「な……なんだよこれ!?」
アビゴールが、明らかにたじろぐ。奥歯を噛み締めて、一歩、二歩と後退する。
「ば、ばかな! あり得ねえ! 落ちこぼれの出がらし魔術師に、こんなメガトン級の魔力があるはずがねえ!!」
「それはおぬしの聞いた噂話であり、あくまでも想像であろうて。実際に目の前で起こっていることを信じずに、一体全体なにを信じるというのじゃ?」
「だ、だが! しかし! うっ…うわあああああああああっ!!」
「では、我々は先に退避するからのう。あとは神々しくも儚い、我の花火を存分に満喫するがよかろう。あくまでも、一人でな」
イビサは俺の腕を取ると、一人でぶつぶつとなにやら呪文を唱える。
するとどうだろう。一瞬目の前が真っ暗になり、次の瞬間には薄暗い、物静かな住宅街の一角に移動していた。
「はあ……はあ……」
呆然として、俺は左右に首を振り、自分が今どこにいるのかを確かめる。
……ここは、多分俺んちから結構近いところだよな……うん、あの建物なんか見覚えがある。
「して」
俺から手を離すと、イビサは手を自分の両膝につき、はあはあと肩で息をする。
あれ? なんか疲れている?
もしかして瞬間移動の魔法って、そんなに体力というか魔力? を使うのか?
「友作の家は、一体全体どこなのじゃ? 転移魔法は、転移する場所にいったことがあり、なおかつしっかりと道程をイメージできておらねば、使えぬからのう」
「そんな感じなんだ。じゃあ今から案内……って、そうじゃねえ!」
思わず俺は、声を荒らげてしまう。
「なにさっきの大規模魔術!? なんかもうあれって、アルマゲドンだよね!? インドラの矢だよね!? つかあの辺り一帯はどうなったの!? 巨大クレーター!? 消滅!? 周りの住宅は!? そこに住んでいた罪なき人々はどうなったの!?」
「落ち着くのじゃ」
「これが落ち着いていられるかーっ!」
「安心せい。あれは単なる目眩ましじゃわい」
「目眩まし?」
俺はばかみたいに口を開くと、もう一度ばかみたいに同じ質問を口にする。
「目眩まし?」
「実はのう、あやつが言った通り我には魔力がほとんどないのじゃ。今みたいな転移魔法であったり、薄弱な魔術防壁であったりなら可能じゃが、相手を攻撃、あまつさえ殺傷するような魔術は、これっぱかりも使えはせん」
イビサが手で目元をこする。
一瞬自分の不甲斐なさに涙でも流しているのかと思ったがそんなことはなく、その後のあくびを目にして、俺はただイビサが眠いだけなのだと察する。
よく見てみると目の下に濃くて黒いくまができてしまっている。
「じゃあ……つまり……さっきの火の玉は、ただの幻影? みたいな」
「つまりそういうことじゃ。光を操り、あたかも火の玉が落ちてきたような現象を見せただけのこと」
いや、そもそも魔術の使えない俺からしたら、ただそれだけでも超すごい気がするんすけど……。
「うっ」
弱々しい声を出すと、イビサがその場に崩れ落ちそうになる。
とっさに俺は、イビサの肩に腕を回して、そんな彼女を支える。
「お、おい……大丈夫か? やっぱり瞬間移動の魔術って、そんなに体力を消耗するのか?」
「いや……そうではない」
「そうじゃないって……じゃあ……」
イビサが青白い顔ではあはあと息を切らす。
どこからどう見ても体調が悪そうだ。
「まさか、呪いとか死の宣告とか、なんかそういう系か!?」
「活動限界じゃ。部屋から出て外で活動するのが久しぶりじゃったものでな」
は?
「さらに言えば、人とこれほどまでに接したのも一体全体何年ぶりか……」
こいつ……まさか……。
「やはり外の世界はいかんのう。ごりごり体力を持っていかれるわい。人とかかわるのも、煩わしくて仕方ない。ああやっぱり我の友は書物以外にありはせんのじゃな。それが再確認できただけでも、不承不承ながら『チキュー・ニッポン』にきたかいがあったというものじゃ」
――俗に言う引きこもりのだめ人間じゃね!?
