テラーノベル
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あの礼拝堂の衝突から、数日が経っていた。ゆっくりと考え、まずは一言謝ろうと森へと足を踏み入れた僕は、小さく首を傾げた。
「…あれ?」
照さんが、見当たらない。
「こうちゃん、照さんは…?泉?」
『、あー…。』
近くに居たこうちゃんに声をかけると、彼は人の姿へと変わるとあからさまに困ったように視線を泳がせ、頭を掻きながら、歯切れの悪い返事が返ってくる。
「照にぃなぁ…ちょっと今、留守中やねん。」
「お出掛けですか?」
「えっ?まぁ…うん、そんな感じ、?っはは…。」
どこか無理に作ったような笑顔。不審に思って視線を巡らせるけれど、いつもなら軽口を叩く翔太さんも何も言わず、ただ気まずそうに目を逸らす。涼太さんも、困ったように小さく微笑むだけだった。
(皆、知っていることなんだ。)
だけど、誰も詳細を話そうとはしない。その事実が、胸の奥に小さな棘となってチクリと刺さる。
(やっぱり…僕が拒絶してしまったことがきっかけなのかな…。)
「今日は、照さんに用事があったので…失礼しますね。」
僕は一礼をして、帰路に就いた。
重い足取りのまま森の出口まで歩いていると、不意に後ろから静かで低い声がした。
「佐久間。」
「わあっ!?」
肩を跳ね上げて振り返ると、そこにいたのは、端正な顔をした背の高い男性で。上下共に黒い服。艶のある黒髪には、一筋の白のメッシュ。
「あ…えっと…、もしかして…?」
「うん、蓮。」
初めて見る、人の姿の蓮さんだった。相変わらず感情の読めない無表情。けれど、そのサファイア色の瞳だけが、いつになく真剣な光を宿して僕を見つめていた。
「少しだけ、話してもいい?」
「……はい。」
森の道中。木々が鬱蒼と生い茂り、人間の気配も他の魔物の気配も一切届かない静かな場所。蓮さんは少しだけ険しい空を見上げ、それから静かに口を開いた。
「照、なんだけど。」
その名前が出ただけで、僕は思わず背筋を強張らせた。
「照は、…フェンリルと人間の混血なんだ。」
「………そう、なのですか?」
「だから、普通の幻獣とは少し違う。」
少しだけ、世界が静止したような間が空く。蓮さんは僕を真っ直ぐに見据え、その唇を動かした。
「照は今──」
その瞬間、ざぁっと激しい突風が木々を揺らし、枯れ葉が僕達の足元を激しく転がっていった。蓮さんはその間も、僕に真実を明かした。
「………え?」
言い終えた不在の理由の意味を、脳が理解するまで数秒掛かった。
蓮さんは淡々と話を続けた。
「今照が居ないのは、多分その所為。だから、」
蓮さんは僕を真っ直ぐに見つめ、諭すように言った。
「照はちゃんと戻ってくる。心配しないで。」
「…、はい。」
蚊の鳴くような声で返事をすると、蓮さんはそれ以上何も言わずに一度だけ小さく頷いて踵を返した。ふわっと白い霧が彼を包み、いつものユニコーンの姿へと変わる。彼は数歩歩いてから、ほんの少しだけ立ち止まり、振り返らずに言葉を落とす。
『…照は昔から、自分の感情を抑えるのだけは上手かった。それを変えたのは…君だよ。』
それだけ言い残して、彼は森の奥の闇へと消えていった。蓮さんからすれば慰めのつもりだったのかもしれない。でも、今の僕にはその言葉が、まるで《君の所為で、照は今も自分を殺して苦しんでいる》と責められているようにも聞こえて…僕の心臓を冷たく、深く突き刺した。
僕は一人、暗くなり始めた修道院への道を歩いていた。 視界が涙で滲みそうになるのを必死で堪える。その時、背後から僕を呼ぶ明るい声が響いた。
『大ちゃーん!』
振り返ると、夜の闇を炎の翼で鮮やかに照らしながら、こうちゃんが近付いてくる。
「こうちゃん、?」
『遅なってごめんな!照にぃの代わりに今日は俺が送ったるよ!』
「、ありがと…。」
『なんや今日は元気なかったなぁ?寒いん?魔法かけたろか?』
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう。」
力なく微笑む僕を見て、
『…大ちゃ、』
こうちゃんが何かを言いかけた、その時だった。彼の身体がピクリと反応する。
次の瞬間、彼は唐突に右の翼を激しく振り上げ、僕の周囲にゴォッ、と凄まじい炎の壁を昇らせた。
