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ふいに目が覚めた。 視界に入ったのは、自分の部屋ではない天井と点滴に繋がれた腕と、椅子に座って眠っている。
「菊田さん…!!」
すすり泣く声に気づいた彼は目を覚ました。そしてゆっくり手を伸ばして。
「大丈夫、もう大丈夫だよ。」
「はい…!!」
抱きしめてくれたその温もりにすがって、ひたすら泣いた。
落ち着いたところで、診察と事情聴取。強いストレスにより一時的な記憶の欠如がみられるということで、聴取には彼も同席し、今始まる。
「菊田さんが第一発見者??覚えてません…。」
「自分のスマホに、送られてきたんです。彼女が…」
その言葉で少し思い出されて、俯いて唇を噛む。女性警官とはいえ口に出すのはほんとに嫌だけど。
「犯されたのを撮られてたような気がします…。」
まさか、彼のスマホに送られていたなんて。どんな気持ちで見たのか、彼の表情を伺いたくても顔を上げられない。
「撮られた場所が彼女の部屋かもと推測して直行しました。一度、被害を訴えてくれた彼女をタクシーで送ったので場所は分かってましたが部屋までは分からなくて。管理人と一緒に入ったら、玄関先で彼女が倒れていました。」
「菊田さんが言ったこと、ほんとに覚えてないんです。ごめんなさい…。」
気を遣ってだろうが、警官はお詫びと協力への感謝の言葉を言って聴取を切り上げた。
「大丈夫…??」
「ちょっと疲れました…。」
ベッドに潜り、毛布を深く被る。
「菊田さん、そろそろお家に戻った方が良いですよ…。私は大丈夫ですから…。」
「…分かった。何かあったら、いつでも連絡して。」
先程の棘のある言い方をしてしまったことを後悔した時には、彼はとっくにいなくなっていた。
翌日、昨日の事の謝罪と退院したことを連絡した。その次の日からは仕事に復帰して日常を取り戻していった。彼とは店先で会うと少し立ち話をするだけで、スマホでのやりとりはあれ以来しなくなった。
そして。
「いらっしゃいませ。」
いつもの時間に予約した彼の施術を始める。
「調子はどう??」
「ぼちぼちです。」
洗髪後のマッサージをしながら。
「私、今日でここ辞めるんです。」
「え、ほんとに…!?」
「はい。」
ここできっぱり、彼への思いを断つんだ。そう思っていたら。
「これが終わったら、俺の我が儘に付き合ってくれないか…。」
「はい。良いですよ。」
戸惑いを隠して、営業スマイルで答えた。安堵の表情をする彼を見て胸が痛んだ。
お会計が終わる頃マスターと先輩が花束を手にやって来て、後片付けは自分達がやっておくと言ってくれたのでお言葉に甘えた。
「すみません、お待たせして。」
裏口でタバコを吸っていた彼は、携帯灰皿にタバコを捨てて。
「良いよ、行こうか。ところで、お腹空いてる??」
「はい、すっごく空いてます。」
「何食べたい??」
「そうですね…。あそこの居酒屋どうですか??」
「いいね、そうしよう。」
誰かとごはんを食べるのが久しぶりなのと、珍しいお酒があってとつい手が伸びてしまった。
「すみません、ご馳走になってしまって。」
「少しばかりのお餞別だよ。気にしないで。」
駅まで歩くお互いの歩みはどことなく重い。 心臓が口から出そうなほど緊張して、駅のコンコースを目前にして出た言葉は。
「やっぱり、嫌です…。このまま離れたくない。」
正反対の言葉が出てしまい、自分の口を覆う。彼も驚きの表情をして、言葉に詰まっていたが。
「俺も同じ事、思ってた。」
「え??」
「客の分際で好意を寄せちゃダメだって分かってた。でもどうしても君と長くいたくて、敢えてずっとあの時間に予約してた。ストーカー野郎と同じことしてたって今更気づいて負い目を感じて、だから今日でけじめつけて送り出してあげたかった…。」
「菊田さんはアイツとも、私が担当してきたお客様とは全然違います。私を仕事人として見て接してくれたのは、貴方だけでした。」
色々こみ上げてくるものがあって、何を言おうか。その前に勝手に涙が溢れてくる。
「泣かないで…。」
彼はそう言って鼻をすする。顔を上げると目元が涙で濡れているのが分かった。
「菊田さんこそ…。」
人目を気にせず抱きしめ合う。これだけでもう、この先のことがどうなるか決まったも同然だった。