〝『公安に入らないか?』〟
降谷くんにそう言われたあの日から一週間が経過した。
昨日、降谷くんの車で自宅へと帰ってきた私はソファーで仮眠を取ったつもりが思いのほか随分深く眠っていたようで、気づけば電話のコール音で目を覚ました。
リビングには未だコール音が途絶えなく鳴り響いており、周りもいつの間にか明るくなっていた。
まずいと内心焦りながらも、『あれ、今日予約なんてあったっけ?』と寝ぼけた頭で考えながら床に落ちていたガラケーをいつもの調子で素早く手に取った。
「はい、宮下で――」
プルルルルッ、プルルルルッ
応答したはずの未だ聞こえてくるコール音にいつもの口が止まった。固定電話なんてとっくの昔に解約したはず。もしかしてボタンを押し間違えたのかと再びガラケーに目を向ければ左端に〝園外〟と表示がされている。そこでようやく私の脳が目を覚まし始める。
そうだ、昨日警視庁へ行った後閉店間際の電化製品店へ駈け込んで降谷くんとスマートフォンを買い替えに行ったんだった。
私は慌ててソファーから起き上がりダイニングターブルに置いてある保護フィルムもケースも付いていないスマートフォンを慌てて手に取った。画面にはもちろん〝降谷零〟と書かれた名前が映し出されている。
「はい、宮下です」
「お前宮下! 一体何回かけたら電話に出るんだ! 」
電話越しに響く降谷くんの怒鳴り声で音が割れ、私は思わず耳に当てていたスマートフォンを遠ざけた。
まだ、実感が湧かない。
自分が警察官へ戻ったことも。それに加えて〝ゼロ〟直属の指名で公安にノンキャリアで入ったことも。
コツコツと努力を積み重ねてきた人達が聞けばなんと思うか。それともこれも、人との繋がりが生んだ私の運命なのか。
そして今、何故私は警視庁へ出勤せず自宅にいるのか。それは降谷くんとあの出来事からの一週間にあった。
【03】「元整備士」×「スバル360」
あの日の翌日、降谷くんは再び私の自宅へ手続きの書類を大量に持ってやって来た。
自宅のリビングへと案内するとアール・ヌーヴォー様式で統一された内装と家具がそこには広がっている。壁に掛けられたテレビとカウチソファーの前に置かれたローテーブルに降谷くんは書類を広げるとソファーに腰かけ手際よく仕分けしていく。その間に私は飲み物を入れにキッチンへと向かい、そこから見える彼の背中に私は声をかけた。
「コーヒーか紅茶、どっちがいいですか?」
茶葉の入った紅茶の缶とコーヒー豆の入った銀色の袋を持ち上げて問いかけると一瞬降谷くんがこちらへ振り返る。数秒してまた視線を戻すと「コーヒー」とだけ答えて再び書類に目を向けた。
降谷くんが書類を仕分けしている間に出来上がったコーヒーとトレーを持って行き、邪魔にならない机の端にソーサーとコーヒーカップを置き、昨日の夜、作業がスムーズに進むようにある程度契約に必要なモノを一式まとめたポーチを持って書類に目を通している降谷くんの背後から並べられた書類を一通り眺める終わると同じソファーへと腰かける。
いつもより沈むソファーの感覚が新鮮に感じてなんだか少し嬉しくなった。
「印鑑、朱肉、身分証明書、証明写真と私の個人情報以外に何か書いたりすることあります?」
「ない、ほとんどはマニュアルと契約書、あと拳銃の所持登録」
「いちいち出しただけで報告書出さなきゃいけない方の?」
「いいや、じゃない方」
「さすが公安」
単調な会話が途切れると同時に私は目の前に置かれていた契約書にボールペンでサインし朱肉に人差し指を押し付け、すれ違うように降谷くんは机の端に置いておいたコーヒーカップを手に取った。
「うまいな、このコーヒー」
するとコーヒーに口を付けていた降谷くんがそう呟く。
「もらいものです。確か…フランスのだとか言ってました。私コーヒー飲まないのであげましょうか? 封開けちゃったし、使いきれなかったら同僚にでも上司からコーヒー淹れてあげてください。きっと顔色変えて謝って来る面白い顔が見れますよ。〝あの降谷さんにコーヒーを入れさせてしまった〟って」
冗談を交えてそう言えば少しして降谷くんがフッと鼻で笑っう。
「風見ならいいそうだな」
「ふーん、…………あの時の眼鏡の?」
「ああ、良く分かったな」
そう言ってまた降谷くんはまたコーヒーに口を付けた。
〝『ええ、大変ですけど。彼のストイックさは、尊敬しています』〟
私はこの時、ふと降谷くんの部下である風見さんの言葉を思い出す。
「ただの仕事人間があんな風にいわれる為には、結構時間がかかるものだからね」
「風見がまた何か言ったのか?」
「また? まさかトラブルメーカー? 私はてっきり右腕なのかと思ってたど」
