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公爵家の令嬢であるカーネ・シリウスは、聖女候補でもあるティアン・シリウスの妹である。ストロベリーブロンド色の髪を持つ姉とは違い、髪も瞳も茶色く地味な雰囲気の女性だ。幼少期に顔面をオーブンにぶつけてしまった事で左側に大きな火傷の痕が残っているからか、シリウス公爵家の中では肩身の狭い思いをして暮らしている。
彼女が生まれたシリウス公爵家はソレイユ王国に古くから仕える一族であり、『五大家』と呼ばれる五つの家門のうちの一つでもある。約五百年程前、初代の聖女であるカルムに仕えていた五人の神官達を祖に持つ五大家には、『神の赦し』であり『神の祝福』の証であると、太陽の神殿に属する者達が主張している『聖痕』を持つ者が多く生まれる。
五大家の祖となった神官達がまだ健在であった、その当時。太陽の聖女・カルムの夫であった月の大神官・ナハトの酷い裏切りで心を痛め、カルムは祭壇の前で自害したとされている。多彩な能力を持つことで、初めて『祝福』を得て『神の愛し子』となっていた聖女の自害は太陽神・テラアディアに怒りと悲しみをもたらし、神はそれを境にヒト族を見限って御身を隠し、人々は神の『加護』を失った。
直様、聖女に仕えていた五人の神官達は必死に神に赦しを請うた。『聖女にも事情があったのだ』と『愛情深い聖女であったが故に、夫の心変わりに耐えられなかったのだ』と。
彼らの強い願いは神へと届き、四人は『赦しの証』であり『祝福』でもある『聖痕』を授かり、一人は初代聖女と同じ髪色と神力を得て、彼らは『五人の聖人』として尊敬を集める事となる。
彼らの力は初代聖女・カルムの足元にも及ばぬものではあったものの、『聖痕』の持ち主となった四人はそれぞれがその『聖痕』に応じた才能を発揮し、まるで何かに取り憑かれたかの様に民衆に対し献身的に尽くし始め、ストロベリーブロンドの髪色と神力を得た一人は二代目の聖女となって民衆を導いた。
彼らの功績は各国の王族達にも認められ、『五人の聖人』達は彼らの祖国・ソレイユ王国にて“公爵”の地位を得た。だがそれは『聖痕』有りきのもので、二代に渡りその家門に聖痕の持ち主が現れなかった場合は“侯爵”家へ降格される。その為、建国時代から王家に仕える最古参の貴族であるセレネ公爵家とは違い、五大家は少し不安定な立ち位置だ。それでも『五人の聖人』を祖に持つ一族として民衆からは高い支持を得続けているのだが、『五大家』の中では、侯爵家への降格は侮蔑の対象となる。
『お前達は、神からの愛を失ったのだ』とされ、家門内では人としての扱いすらも受けなくなる為、『聖痕』の存続は五大家共通の命題となった。
『“聖痕”の無い者は人間にあらず』とは、五大家に居るとよく聞かされる言葉の一つだ。その言葉を体現するかの様に、聖痕の無い者の扱いはぞんざいだ。
運が良ければ聖痕の持ち主の婚約者となり、聖痕を持つ子供を産む為の孕み腹となるか種馬となる。年近い者がいなかったりで溢れた者は、太陽の神殿の奥にある五大家専用の娼館に落とされ、昼間はひたすら太陽神に祈りを捧げ、夜は五大家の者達の慰み者になった。
娼館の者達から聖痕持ちが生まれても、救い上げられるのは聖痕持ちの子供だけ。子種を与えた者も、産んだ者も、どちらも娼館から出る事が出来ないまま一生を終える。
そんな救いの無い扱いを受けるが、彼らは『人間』ですら無いのだから文句も言えないのだ。
——十八年前。そんな家門に双子の赤子が生まれた。
彼女らの父であるクレヴォ・シリウスは“王冠”の聖痕を持ち、高いカリスマ性を発揮して多くの者達から支持されていた。母であるイェラオは“魔法陣”の聖痕を持ち、魔法の扱いに長けていた。三歳年上の兄・アエストは“本”の聖痕を持つ知恵に溢れた人物であったそうだ。