「!?…こうちゃん、っ?」
『熱かったらごめんな。…でも、じっとしとって?今は俺しかおらんから。』
「どういう、…!?」
いつものおちゃらけた雰囲気は完全に消えていた。珍しく真剣な声音で僕を庇うように両翼を広げ、周囲の闇を鋭く睨みつける。
がさがさと不気味な音を立てて草むらから湧き出してきたのは、狂暴な魔獣──ワーグの大群だった。その数は、十匹や二十匹ではない。
『うわぁ…思ったより多いなぁ…。』
「こうちゃん!」
『大丈夫やでー!知らんけど!…あ、いや、大ちゃんは絶対守るから、安心しぃ!』
こうちゃんは言い終わると同時に翼を一振りし、炎の嵐を巻き起こした。凄まじい熱風とともに、火炎がワーグの群れを包み込む。だが、多勢に無勢。飢えた魔獣たちは炎に身を焼きながらも、炎の隙間を掻い潜り、本能的に僕を狙って襲いかかってくる。
『やらせへんて!!』
こうちゃんは素早く旋回しながら鋭い嘴や爪を使い、物理攻撃でも必死に応戦していく。けれど、死角から次々と襲いかかる影に、一人ではどうしても手が回りきらない。
「あっ、…!!」
数匹のワーグが、炎の壁を完全に突き破って僕の喉元へと跳びかかってきた。逃げ場のない中で訪れた絶命の瞬間──。
『大ちゃん!!』
ドスッ、と肉を裂く鈍い音が響く。悲痛な鳥の鳴き声が夜の森に響き渡る。
こうちゃんが僕の前に割り込み、その鋭い牙の全てを自身の身体で受け止めていた。
「こうちゃん!!!」
『退、け やぁぁあああ!!』
彼は自身の身体に噛み付いたワーグどもを引き剥がすように、全身の魔力を爆発させ、文字通り身体の炎を燃やして敵を焼き尽くした。ボロボロになりながら、それでも僕の前に立ちはだかる大きな鳥の背中。目に見えて、限界だった。こうちゃんは、掠れる声で魂を振り絞るように、長の名前を叫んだ。
『照にぃ………照にぃいいいいいい!!!』
救いを求める、切実な叫び。その声に応じるように、夜の闇を切り裂く一陣の氷風が奔った。
『──康二、一人でよく耐えた。』
地響きのような低い声とともに、凄まじい威圧感を放つ銀狼──照さんが、そこに降臨した。
「照、さん…っ!」
思わずその名前を叫んだ僕の声なんて、彼の圧倒的な存在感に掻き消されてしまう。照さんの身体から立ち上る魔力は、いつもの冷徹な氷のそれとは明らかに違っていた。肌を焦がすような、どろりとした濃厚で狂暴な『熱』。見開かれた黄金の瞳は、暗闇の中で爛々と飢えたように輝いている。
照さんが一歩、地を踏み締めた瞬間、周囲の空気が凍りつくような錯覚を覚えた。ガルルル、と喉の奥から地を幾重にも這うような唸り声を上げたかと思うと、照さんの巨体が閃光となって動いた。
あれほど僕達を追い詰めたワーグの群れが、文字通り紙切れのように引き裂かれ、凄まじい氷の刃によって一瞬で凍結し、砕け散っていく。圧倒的な、蹂躙。
「あ…、」
呆然と立ち尽くす僕の目の前で、数十匹いた筈の魔獣たちの身体は、ものの数秒で一匹残らず黒く霧散していった。
静寂が戻った夜道。ハァ、ハァ、と荒い獣の息遣いだけが響く。照さんは、ゆっくりと人間の姿へと戻っていく。
けれど、その佇まいはいつもと違っていた。肩を大きく上下させ、肌は赤みを帯び、額からは異常なほどの汗が流れている。ただその目だけはいつもの黒ではなく黄金色に染まっていて、まだ狂暴な光を失っていない。
『照にぃ…、』
ボロボロになったこうちゃんが、安堵したようにその場にドサッと倒れ込み、炎の壁が薄くなっていく。
「康二!」
「こうちゃん!」
『あかん…もう動かれへん…てるに…後、お願いしてええ?』
「…あぁ、分かった。」
照さんの頷きを合図にこうちゃんは目を閉じると、その身体がキラキラと光の粒子となって風へ流されていく。
「こう、ちゃん…?こうちゃん!?」
『だぁーいじょうぶやって…泣かんといて。』
弱々しく放たれた言葉を最期に、光は…全て消えてしまった。
遺されたのは一枚の羽根。僕が目の前の光景に絶句している中、照さんはそれを手に取ると、
「行くぞ。」
そう言って住処へと引き返した。
「え…?こうちゃんは…、」
混乱する僕を振り返ることなく、照さんは低く言った。
「説明は後だ。今は来い。」
コメント
2件
すごい…!続きが気になります…!
水瀬菜音
11,918
#岩本照
絶対辰哉
525
#BL
うさみみ
20