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アリスさんの家から歩いて十数分。
私たちは、あの狐面の親子と出会った稲尾神社の階段をふたり並んで登っていた。
暑い日差しが降り注ぐ中、アリスさんは着ているロリータ服に合わせたような、淡い色の日傘をさして歩いている。
これほどの暑さの中で、けれど不思議とアリスさんは汗をまるでかいていないようだった。そのどこまでも白い肌は陽光に弱そうな気がしていたのだけれど、よほどしっかりした日焼け対策でもしているのか、アームカバーとかもしてはいなかった。
それどころか、気のせいだろうか、アリスさんのそばを歩いていると、どこかひんやりとした風が吹いている。まるでエアコンから吹く冷風のようだ。でも、そんなはずはない。ここは屋外で、まだまだ暑い夏の真っただ中。けれど、気のせいだと結論付けてしまうにはあまりにも風は涼しくて――
「……大丈夫ですか?」
突然、アリスさんに訊ねられて、私は慌ててアリスさんの方に顔を向ける。
「あ、いえ、はい、えっと……何がですか?」
するとアリスさんは微笑しながら、
「いえ、何だかぼうっとしてらっしゃったので」
私は「あ、あぁ」と答えて、作り笑いを浮かべる。
「こ、こんな暑い中、長い階段を登ってたから、ですかね? ちょっと疲れて」
「確かに、そうですね」
言ってアリスさんは、すっと私のすぐ隣――ほんの数センチのところまで寄ってくると、その日傘の中に私を入れてくれながら、
「これで、どうですか?」
にっこりとほほ笑むアリスさんの小柄な身体から、とても甘い香りが漂ってくる。間近で見るアリスさんの顔はとても綺麗で、可愛らしくて、どこまでも澄んだ青い瞳は見ているだけで吸い込まれてしまいそうなほど不思議に輝いていた。銀に近い白の、ウェーブのかかった髪もあまりに美しくて、これだけ近いとついつい見惚れてしまう。
「少しは涼しくなりましたか?」
「え、あ……」
日傘の下は、あり得ないくらいに涼しかった。まるで室内にいるかのような、そんな感じだ。あれだけ肌を焦がしていた強い陽射しすら一気に弱まった気がする。いや、明らかに弱まっている。いったい、これは、
「なんで……?」
「――魔法です」
アリスさんは、冗談のように口にした。
「ま、魔法?」
「えぇ」
それからアリスさんは、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
「実は私、魔法使い――魔女なんです」
「……」
私はその言葉に、しばらく開いた口がふさがらず、思わずその場に立ち止まってしまう。
もちろん、そんなのは冗談に決まっている。魔法なんてものがこの世に存在するはずがない。
まして魔法使いや魔女なんてものは絵本やファンタジーなんかの妄想の中の存在でしかなく、実在する魔女というのは、少なくとも私の知る限り、薬草を調合したりおまじないの類をおこなう、昔ながらの巫女やシャーマンにあたるような人たちのことだ。
けれど、アリスさんの周囲は確かに不自然なくらい涼しくて、ひんやりしていて、陽射しも明らかに弱くなっていて。
これらを日傘のおかげだ、なんて言えるはずもないほど、明らかに日傘の下と外は別世界のようだった。
「いや、でも、そんなはずは――」
と私が口にしたところで。
「あ、アリスさん!」
と階段の上の方から声がして、私もアリスさんも、そちらの方に顔を向けた。
その瞬間、私は思わず目を見張る。
そこには、昨日、境内で目にしたお面を頭にかぶった、小さな女の子の姿があったのだ。
見た目は至って普通の女の子だった。紫色のスニーカーに茶色い短パンを穿いており、着ている白いシャツにはまるで手描きされたような文字で『MAGIC』という文字がプリントされている。
長い黒髪を後ろで束ねたその少女は、その髪を上下に揺らしながらスキップするように階段を下りてくると、満面の笑みでアリスさんと同じ目線のところで立ち止まり、私の姿に気が付いたのか、
「あれ? 昨日の人」
と私の方に顔を向けた。
「やっぱり、真奈ちゃんだったのね」
ため息交じりにそう口にしたアリスさんに、その小さな女の子――真奈ちゃんは「うん」と頷いて、
「昨日、お兄ちゃんと遊びに来たときにね、この人に会ったんだ」
そうか、昨日のあの狐面の女の子はこの子だったんだ。あの時は顔にお面をつけていてどこか不気味な感じだったけれど、こうしてお面をしていない姿はやっぱりただの子供でしかない。一緒にいたあの男性はどうやらこの真奈ちゃんとやらのお兄さんだったらしい。
やれやれ、何とも人騒がせな女の子だ、人を驚かせるようなことをして、何だか微妙に腹立たしい。
そんな私の気持ちなんて知る由もない真奈ちゃんは、「ぷぷっ」と吹き出すようにひとつ笑って、
「そっか、それでアリスさんのところに相談に行ったんだね」
と何かに納得したように何度も何度も頷いた。
何だろう、いったいどういう意味なんだろう。思わず首を傾げてしまう。それと同時に、どこか馬鹿にしているような物言いに若干ムカっ腹が立ってくる。
「カケル君は?」
アリスさんに訊ねられて、真奈ちゃんはどこかバツが悪そうに、
「……今日は、いない」
とごにょごにょと聞き取り辛い声でそう答えた。
その途端、アリスさんの表情がわずかに曇った。
不機嫌、というよりは、少しばかり眉根を寄せて、子供を心配する親のような表情で、
「ダメでしょ、真奈ちゃん。絶対にひとりで行っちゃダメって、約束したでしょう?」
「……うん」
これは、いったい何の会話なんだろうか。部外者である私には何が何だかよく判らない。とりあえずひとりで遊んでいたのを叱られている、というのは何となく解る。まぁ、こんな鬱蒼とした木々に囲まれた神社で子供がひとりで遊ぶだなんて確かに危険かもしれない。不審者が潜んでいそうな場所もたくさんあるし、何かあったときに助けを呼ぼうとしても階段の下までその声が届くとも限らない。もしかしたら、それこそそのまま神隠しにあう、なんてことも考えられる。
「もう、絶対にひとりで行かないこと。あっちに行きたいのなら、必ず真帆ちゃんか私と一緒に行くこと。約束よ?」
「……はぁい」
少しばかり頬を膨らませ、それでも納得いかなそうな表情で、真奈ちゃんはしぶしぶといった様子でそう答えた。
……これはたぶん、全然わかってない顔だ。
アリスさんもそれが解っているのだろうが、けれどそれ以上んことを口にすることはなかった。その代わりに、
「――彼は、帰ってきてる?」
「……うん。あの祠にいる」
「そう、ありがとね。気を付けて帰るのよ?」
「うん」
真奈ちゃんはちらりと私の顔に目を向けると、挨拶することもなく、そのままアリスさんの脇を抜けてたたたっと階段を駆け下りていったのだった。
それを見て、アリスさんは小さくため息を吐きながら、
「……本当、どうしたらいいのかしら」
誰にともなく、小さくそう呟いたのだった。