「…いいや、どっちもだな」
コーヒーカップをグイッと傾けて飲み干した。
すると契約内容とマニュアルはどれくらいで覚えられそうかと問いかけられ、私は書類の束を見つめた。
「三日かな」
「じゃあ二日後にここに迎えに行く、一度契約者本人に警視庁に来てもらって……それから拳銃だろ、それと…」
「……」
あいつに鼓膜はちゃんと付いているのだろうか。それとももう老化が始まってしまっているのか。
白く鋭い視線を降谷くんに向けていると私の書き終わった書類をまとめて封筒へ入れながら口頭でつらつらと今後の予定を喋り出した。
「それと、今日の午後と明日は日付をまたいで仕事だから。もう行かないと」
「降谷くんも、ずいぶんとハードスケジュールで……ちゃんと寝てます?」
そう言いながら私はソファーから立ち上がる。
契約書の書類を持ってそそくさと家を出ようとする降谷くんに問いかけると彼は一瞬歩みを止めた。
「僕は、この国を守る為だったらなんだってするさ」
「………死んだら終わり。じゃなかったの?」
「死ぬ気でやってるだけで、本当に死のうとなんてしてないさ」
「死にますよ。犠牲のない平和なんて存在しないんだから」
言った後になって、私は少し目を細めた。
ちょっと、言葉が鋭すぎたかもしれない。最前線でこの国を守っている降谷くんに言うことではないかもしれない。最前線にいるなら尚更、いつ死ぬかも分からない。どこかで彼に恨みを持っている人間だっているかもしれない。
この世界にいる皆、死なない可能性なんてない。
でもそんなの、彼が一番わかってるはずなのに。
また冷たく言い返されるか、なんて返されるかな。そんな私の予想とは裏腹に、降谷くんは私に微笑み返すと家を出て行ってしまった。
それはまるで〝『大丈夫』〟と、私にそう言わんばかりの強く芯のある笑みだった。
プルルルル、プルルルッ――
「はい、宮下です」
「宮下、今どこにいる」
「今? 今家下った所で丁度散歩してました」
二日後の夕暮れ時、オレンジ色の空を見上げながら降谷くんの電話に出る。内容は前に言っていた警視庁へ警察手帳や拳銃を取りに向かうと言う連絡だった。
「現在地を送れ、そこまで行くから」
「え、現在地って送れるんですか?」
間抜けな声で言うと、僅かに嫌な沈黙が流れた。まるで何かまずいことを言ったような、そんな感じの。
「スマホを持っているだろう」
「いや、ガラケーですけど」
「仕事用だろう」
「プライベート兼仕事用です。それにプライベートで連絡する人なんて今みたく降谷くんしかいません」
「……わかった。まず家に戻れ、それか向かう先の道にいたら拾っていくから。それと、スマートフォンも買いに行く。お前のそのガラケーは解約だ」
「降谷くんが買ってくれるんですか?」
「馬鹿か、二百七十万から引いてやる」
「そこは譲らないんですね」
相変わらず降谷くんのお金の使い方の基準はよくわからない。思わずハッっと短く笑った。
そして家に着けば既に降谷くんの愛車であるRX-7は止まっていた。ひとまず警視庁へ行くにふさわしいジャケットを羽織り内側からドアを開けてくれた降谷くんにありがとうと言いながら助手席へと乗り込み警視庁へと向かった。
終わり際に急遽データ登録用の写真撮影をしたせいで時間が長引き、結果閉店間際の電化製品店で運良く在庫のある最新機種のスマートフォンを勝手に降谷くんに即決された。一応私のお金なんですが。
こうして超特急で進む手続きのおかげで実感のないまま非日常的な生活が始まり、私は公安の彼の駒になった。
駒とは言っても、いたってやることは単純明快だ。
通勤はなし、代わりに彼の電話一本で現場の応援や調査、協力駆けつけること。命令は必ず聞くこと。目立った行動はしないこと。勝手な行動はしないこと。予期せぬことがあれば必ず連絡をすること。
契約内容と降谷くんの言ってることが入り混じって入るが、報告、連絡、相談。ある程度需要性のあるところはばっちり覚えてあるから問題はない。裏を返せば降谷くんからの連絡がなければ常に非番という訳で、もっともっと端的に簡単にまとめるならば、彼の協力者のような存在だ。
通勤がないのはそれはそれで助かるけど、それならいつもと変わらない毎日が続くな〜。と思っていたら初日の朝から何故か降谷くんに叱られている。悪いのは私ではなく事件を起こした犯罪者の方なのに。
やっぱり世の中は理不尽だ。
「で、初日から一体何の用ですか降谷くん」
「いいか、一度しか言わないからよく聞け。ひき逃げ犯が長野から東京へ逃走しているらしい。車はブルーのプリウス、目撃者によればナンバーはおそらく2356、短髪でサングラスの男だ。逃走してから約三時間は経過しているからそろそろこっちに来る頃だろう。追ってくれ」