「すまぬが、地図をもらうついでに、しばしの間、友作の家で休ませてはくれぬか?」
「お、おう。……まあ別にいいけど」
「かたじけない」
「さあいくぞ。しっかり俺の肩につかまれ」
自宅のアパートにつくと、イビサが顔を上げて外観を確認する。
なんとなく俺も、イビサにつられたというわけではないが、改めて自分の住むアパートへと視線を巡らせてみる。
築四十年超えの、趣のある外観。
屋根は瓦屋根で、外壁は木目が哀愁を誘う、板張りだ。
全体的に黒っぽくて、そのためなのかどこか朽ち果てつつあるような雰囲気が漂っているように見えなくもないが、なんてことはない。ただ劣化防止のニスが施されているだけで、別に木が腐っているとかではない。
俺の部屋は一階で、アパート出入り口に一番近い、いわゆる角部屋に位置する。
よく部屋の前を人が通ったり、かんかんかんと誰かが階段を上がったりする音なんかも聞こえてきたりはするが、そんなものこの俺にとっては全く問題ではない。
なぜならば、俺は普段部屋にいる時は常にヘッドフォンを装着し、アニメやらアニソンやらキャラソンやら公式生配信やらドラマCDやらを、延々と流し続けているのだから。
「……これが、友作の家か?」
「お、おう」
うっ……この流れ。絶対にばかにする流れだ。
倉庫だーとか、ペットの家でももっと豪華じゃろ? とか。
「なんというか……どこの世界も、格差社会が喫緊の問題なのじゃな。なんと世知辛い」
うわぁ……思ったよりリアルで、なんか吐き気がしてきた……。
部屋に入ると俺はイビサを座卓の前に座らせて、冷蔵庫からペットボトルのコーラを取り出す。
その間にイビサは、部屋を取り囲むように並べられた棚へと視線を巡らせている。
もちろん棚に並べられているのは、俺の命より大切なオタグッズだ。
漫画、ラノベはもちろんのこと、ブルーレイディスク、マグカップ、シャツや置き時計なんかもあったりする。
特に大切なのはフィギュアで、それらに関しては全面ガラス張りの、御神体よろしく両開きの棚にしっかりと丁寧におさめてある。
「……なんというか」
グラスにコーラを注ぐ俺の背中へと、イビサが呟くようにして言う。
「ものすごい本の数じゃ。友作は、読書家なのじゃな」
「ははは……まあ」
……漫画とかラノベとかアニメの設定資料集とかを『読書』と呼ぶんならな。
「ところで」
イビサの前にしゅわしゅわと小気味よい音を立てるコーラを差し出しつつ、俺はなにげない口調で切り出す。
一緒に持ってきたペットボトルは、話の邪魔にならないように座卓の脇にそっと置く。
「地図の前に、ちょっと確認いいか?」
「確認? まあよいが……一体なんじゃ?」
イビサの了承を得たところで、俺は一度頷いてから口を開く。
「イビサとかあのアビゴールとかいうやつは、異世界……ようはこの世界とは別の住人ってことで間違いないよな?」
「うむ。その認識で間違いない。我は友作たちで言う異世界の、王国カタメニアからやってきた使者で、先ほどのあやつ、アビゴールというのか? あやつは我らがカタメニアに敵対する魔王国、イェ・インサナビリスの刺客じゃ」
「そこなんだけど」
冷静を装うためにも、俺は自分のコーラを口へと運ぶ。
イビサもそんな俺の行動を真似るようにグラスを手に持つと、音を立てずにコーラをすする。
「うおっ!?」
するとイビサが、まるで話の腰を折るようにして突然素っ頓狂な声を出す。
「なんじゃこの飲み物は!? 舌がぴりぴりするぞ! しかもなんという甘さじゃ!」
「お、おう。コーラっていうんだ。この世界で一番うまい飲み物だ」
「コーラ……というのか。うむ、これには度肝を抜かれたわい。……しかしとてつもなく甘いな。我々の世界だと、いけ好かない貴族連が茶に砂糖なんかを入れたりもするが、おそらくはそれよりも、十倍ほど甘いのではないか?」
うん、多分、それで合っているから。
多分それぐらい、砂糖がどばどばと入っているから。
「話を戻すけど……」
イビサのグラスにコーラを注ぎつつ、俺は脱線した会話を元のレールへと戻す。
「さっきアビゴールが俺のことを『勇者候補者』とか『転移前は無能力』とか、そんなことを言っていたけど……もしかして俺って、異世界に転移する予定だったりするの? そんで転移したら、なんか神さまとか女神さまとかから加護的なものが付与されて、向こうの世界では超最強の無双になるとか?」
「驚いた」
音を立ててグラスを座卓の上に置くと、イビサがぽかんと口を開けて俺を見る。
「おおむね……いや、それで合っておる。友作はなぜそれを知っておるのじゃ? まるで我々の世界、つまりは異世界に、精通しておるみたいに」
「いやぁ……」
ラノベとかでよくある設定ですのでー……なんて、言えない。
「まさしく友作は転移候補者であり、勇者候補者じゃ。次の召喚か、その次の召喚かは、神のみぞ知るところではあるが、いつかは必ず我ら人間族側に召喚されて、やがては魔王軍を圧倒し、世界を平和に導く担い手になることであろう」
しかし……というと、イビサはため息をつき、頬杖をついてから視線をそらす。
「こともあろうに魔王サタナスは、定期的に送られてくる勇者に対処するために、友作たちの世界、『チキュー・ニッポン』に刺客を送り込み始めたのじゃ」
「刺客って、ようは暗殺者……。くそぅ……どうしてそんな」
「決まっておろう。転移前の勇者は概して無能力で、なんの才能もない、どうしようもない人間だからじゃ。よって転移前ならば、まるで赤子の首をひねるがごとく、たやすく亡き者にできると、そのように考えたのじゃろう」
あれ?
