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「ごめんね、変なことに使っちゃって」
先輩はアーケードを出て大きな道路を渡った先の、小さな公園でようやく俺の腕から手を離して、そう口にした。
俺はまだ先輩の感触の残る左腕に右手をやりつつ、
「彼氏って、どういう意味ですか?」
「あぁ、ごめん、気にしないで。あたしさ、彼氏と約束があるからって言って、いつもあの二人を置いて先に帰ってるんだ」
だってあの二人、他人の悪口を言い始めたら止まらないから、面倒臭くって、と先輩――アヤナさんはどこか寂しそうにそう言った。
「じゃぁ、彼氏ってのは」
「いないよ? いても面倒臭いだけだし」
あっけらかんと言うアヤナさんの言葉に、俺は胸の奥がズキリとした。
けれどそれと同時に、アヤナさんには彼氏はいない、その事実に安堵もした。
「まぁ、そういうワケだから」
アヤナさんは赤いショルダーをかけなおして、
「それでキミは、なんであたしのあとをつけてたの?」
「えぇっ!」
思わず声を漏らしてしまった俺に、アヤナさんは苦笑いしつつ、
「気づいてないとでも思ったの? 学校を出たところから、ずっとついてきてたでしょ?」
「あ、いや、それは、そんなつもりはなくて」
「なに? ストーカー? この変態!」
はっきりと口にしたアヤナさんは、けれどニヤリと笑みを浮かべて。
「……冗談だよ」
言って改めて俺の腕に手を回した。
「え、えぇっ? な、なんですか、いったい!」
「デートだよ、デート。朝、裏の通用門教えてあげたでしょ? なんかおごってよ」
そんなことを言われてしまっては、俺も断りようがなかった。
「はぁ、わかりました……」
頷く俺に、
「ホントに? やった! 美味しいケーキ屋さん知ってるんだ。はい、行くよ!」
アヤナ――先輩に引っ張られて、俺たちは公園をあとにした。
アヤナ先輩にケーキをおごった俺は寂しくなった財布の中身を今一度確認してからポケットにしまいつつ、二人並んで帰途についた。
デート……とは名ばかりで、街から少し離れた場所にある『パティスリー・アン』というケーキ屋さんでケーキを食べた俺たちは、そのまま素直に帰宅することにしたのだった。
本当に、ただ、ケーキを一緒に食べただけ。
道中にまともな会話はなく、手を繋ぐなんてことも当然のようにありはしなかった。
それでも俺にとってその時間は、とても幸せなひと時で――
「ありがとね、本当におごらせちゃって」
どこか申し訳なさそうに口にするアヤナ先輩に、俺は、
「いや、大丈夫です。気にしないでください」
精一杯の笑顔を、彼女に向けた。
会計の時、アヤナ先輩がおもむろにふたり分の代金を払おうとし始めたので、俺は慌ててそれを止めて、代わりにお金を払ったのだ。
「冗談だったのに」と口にしたアヤナ先輩だったけれど、おごると答えた手前、このままでは格好がつかないと思ったのだ。
「ほんとに、ありがと」
再び礼を述べて微笑むアヤナ先輩の姿に、俺はやっぱり見惚れてしまう。
次に出る言葉が思いつかなくて、けれど目を離すこともできなくて。
「なに? どうかした?」
「……いや、なんでもないです」
俺は首を横に振って、再び前に顔を戻した。
それからしばらく無言で歩き続けた俺たちだったが、
「――うち、こっちだから」
小さな十字路でアヤナ先輩は立ち止まり、右の方を指さした。
俺はなんと答えればよいのか解らず、
「あ、はい」
と短く返事する。
そんな俺に、アヤナ先輩は輝くように笑顔になると、
「じゃぁね!」
大きく手を振り、背を向けて歩き始めた。
俺はその背中を見つめながら、思わず右手を伸ばして――けれどその手は虚空を掴んだ。
『じゃぁ、彼氏ってのは』
『いないよ? いても面倒臭いだけだし』
あの会話が脳裏を過って、呼び止めることなんて、できなかった。
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