「了解」
「昨日説明したイヤホンを繋げてから行くんだぞ、今他の用が重なって無線に出るのが俺じゃないかもしれないが連絡はしろ。返答はできないが聞くことはできる」
「はぁい」
降谷くんの説明をスピーカーで流し聞きしながら通話が切れた後にスマートフォンと支給されたワイヤレスイヤホンを繋ぐ。ボタン一つで勝手に繋がり、登録した音声と指紋に反応して瞬時に連絡が繋がるようになる特注品だそうで。確かに見るからに高い見た目している。
内容は逃亡者の発見と追跡。玄関へ駆け出して袖カバーとグローブ、免許書と警察手帳に拳銃を手に取って玄関を出るとガレージ裏の駐車場へ向かう。
そこには一台、私の愛車であるバイクが置いてある。事前にイヤホンとも連携させておいた無線付きのフルフェイスのヘルメットを手に取って上から素早く装着すると私はエンジンをかけアクセルを踏み込み敷地を出た。
すぐさま自宅から一番近いICへと乗り込み新宿方面へとバイクを走らせながら通る車を目で追う。
長野から新宿は約四時間。逃走して約3時間ならそろそろここら辺の高速道路を通る頃。しばらく高速を走らせてから緊急車両用の路肩へ停止し、逃亡者が通過するのを待つ為ハンドサインを出しながらバイクをゆっくりと路肩へ移動する。が、そこにはすでに先客がいた。
丸いフォルムをした赤い車。あれは確か、そう。スバル360だ。どうやらこの車の持ち主である長身で眼鏡をかけた男性がボンネットを開けて何やら中を覗いている。自身のバイクを停車させてからヘルメットを取って「どうかされましたか?」と声をかけながら駆け寄ると私に気づき男性は顔を上げた。
「ええ、さっきほど走っていた所すごい音がして、この先も長いので念の為確認していたのですが特に目立った損傷がなくどうしたものかと…」
「それ、どんな音でした?」
そう言って男性の隣へ行き、ヘルメットを地面に置きポケットから小型の懐中電灯を取り出して口にくわえると一緒になってボンネットを覗き込んだ。
「ものすごいスピードで……まるで弾丸が飛ぶ感じのガチンッという硬い音だった気がします」
「ん? あぁ、それなら心配ありませんよ。ただの石のせいです。飛び石ってやつですね。路上は結構あるっぽいですけど、高速道路はごくたまになので。お兄さんの車は特に飛び石で傷ついてもいないようですし、タイヤの回転で挟まっていた小石が吹き飛んで響いて来ただけかと……?」
私はほっと肩を撫でおろすとボンネットを閉め懐中電灯を消しながら男性に視線を向けると彼は何やら私のバイクへ視線を向け興味深そうな顔で「へぇ」と口を開く。
「珍しい色のバイクですね」
そう言われ男性と同じように視線の先を見る。どうやら車の心配よりも私のバイクが気になるみたいだ。
「ああこれ、YZF-R3ですよ。国産のどこにでもある車種ですけど、私もバイクにしては珍しいこのシアンカラーとオレンジの組み合わせに落ちて即決で…。それに乗りやすいですし、バイク初めてな方でも扱いやすいので乗れますよ。ただ排気量が320㏄なので人によっては少し…」
そこで私は今の自分の状況に気づいてハッとなる。
突然他人の車のボンネットを覗き込みペラペラといつものようにお客さんと話すような態度で接し、しまいには余計なことをついペラペラと。これが職業病っていやつなのか。それに私は今、仕事中だと言うのに。
一応高速道路を通っていく車に時々目を向けてはいたが、そっちに気を取られていたせいか相手への配慮が不十分になってしまった。さっきの会話も一方通行だったし、きっと変な人と思われたに違いない。
「すっ、すいません勝手に!! ボンネット勝手に覗いたりペラペラしゃべったり!」
「いいえ、むしろ助かりました。高速道路ですし万が一があったら大事故で他の方も巻き込んでしまうので、貴方が来てくれて助かりました。優しいんですね」
「……そう、ですか。それは良かったです」
慌てて男性とその車の傍から離れ両手を突き出すと男性ははなぜか面白おかしそうにクスッと控えめに笑うと穏やかな声でそう言った。
人柄もよく言葉遣いも丁寧で良い人そうで本当に良かったと心から思った。
別に見返りを求めてしたことではないけれど、改めてそう感謝の言葉を言われるとなんだか照れくさくなってしまう。これだからどっちもやめられない。
「どうですか? 今度お礼でも。私もバイク好きなんです」
「いいえ、お構いなく。元々本業だったので」
「…本業?」