今俺すっげーディスられた?
なんかすっげー貶められて、人間性をけちょんけちょんに踏みにじられたような気がしたけど、気のせい?
まあいいかと最大限にスルースキルを発動すると、俺は首を左右にふりふりしてから続ける。
「で、イビサがそんな魔王軍側の刺客から俺を守るために送られてきた、人間側の使者ってなわけだ」
「うむ。まあ、そんなところかのう」
座卓の上にのっていたチョコパイに手をのばすと、イビサが勝手に食べ始める。
目を輝かせて、なんと美味な! とか、やはり少々甘すぎるが、この刺激がたまらぬ! とか、一人でぶつぶつ言いながら。
「……で、どうして俺を守ってくれないんだ? さっきだって、アビゴールに対してさっさと殺せとか、とんでもないことを言っていたし」
「決まっておろう。はようカタメニアに帰還して、小説……読書の続きをしたいからじゃ」
「読書……ねえ……」
心底疑念を込めて、半眼でイビサを見る。
「な、なんじゃその眼差しは。そんな目で我を見るでない」
「本当は、あれだろ? あれ」
「あれとはなんだ? はっきり言わんかい」
「魔力がなくて、戦えないから……だろ? というかさっき自分で言ってたし」
「ぐぬ……」
顔をそらすと、イビサがすーすーと、尖らせたくちびるから息を出す。
どうやら口笛を吹こうとしているみたいだ。吹けないくせに。
「あれ、本当なんかい……」
俺の落胆を見たイビサが、どこか投げやりな雰囲気を醸し出しつつ言う。
「ああそうじゃそうじゃ! 我の魔術の源泉はとうの昔にすっからかんじゃ! 先ほどアビゴールも言っておったであろう。零落した一族であると。その通りじゃ。我の一族ヴァレンティーヌ家は、代を重ねるごとに徐々に、なぜか魔力を失った、落ちこぼれ一族なのじゃ。じゃが勘違いするな。昔は、本当に素晴らしい魔術師の家系だったのじゃ。国王直属魔術師団に所属しておったし、弟子も数え切れぬほど抱えておったし……」
まるでしおれるように、イビサの言葉尻が弱々しくなっていく。
悲しそうな顔に今にも泣き出しそうな表情。
過去形であることからも、今現在イビサの一族は王直属からもはずされて、弟子も去っていってしまったのだろう。
もしかしたら魔力を失ったことにより、なにか他に嫌なこととか不都合なこととかがあったのかもしれない。
いずれにしても、これ以上はつい今しがた出会ったばかりの俺が踏み込んでいい領域ではなさそうだ……。
とはいえ、これだけは聞いておきたい。
最後に俺は、申し訳ないとは思ったが、心傷の渦中にあるかもしれないイビサへと質問の言葉を口にする。
「じゃあ、どうしてイビサなんだ? 勇者候補ってことは、世界の存亡にかかわる超重要な存在だよな。だったらなにがなんでも絶対に守らなきゃならないし、そのためにはどんなやつにも負けない超強い使者が送られて然るべきだよな? それなのになんで魔力を失った、このどうしようもない、出がらしすかんぴんの、ちんちくりんイビサなんだ?」
……ごめん。
心傷中だからお手柔らかにいこうと思ったけど、さっきディスられたのがまだうずいていて、つい本音が出ちゃった。
ほんとごめん。
「……それはだな、あくまでも実験だったからじゃよ」
「実験?」
頷くと、イビサはもう一つチョコパイを手に取り、もぐもぐと食べ始める。コーラもぐびぐびと飲む。
本当に落ち込んでいるのか、よく分からなくなってくる。
「召喚術の研究は進められていたので、その逆の『チキュー・ニッポン』に人を送る魔術についても、おおむね確立されていた。じゃが実際に人を送るのは今回が初めてじゃった。じゃから、我が選ばれたのだ。一応魔術師であり、一応魔法が使える、そんな端くれみたいな存在である、我が」
「それって……」
「そうじゃ。ようは失敗してなにかあっても、戦力やら軍事やらに特に影響がない、そんな人物が我だったということじゃ」
それは……かなりひどいな。
正直はたから見ても、あまりの理不尽さに腹が立ってくるって。
「そんなの、断ればよかっただろ? だってそれってもしも転移が失敗していたら……」
「色々あるのじゃ。いわゆる政治的なもの、というのがのう。国王直属魔術師団の長を務めていた……元老院に一議席持っていた……そういう因縁は、本人の意思に関係なく後々まで影響が及ぶというものじゃ」
よく分かんないけど……上に立つ者とか、強い影響力があった者とかって、なんかそういう一般人には想像もできないような『責任』とか、その後の『余波』みたいなのがあったりするものなのか……?
