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確かに、橘《たちばな》の言うよう、手に抱える掛布には、妙な臭いが染み付いている。
牛の臭いと汗臭さを混ぜたような、いったい、これは何の臭いだと、叫びたくなるものだった。
ともかく、臭いに、耐えながら、常春《つねはる》は、晴康《はるやす》の所へ急いだ。
紗奈《さな》の事と、いい、琵琶法師の事と、いい、屋敷が放火されるかもしれない事と、いい、とにかく、気がかりな事ばかりだったが、橘に、任せるのが最善と、割りきって、塗籠《ぬりごめ》へ足を向けた。
……そういえば、あそこには、外から錠前が、かかっていたはず。
ふと、肝心な事を思い出す。鍵は、家令《しつじ》の詰所にある。では、そちらへ──、いや、何かしら、詰所にも裏があるはず。今は、立ち寄らない方が良いだろう。
晴康が、先に行っているのだ。鍵は、すでに手に入れているかもしれない。
とにかく、塗籠《ぬりごめ》へ、行けばわかること。
──案の定、錠前は、開けられており、常春は、扉を開き中へ入った。
ぎっしりと、詰め込むように、置かれている、幾十もの、唐櫃《からびつ》の、蓋は全て開けられており、晴康が、座り込んで、何かに目を通していた。
目的のもの、を、見つけるために、ここまで一人でやったのだろう。術、を、使ったのかもしれないが、では、何のために。
座り込んで、何かの書き付けを、読みふける、晴康の様子が、妙に目に焼き付いた。
大切な物ではあるが、それは、屋敷に取って、の、話であり、晴康には、関係のないことだ。
違和感に教われ、常春は、晴康に声をかけた。
「……やあ、遅かったね」
「そのお陰で、目的のもの、を見付けられたのだろう?」
自分でも驚くほど、常春の口は動いていた。
ふふ、と、晴康は、笑い、
「ああ、橘様には、勝てないな……」
と、つぶやく。
「で、何を見ていた!」
何故か、常春の口調は、キツくなり、いつの間にか、晴康を責めていた。
言った常春も、戸惑っている。晴康は、友であるのに、その、友を詰問するかのように、いや、無意識の内に、疑っている。
実は、晴康が、黒幕ではないのかと──。
そんな、あり得ない。
常春の危惧を見越した晴康は、あーと、大きなため息をつくと、
「うん、ここに、私の欲しかったモノが、仕舞われていた。でも、この屋敷にとっては、それは、邪魔なモノ、あっては、いけないモノ、なんだよ」
「欲しいとか、あっては、いけないとか、何を言ってる!晴康!どうゆうことなんだ!」
力む常春から、晴康は、視線を反らした。
「晴康!!」
何かを、隠している。そんな事、言われなくても、今の晴康を見れば、誰でもわかるほど、晴康は、余所余所しい。
「晴康!何を隠しているんだ!!」
「……私自身のこと……」
言う、晴康の胸元に、書き付けが、幾つか、ねじ込まれている。
「お前!晴康!お前!どうゆうことだ!何で、御屋敷の物を、お前が、持ち出す!!」
驚き、よりも、怒りからか、常春は、抱えていた、掛布を、思い切り、晴康めがけ投げつけると、襲いかかるように、その、華奢な体を押さえつけにかかった。
晴康の体は、ぐらついて、それを押さえ込もうとした、常春共々、床に転がった。
「見逃してくれ。いや、これだけは、私の手元に、置いておきたいんだ!もう、これ以上、置いてきぼりは、こりごりなんだよ!!」
押さえ込もうとしている、常春の体の下では、晴康が、抵抗する訳でもなく、しかし、精一杯、心の底からの叫びを吐いている。
友の、乱れ具合に、常春は、息を飲む。未だかつて、この男は、これ程の、素、を見せた事があるだろうか。
いつも、沈着冷静を失わず、どこか、世の中を斜めに見ていた、あの落ちつきは、何処へ行ったのだろう。
「……晴康」
「常春、なんなんだよ、この匂い!臭すぎる!!」
投げつけられた、掛布に、視線を移す晴康の頬には、涙が、伝っていた。