「はい、前までは整備士をやっていていまして。というのもお父さんの影響ですが、昔から整備設備を営んでいたんですけど、お父さんの代から設備関係も導入されてそのせいで、その影響で一応私も設備士の免許も取ったんですけど……よく空港なんかには修理で呼び出されますね。あと、一番びっくりしたのは鍵職人でも開かない金庫を開けて欲しいと頼まれたこともありましたね~」
なんてケラケラしていると男性があるニュースをふっかけた。
「もしかして、その鍵のお話……去年の国際美術館の保管金庫ですか? 職員が誤って金庫を閉じてしまった」
「あ、ええ、すごいですね覚えてるなんて。思ったより時間かかりましたけど開けたのは私ですね」
「ホォ……それは興味深い。実は私、シャーロキアンでして」
「へ〜、そうなんですか! でも好きそうですね、密室殺人……とか?」
「ええ、大好物ですよ」
「あはは、そんなこと言われたら私本気にしてお兄さんのこと逮捕しちゃいますよ?」
「…逮捕? もしかすると今は警察官か何かですか?」
やべ、と思わず口を塞ぐがすぐに彼の言ったわざとらしい言葉の罠にはめられていたことに私は気が付いた。
「さすが推理オタク、もしかしてわざと私をハメましたよね? 密室殺人の物語が好きかという質問に大好物なんて単調な単語一つで言われたら、わざと私にやばい奴だと思わせて探りを?」
「おや、バレてしまいましたか。 あなたも、さすがの名推理です」
私の事情も知らずニコニコと楽しそうに話す彼はまさしく根っからのシャーロキアンだと言うことが分かる。
「実は今日が出勤初日なんです。今逃亡した犯人を追跡してて……ここの高速道路を通ると言うことで。お兄さんも気をつけてくださいね」
「初日ですか。お若いのにかなり重要な任務をされて、随分上司から信頼されているようですね」
「警察学校の頃の同期です。と言っても四歳年上ですけどね」
するとまた男性は顎元に手を添え考え込み始めるので、「……あなたも?」と問うが「いいえ、まさか」とにこやかに答えると言葉を続けた。
「初日で任された内容に加えて、見ず知らずの私へ駆け寄り声をかける冷静さもあります。ボンネットを確認している時も私と話している時も横目で常にちらちらと先ほどから通る車を瞬時に確認しているあなたの対応能力を見るに、私の推理が正しければ、もしやあなたはその上司の右腕候補だったり…」
「あー残念、もう彼の右腕は実はいるんですね」
「では、君は一体…?」
「…駒、かな。彼の都合のいいようにしか動かない駒。ただし、チェックメイトする方の駒ね、お兄さん」
「なるほど、それは頼もしいですね。まぁ、密室が好きなのはあくまで物語上で、ですのでご安心ください。…ところで、お名前をお伺いしても?」
「私ですか? 宮下って言います。お兄さんは?」
「私は沖矢昴と言います。よろしければご連絡先をお伺いしてもいいですか? 是非あの時の金庫のお話もお時間がある時にお聞きできればと思って。もちろん用はない時以外はかけたりしませんのでご安心を」
「ええ、もちろんです。あ…っ!」
私の手に無意識に握られたのは解約したガラケー。もう使えないというのに何故か持っていないと落ち着かず結局持ってきてしまったのだ。慌ててガラケーからスマホへとすり替えて電源のボタンを押し吹き出しのアイコンを押した。そう、押した。押す以外分からないことに私は今気が付いた。
いつも連絡は電話だったから、それにアプリなんてガラケーだから使ったこともなく。降谷くんからはいつも使ってるパソコンみたいに扱えばいいと言われるが、そういうのは決まって分かる奴が言うセリフだ。
「……すみません、実はスマートフォンも今日から初めてで全く分からないんです…」
沖矢さんにそのことを話すと嫌な顔一つせず「お互い様です」と言って私のスマートフォンを代わりに操作してくれる。
この年になってすでに世間一般的に流通しているスマートフォンのアプリの扱いすら知らないなんて笑えて来る。あの時降谷くんが登録するところを見とくんだったと私は今後悔したので横で沖矢さんの操作を見ようと自身のスマホを渡すついでに沖矢さんの隣へとススッと移動する。
私のひらに収まるサイズのスマートフォンが沖矢さんの手に渡るとやっぱり男と女だと手の大きさも違うんだなぁと感じながら彼の操作する手を見つめていると一瞬、彼の手が止まった。
画面は連絡先一覧。そこには〝友だち2人〟と書かれた中に降谷くんと新しく沖矢さんの連絡先が追加されている。
「うわ、早い! もう出来たんですか! ありがとうございます! 」
渡されるかと思い手を伸ばす。しかし一向に渡されないスマホに私は「ん?」と違和感を覚えた。