「く、食えよ」
むしゃくしゃした俺は、座卓の上にのっていた残りのチョコパイを差し出す。
「こういう時は、チョコパイ食っとけば笑顔になれるんだよ」
「まあ確かに……これは思わず笑みがこぼれるほどに、美味であるのう」
ズボンのポケットの中でスマホがぶるぶると震えたのはこの時だ。
こんな時間に一体誰からだろう……スマホを取り出して画面を確認してみると、バイブはメッセージや通話を知らせるものではなくて、アラームのそれだった。
アラーム?
十二時二十五分に……って、これって!
すぐに思い出す。
『めがこく』の放送のことを。
もしもなにかあった時の場合にと、念の為にアラームを放送の五分前に設定しておいたことを。
「あぶねえっ! 俺としたことが、『めがこく』のアニメ初放送を見逃すところだった!」
「おおっ。『めがこく』とは、先ほどのあのかわいい人物画の。……して、アニメとはなんぞや?」
「世界でもっとも尊い、最高のエンターテインメントであり、芸術だ」
テレビの電源を入れながら、思わず俺はにやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべる。
もしかしたら目にテレビの画面の光が病的に四角く反射しているかもしれない。
でもそんなものはどうだっていい。
だって俺は『めがこく』を愛しているのだから。
ひいては、アニメ・オタ文化を愛してやまないのだから。
気持ち悪いからと他の人の目を憚る羞恥心なんて、とうの昔に一切合切置いてきたわ。
そしていよいよ、テレビのデジタル時計が十二時半を示すと同時に、待ちに待った『めがこく』の放送が始まる。
ファンタジックで壮麗な異世界の世界描写に、天空を飛翔する勇壮なドラゴンの姿。
キャラの書き込みは半端なくて、その線の多さには目を見張るものがある。
動きもぬるぬるしているし、音楽もかの有名な女性作曲家節満載だしで、否応なしに血湧き肉躍るわっくわくとどっきどきがせり上がってくる。
「おおおおおおおおっ! 上がるなこれ! 作画、超気合入っているじゃん!」
「おお! 絵が……絵が動いておるぞ! なんじゃこれは! 中におるのか!? 中に入っておるのか!?」
一驚を喫したイビサがテレビに近づき、横から見たりうしろから見たりを繰り返す。
「ちょっ! じゃま! じゃまだから! ほら俺の嫁! エンジェラたんの初登場シーンだから!」
白の魔法衣を着たエンジェラが、押し寄せる魔王軍に対峙する。
魔王軍は圧倒的で、人間族の敗退は目に見えている。
エンジェラの目には覚悟の光がある。それは死を受け入れたが故の、最後の命の光――
「ああ尊い! そして原作だと、ここで主人公が現代から転移してくるんだ!」
さあくるぞ!
くるぞくるぞ!
さあこい!!
天空に巨大な魔法陣が出現する。
突然の事態に、額に汗を浮かべて、見るからに動揺するエンジェラ。
警戒した魔王軍も皆一斉に足をとめて、ただただ事の成り行きを見守る。
満ちる光に、耳をつんざく轟音。
眩い光が薄れて、姿を現したのは……現したのは…………。
激しい衝撃と共に俺のアパートが大爆発を起こして木っ端微塵の消し炭になったのは、もう少しで主人公とヒロインが出会う、いうなればアニメの一話の一番いいところだった。
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