいいから、先に選んで」
「そっか。じゃあこれとこれと……」
陽葵はアイスクマが涙と共に流れていっているものと、四角い氷の中でコールドスリープしているものを選んだ。陽葵らしいチョイスだ。
水姫はアイスクマがかき氷にされたものと、溶けて耳がもげて丸くなっているものをGETした。これで2個ずつ。
最後の被ったデザインは通常態のアイスクマ。これは一番欲しいやつだ。陽葵も狙うようにじっと見つめている。
「これを分ければ丁度だね。お揃いになっちゃうけど大丈夫?」
「私はいいけど、青井さんはいいの?」
「勿論。むしろ同士の証って感じで嬉しい」
言ってから、図々しかったかなと不安になる。すると陽葵は「確かに」と笑って、それを自分のリュックにつけた。学校に持っていっているのと同じリュックに。
「えっ、いいの?」
「青井さんが言ったんだよ、自分に正直になれって」
「強制はしてないけど……」
それに人の発言に自分を委ねすぎるのもどうなのか。眉をひそめていると、陽葵はおかしそうに笑った。
「大丈夫、自分で決めたことだから。青井さんにはただ、背中を押してもらっただけ」
どうやら自分は背中を押せていたらしい。確かに最近の陽葵は、今までより生き生きしている気がする。試行錯誤で頑張ってきた会話や行動が役に立てていたのなら、それほど嬉しいことはない。
──ただ、気がかりなこともあった。ほぼ二人だけの日常、水姫にとってはありがたいが、陽葵は果たして本当にこれでいいのだろうか。
人見知りで、騒がしい人たちと付き合うのが苦痛だったとはいえ、元々人と関わるのが好きな部分もあると思うのだ。自分以外の色んな人と楽しそうに話している陽葵も見たい、そんな勝手な思いがちらつく。
「私も筆箱につけようかな」
「いいね」
「そういえばさ」
「ん?」
「大野さんって部活入らないの?」
思い始めたら止まらなくて、唐突に聞いてしまった。
「なんで?」
「いやぁ、大野さんあれだけイラスト描いてたら、イラスト部とか良いんじゃないかなって」
「えっそんな部活あるの?」
今まで知らなかったのか。
「あるよ、アニメとか漫画のイラストが廊下にずらりと飾ってあるよ。好きなイラスト描き放題だよ」
「そうなんだ、楽しそう」
断りそうだと思ったが、意外にも陽葵は乗り気だった。自分を出せるようになってきたことで、共に意欲も上がっているのかもしれない。これは勧める絶好のチャンスだ。
「良いと思う!いつでも入部募集してるみたいだし、明日にでも覗いてみるのも……!」
「あーでも、そこでも私浮きかねないしな……」
「大丈夫、きっと皆優しいよ。好きなことを貫いてる者同士、大野さんと波長が合うかもだし」
「分かった、覗くだけ覗いてみる」
勧誘成功だ。心の中でガッツポーズしていると、陽葵が顔を覗き込んできた。
「青井さんはイラスト描かないの?」
「描けないんだ、私画伯だから」
「画伯!?なら絶対入部するしかないって!」
「違う違う、とんでもなく絵が下手って意味だよ……!!」
陽葵は少し天然が入っている気がする。そこも含めて陽葵の良さだ。
今日も太陽の色んな面を見ることができた。
「それじゃそろそろ……」
前回のようにさっさと帰ろうとして──水姫は踏み留まった。自分も陽葵を見習って、変に遠慮せず自分に素直でいたいと思ったのだ。
「どこか行きたいところある?」
「うーん、特には……」
「じゃあ私、ゲームセンター行きたい」
「えっ」
余程意外だったのか少し驚いた顔をしてから、「いいよ」と陽葵は先立って歩き出した。おそらく喜んでいることが背中越しに伝わってきて、言ってみるもんだな、と水姫は自分の成長を嬉しく思った。
そうしてUFOキャッチャーをかれこれ1時間くらいした。特に何も取れなかったが、友達と一緒というだけでとても楽しかった。
「うおーいっけえ!」
「あーっ惜しい!でもナイスプレー!」
「よし、次青井さんやって」
「え一私下手だって!」
「下手なりに取ってみて」
「どういうこと!?」
かつての自分からは考えられないようなはしゃぎ方をしながら──いつまでもこんな日々が続けばいいのに、とまるで恋愛ドラマによくあるような台詞を、水姫はしみじみと思った。
──けれど、人は変わっていく。永遠なんて存在しない。
水姫や陽葵は確かに変わった。根は変わらないものの、人前で自分を出せるようになったことは大きな変化だ。
これから先、どんな変化が訪れるのか。いつまでこうしていられるのか。
楽しさの裏で、水姫は何となく、漠然とした不安を感じていた。