「沖矢さん? ………す、昴さん?」
名前を呼びながら顔を覗き込むと沖矢さんはその細目を私に向けた。
気のせいか、微かに緑色の瞳が一瞬、ほんの一瞬見えた気がした。でも日本語もペラペラだし、背も高いからもしかしたらハーフなのかもしれない。それに気のせいだってこともある。
「ああ、すいません。考え事で…」
わざわざ画面を拭いて私に渡して来る沖矢さんにやっぱりいい人だなと感心しながらスマホを受け取った。
「でしたら帰ったらゆっくり寝てくださいね。沖矢さんまだこの先へ行くんですよね? 気をつけてくださいね。睡眠は大事ですから」
「ええ、そうですね。そうします」
その時、不意に未だ何となくもやもやと残る違和感の原因に気が付いた。
そうだ、普通は兄弟や家族が入ってるはずなのに、友だちが二人だけなんておかしい。もしかして気を使わせてしまったかもしれない。弁解した方がいいだろうか。
そう思っていった次の瞬間、遠くからブォンッとエンジン音が響く。咄嗟に横目で視線を移すとものすごい風圧と共車が真横を通り過ぎた。完全に速度違反の車、それに――ブルーのプリウスだ。
「すみません! 私行きますね!」
咄嗟に愛車へと駆け、ハンドル近くのスマホホルダーに素早くスマホを挟むと脇に挟んでいたヘルメットを被り顎下にあるボタンを長押しして無線を繋ぎもう一度ボタンを押せば無線がつながった。
「見つけたよ、ブルーのプリウス。東京方面に直進中、追跡します」
飛ばされぬようにハンドルを握りしめて路肩から路上へと乗り出し私は犯人と思われる車の後を追った。
沖矢さんが私の警察手帳を持って呼び止めているとも知らずに――。
まるで再確認するかのような、パズルのピースを当てはめていくかのように顎に指を添えると、先ほどポケットにしまったスマホを取り出して電話をかけ始める。
三コール鳴ったところで通話がつながると同時にピッと機械音が鳴った。
「ジョディか、俺だ。宮下修造の娘の件だが…………少しめんどくさいことになるぞ――」
〝捜査部長 宮下〟
そう記載された警察手帳と顔写真を見ながら細目の男はうっすらと目を開いた。
××××
前の車を追って約三十分が経った。追われてるとはつい知らずひき逃げ犯は車を走らせる。スピードがかなり出てるし、一歩間違えたら大惨事だ。
数分すると追跡中していたブルーのプリウスが左への車道へと移り始める。
「犯人米花ICで降りるよ」
すると先ほどよりも少し小さな音声で降谷くんの声が無線から流れる。
「もし住宅街へ入るなら意地でも止めろ」
「……条件はそれだけ?」
「ああ、周りをよく見て判断しろ」
「分かった、後はこっちで対応する。多分ガソリンがもう底を突く所だから米花町付近念の為警察官呼んでおいて」
「ああ、頼んだぞ」
そう言うと通信は勝手に切れた。広い十字路の交差点に差し掛かる手前、赤信号にも関わらず減速する気配のないひき逃げ犯の車に私は仕掛けた。
二発の銃声が交差点に響く。
打った先は犯人の車のタイヤ。あのタイヤ、見た感じ最近変えたっぽくて若干躊躇したものの最悪の想定を天秤にかければどうってことない。責任をもって私がは注してやる。
パンクした後方のタイヤのせいで車体は鋭い音と共に車は一回転する。職業病からか思わず「あぁ……」とフルフェイスのヘルメットの中で口ごもる。
動かなくなったブルーのプリウスから飛び出てきたのは犯人である短髪でサングラスの男、交差点の真ん中から歩道へと逃走し始める。
これじゃバイクで追えない。慌ててバイクから降りて犯人の後を追おうとすると途端犯人が振り返って声を荒げた。
「動くなァ…ッ!」
向けられたのは一丁の拳銃。これはもう言い逃れできない。この国での一般人の拳銃所持は犯罪に値する。
それに拳銃を持ってるなんて聞いてない。持ってたらもっと別の方法を考えたって言うのに。
犯人が拳銃を構えたと同時に私も腰ベルトから拳銃を引き抜き銃口を向けた。幸いフルフェイスのヘルメットは脱いでいない。胴体と首だけ避ければ致命傷は避けられるはず。
私はフルフェイスのシールドを素早く上げ、銃を構えていたもう片方の親指でセーフティーを外した。
「動くなよッ!! 動いたらぶっ殺す…ッ!」
「お姉さん離れて!」
近くにいた茶髪の女性にそうそう叫ぶと犯人は身を強張らせながら数歩後ろへと下がる。
それと同時に三発目の銃声が響く。先にトリガーを引いたのは私。
ひき逃げ犯の持っていた拳銃へと発砲した二発の弾丸が当たった衝撃で犯人の手から拳銃がこぼれ落ちる。それと同時にもう一発は犯人から拳銃遠ざける為に放った弾丸が宙を舞う拳銃を捕らえ犯人の持っていた銃はあっという間にメートル先へと離れ落ちた。