一つの家門に三人もの聖痕持ちが共生している事例は一度も無く、当時のシリウス公爵家は栄華の最骨頂にあった。五大家の中でも最も尊厳と力を集め、その権力はもう、『王家すらも脅かす程なのでは?』と噂されていたくらいだ。
新緑が国中を優しく彩り始めた季節。朝のまだ早い時間にイェラオは産気づいた。深夜からずっと何時間も続く陣痛に堪え、一人目が母胎からその小さな頭を出すと、直様シリウス家は歓喜に沸いた。残念ながらその女児に聖痕はなかったが、赤子の髪は“聖女の証”とされるストロベリーブロンド色だったからだ。聖痕持ちよりも、更に希少な存在の誕生の瞬間に立ち会った者達の喜び様は、まるでお祭りの様だった。
『聖女様の再来だ!』
『五百年ぶりの快挙よ!』
『王家と神殿に連絡を!今夜は祝杯だわ!』
大いに周囲が沸き立つ中、イェラオの出産はこれで終わってはいなかった。出産の痛みを少しでも緩和しようと、一人目の時点でもう魔力は使い切ってしまっていたので、強烈な痛みが腹の奥から彼女を襲い、全身から体力と気力を容赦無く奪っていく。助産師は一人目の誕生とその対応に気を取られていて側にはおらず、補助も無いままに二人目の出産をせねばならなくなった。三年前に長男を産んだ時よりも腹が大きいとは思ってはいたが、誰も双子だとは考えてもいなかったので、まだまだこの苦しみが続くのかと思うと気を失いそうになる。痛みで叫び声をあげたくなるが、公爵夫人としてのプライドが優って、ひたすらイェラオは耐えた。
必死に呼吸を整え、ニ人目の出産を自力で続ける。幸いにして二人目は頭も体も随分と小さかったおかげで、後に“ティアン”と名付けられた長女よりもスムーズに産む事が出来た。
何度もゆっくりと深呼吸を繰り返し、イェラオは『…… もう一人、産まれたわ』と助産師達に声を掛けようとした。だが、すぐに口を閉じ、徐々に彼女の表情が険しいものへと変わっていく。産声もあげる事なく、羊水で濡れたままの髪は茶色で、本来なら胸元に現れる聖痕すら持たない子を目にし、イェラオの口元がワナワナと震え出した。
(何なの?このゴミは)
聖痕を持つ夫、自分、跡取り息子。そして今日は聖女の証を持つ女児が生まれた。理想的で完璧な家族だ。…… なのに、目の前にはもう一人、赤子が転がっている。臍の緒はまだ彼女と繋がっているから、どうしたって間違いなくイェラオが産んだ子供だ。なのに少しも可愛いとは思えない。一人で苦労して産んだのに、『この子も間違いなく私の子よ』とは考える事が全く出来ない。目の前に転がるモノは『完璧な我が家を破壊する不純物である』と、頭の中で不快な声が響く。
『始末しないと、早く、こんなモノはいらないわ、邪魔なだけ…… 』
ブツブツとそう言いながらイェラオは近くにあったクッションを掴むと、一切の迷いもなく、生後すぐの赤子の上にそれを置いた。そして力の限り上から押し付け、小さな鼓動を、尊い命を、無情にも奪おうとする。一人目の誕生の歓喜に皆が浸る中、ゆっくりとゆっくりと、二人目の子供の命が実母の手で奪われていく。
聖女の証である髪色ではなかった。
聖痕が無かった。
ただ、その程度の理由で。だけど“五大家”に生まれた者にとって、聖痕の有無はそれ程までに重たいものなのだ。産後すぐであっても尚美しい顔を悪魔の様に歪め、母親は不純物と見做した者の命を身勝手な理由で刈り取ったが後悔は無かった。むしろ、『確実に悲惨な人生を歩むであろうモノを、母として真っ先に救ってあげたのだ』とさえ彼女は思っていた。皆も賛辞する素晴らしい行いを成し遂げたのだと。
こうしてカーネ・シリウスは一度目の死を迎えた。
だがその死は生後数分という間も無い頃に起こった為、この事実は本人ですら知らない。