その拳銃がすでに落ちる前に確信していた私はすでに手早く持っていた拳銃をしまいフルフェイスのシールドを上げていた。
その拳銃を犯人が拾う暇もなく呆気に取られている間、私は隙を付いて組み付き取り押さえるがまだ警察は来ていない。
「動くな、ただでさえ力強いんだから」
全身の体重をかけて押さえていてもなお、藻掻き逃れようとする犯人。これじゃ隙をついて逃げられる可能性が高く手錠もかけられない。
誰かいないかと私はちょうどまだ声の届く範囲にいた茶髪の女性に声をかける。
「すみません、近くの交番で警察呼んでもらってもいいですか! いなかったら誰でもいいです! 男の人呼んでください!」
運悪く時刻は平日のお昼の時間を丁度過ぎた頃、車や歩行者が少なくて助かったけどそれがまさか逆目に出るとは思わなかった。
そう伝えれば女性は「は、ハイ!!」と、返事をして一目散にその場から駆けて行った。
ビリビリッ――
やけに聞き覚えのあるマジックテープの音がした。
音のした方へ視線を向ければ取り押さえていた犯人が口で私の身に付けていたグローブのマジックテープを剥がしていた。
次の瞬間、再び藻掻き押し返されグッと力を入れた瞬間、緩んだグローブがズレる。
「………ッ!?」
結果私は犯人に押し返され蹴飛ばされる。前にもあった気がする、こんなこと。
このあと一歩で、いっつも手に届かない嫌なこの感じ。
蹴飛ばされた瞬間、咄嗟に腕で受け身を取ったせいで犯人からは逃げら逃げられてしまう。やられた。まさかそんな、またこんなことが――私は思わず舌打ちをした。
身に付けていたグローブをその場に脱ぎ捨てて歩道の曲がり角を曲がっていく犯人を追う前に道路に転がっている犯人の拳銃を拾い上げてすぐさま後を追う。
すると曲がり角に差し掛かったところで私はピタリと脚を止めた。
一体この一瞬で何が起こったんだ。
それもそうだ、私の目の前にはなぜかあの短髪でサングラスの馬鹿みたいに力の強いひき逃げ犯が地面に背を預けて伸びているのだから。
「お、沖矢さん…」
そしてその犯人と私の目の前にはあの時、高速道路で知り合った沖矢さんがなぜかそこにはいた。
「実は私、米花町に住んでいまして。近くで騒ぎになっていたのでたまたま駆けつけたらいきなり襲ってきたものですからつい」
「え、えぇ……?」
つい? それにしては大げさな。
何をそんなさわやかな顔で言っているのか、なんで彼が犯人だと分かったのか、そんなことを思いながら今のうちに手錠をはめ込むと背後から声が聞こえて来た。
「すみません! 近くに警察官がいなくて! 男性の方なら――‼」
声の正体は先ほどの茶髪の女性。後ろには紺色のエプロンを来た長身の…
「大丈夫ですか…⁉」
「は…」
降谷零だった。〝ポアロ〟と印刷されたエプロンを身にまとい、なんですかこの状況は、と言わんばかりの声色と表情を浮かべて駆け寄ってくる。
「あ、え……? 降や……ング…ッ⁉」
「宮下さん! 大変です! 目にゴミが――」
すると突然顔を片手でわし掴みにされたと思えば、もう片方の降谷くんの手が目の前にかざされる。すると手の平にはなにやら黒い文字が書かれていることに私は気が付きその黒い文字に目のピントを合わせた。
〝安室透とは友人関〟
手の平にはそう書かれていた。
どんな理由かは知らないが、どうやら〝安室透〟という偽名でこの街に潜伏しているらしい。
水性のマジックで書いたせいか少し滲んで最後の一文字が消えてしまっているが私はすぐにそのメッセージの意味を読み取ると私の口を塞ぐように掴まれた彼の腕を掴んで引きはがした。
「ありがとうございます安室くん。お久しぶりですね」
「ええ、あなたも元気そうで」
「お二人共、知り合いなんですか?」
茶髪の女性が間に入って出ると降谷くん…いいや、安室くんは彼女ににっこりと笑顔を向け口を開いた。
「ええ、学生の頃の知り合いです」
「そ、そうです。安室さんと同じクラスだったので」
「へーそうなんですか! 安室くんどうしてもっと早く言ってくれなかったんですか!」
「安室くん、彼女は?」
「彼女は同じバイト先の梓さんです」
「そうなんですか。さっきはありがとうございます」
「いいえ、捕まって良かったです!」
「沖矢さんも、ありがとうございました。助かりました」
「それは良かったです」
「あと三分程で警察が来るみたいです」
沖矢さんは相変わらずニコニコと私に笑みを向けそう言った。ポアロって言ったらよく雑誌に載っているあの毛利探偵事務所の下にある喫茶店だ。そんな一目に着く場所で降谷くんは仕事を? 一体何のために――。
そんなことを思いながら未だ伸びて起き上がらない犯人の足元で先ほど取り上げた拳銃から念のため弾丸を取り出している途中、後ろから服を引かれ思わず振り返る。
そこには私より少し一歩前に出た降谷くんがさっきよりも鋭い目付きに変わっていた。
「二人は知り合いだったんですか?」
そう降谷くんが鋭い目つきで問いかけた先は沖矢さんだった。
「ええ、先程高速道路の路肩で困っていたところを助けて頂いたんです」
「へぇ、そうですか」
普通の会話のはずなのに、なぜかギスギスとした空気が張り詰める。
というか降谷くんって沖矢さんと知り合いだったの? そんなことを思っていれば遠くからパトカーのサイレン音が聞こえ始め、一通りの事情聴取が行われ約一時間後にこの一件は無事に解決し再び米花町には平和が訪れた。
「ご協力、ありがとうございました!」
「いいえ〜」
犯人を乗せたパトカーに最後の警察官が乗り込んだ。警察官に敬礼を返しながらパトカーが見えなくなるまで見送っていると急に手首を掴まれ何者かに引き寄せられた。突然のことで思わず目が見開いた。
私の視線の先、突然腕を引き寄せたのは昴さんだった。
思えば、沖矢さんって何を考えているのか分からない。いつもの笑顔が消えており、私は無意識に少しだけ腕を引くと沖矢さんがゆっくりと口を開く。
「怪我を、されているようです」
そう言われて掴まれた右腕を確認してみれば知らない間に擦り傷が出来ており血も出ていた。
「うちで手当をしましょう」
「でしたらここからだとポアロが近いです。それに、どうですか。米花町を守ってくれたお礼にご馳走しますよ。いいですよね、梓さん」
「すごくいいと思います! ぜひそうしましょう! この後、時間大丈夫ですか?」
「ええ、私は大丈夫ですけど…」
「では早速向かいましょう、案内しますよ」
そう言うと降谷くんは掴まれた沖矢さんの腕を払う様に私の手首を掴んだ。
シフトが迫っていると足早にその場からいなくなってしまった梓さん。さっきも思ってたけど意外と足が速い。気づけばもういなくなっていた。
「宮下さんも行きますよ」
そう呟くと降谷くんは私の手を引きポアロへと向かい始めた。掴まれた手首といつもより近い距離感に違和感を持ち、私は思わず「ちょっと、近い…」と隣で呟き空いていた手で降谷くんの肩を軽く押すと、次は肩に手を置かれさらにグッと身を寄せられ、耳元に顔を近づけられ視界に色素の薄い降谷くんの髪の毛が映り込む。風が少し吹いてきてわずかに毛先が頬を撫でた。
「彼にはあまり近づかないように」
………どうして?
そう問いただしたくても、まるで理由を聞くこと拒んでいるかのような耳元で響く低い声に、思わず私は固唾を飲んだ。
そして少し歩いて着いた先は米花町、喫茶店「ポアロ」。店内は常連客で賑わっていた。
「あ、安室さん!」
「蘭さん、いらっしゃい。いつからここに?」
「学校帰りなのでついさっきです、ついでにコナンくんも」
「こんにちは! 安室さん、後ろのお姉さんは?」
安室さんの背からひょっこり顔を出せばそこには、制服を着た女子高生が二人と小学生の男の子がひとり。
「安室くんの友人の宮下です。久しぶりに会って、ここで働いてるって聞いてね」
「へぇ、じゃあ宮下さんの連れが沖矢さんってこと?」
その男の子の発言に私の前にいた降谷くんがバッと振り返った。それに続いて私もゆっくりと視線を後ろへと向ける。男の子の言う通り、私の背後にはいつの間にか沖矢さんが引っ付いていた。しかもさんざん降谷くんから冷たい態度を取られているのによく平然としていられる。
対して降谷くんはあからさまに顔には出ていないもののよく見れば眉間に皺が寄っている。あの彼が。
今の彼の顔は完全に〝安室透〟ではなく〝降谷零〟だ。
小さく指摘するように「顔と腕」と呟けば、横目で降谷くんがこちらを見る。すると徐々に降谷くんの表情が〝安室透〟になっていき、握られていた手首もするりと解放された。
「いいじゃないですか、ひとりよりも二人のほうが楽しいでしょ?(二人っきりよりはマシでしょう?)」
それにほかのお客さんだっている。
降谷くんに視線を送れば、少し戸惑いを見せながらも彼は小さく諦めのため息をつき「二人とも、お好きな席に。あなたは先に手当なので梓さんが来るまでカウンターで待っていてください」と言ってキッチンへと戻って行った。
カウンターに座ろうとすると沖矢さんが椅子を引いてくれて普段慣れない扱いに戸惑いながらも私は椅子に腰を下ろした。
「怪我してるんですか?」
声をする方へ振り返るとカチューシャを付けた女の子が眉を下げてこちらを見つめている。
「さっき、犯人を捕まえた時にヘマしちゃってね、でも擦りむいただけだし」
「それって、さっきのサイレンの? 私の学校でも大騒ぎになってました」
「じゃあ、お姉さんって警察の人なの?」
「うん、そうだよ。私服だけどこう見えても警察官なの」
梓さんを待っている間、茶髪の女子高生とそんな話をしていると梓さんが救急箱を持ってやってきて、わざわざ手当までしてくれた。
手当されている間も沖矢さんは隣に立って待っていてくれているし、それにいっつもケガしたら自分で適当にやってたから、誰かに手当してもらうなんて何年ぶりなんだろう。
学校を卒業した頃から用がある時以外家の敷地から出たことなかったから、こうして家の敷地からでて警察官として人と関わることすらも新鮮に感じてくる。人恋しくなっていたのかな…なんて思い馳せていたらあっという間に手当が終わる。
「わざわざすみません。沖矢さんも」
「いいえ、付いてきたのは私の方なのでお構いないなく」
「宮下さん、沖矢さん、よかったら一緒にどうですか?」
「僕もその方がいいと思う。きっと二人よりもみんなで一緒にいた方が楽しいよ!」
黒髪の女子高生がそう声をかけると同じ席に座っていた男の子が目をキラキラとさせて誘ってくる。
沖矢さんも大丈夫というので、私達はお言葉に甘えて相席することになった。こうすれば尚更降谷くんも安心して少しは見逃してくれるだろう。
テーブル席のサイドに座っていた女子高生達が奥へと移動し始め、空いた席に沖矢さんと並んでソファーに座った。
「私、上の探偵事務所の毛利小五郎の娘の毛利蘭って言います。こっちは友人の鈴木園子で、この子はわけあってうちで預かってる江戸川コナンくん」
「私は、宮下です。まさか、あの眠りの小五郎さんの娘さんに会えるなんて光栄です! 雑誌でよく見てますよ」
「そんな、私は全然…」
「そう言えば、宮下さんって安室さんとどういう関係なんですか?」
口元に手の平を立てながらにやけた笑みを浮かべて小声でそう問いかける茶髪の女子高生園子ちゃん。
「ただの昔の友人ですよ、それ以上でもそれ以下でもないですよ」
「なぁ~んだ、なんか距離感近かったから私てっきり元カノかと……」
「ちょっと園子!」
同じノリで「沖矢さんとは?」と聞かれると沖矢さんが「高速道路で困っているところを助けていただいてたまたま再開した」と答えるとなぜか残念そうに園子ちゃんはうなだれた。
質問攻めを食らう女子高生らしいトークに飲み込まれていると梓さんがメニュー見せながらにこやかに「二人はご注文なににしますか?」と問いかけられる。
蘭ちゃんが言うにはここのハムサンドは安室さんが作っているそうで、園子ちゃん曰はく女子高生にも人気で、『イケメンの作った料理が食べられる』と話題らしい。
降谷くんって料理できたんだ、なんて思いながら二人にお勧めされたハムサンドとドリンクのセットを注文し、ドリンクは梓さんのおまかせで沖矢さんも同じのを同様に注文した。
数分して運んできたのは降谷くんこと安室透くん。「お待たせしました」と、一見澄ました顔で料理を置いているがハムサンドの乗った皿やアイスミルクティーのコップを持つ手が妙に力んでいる。
そんなに沖矢さんが嫌いなのか。もし危険人物であるならばもっとストレートに彼は私に伝えるはず。
それなのにわざわざ『あまり近づかないように』と私に忠告したのは、きっとまだ不確かな証拠しかないのだ。
雰囲気や行動を見ても、悪い人には見えない。それとも個人的な恨みだろうか。
ただ頭は切れるからそっち側だったら厄介な人になるなぁと横目で隣にいる沖矢さんを見ては視線を逸らした。
運ばれて来たハムサンドを手に取って口にするとなんだか懐かしい記憶が蘇った。そう、あれは確か警察学校の時、一ヶ月ぶりの休日で同期の皆と宅飲みすると言っていたあの日。
「彼に、昔教えてもらったんです」
「あの……彼?」
「ええ、そっくりでしょう?」
そんなこともあったっけ。私は安室くんの問いかけに小さく頷くとハムサンドを頬張った。
そうしている内にも女子高生達の会話は驚く程ポンポンと話が変わる。最近流行りのコスメ、授業のこと、課題や恋バナに将来の夢の話。そして、同じ帝丹高校の出身とあってか、昔の先生の話をしてあげれば以外にも二人に好評で園子ちゃんは笑い転げていた。
そのころ沖矢さんはコナンくんと仲がいいのか何やら話をしているが少し声が小さくて聞き取れない。
「ねぇ、宮下さん。大人になったら過去の話しか出来なくなるのって本当なんですか?」
するとまたも園子ちゃんがそんな話題を吹っ掛けられ、あ~私ももう年だなぁ、と思いながら「そうだね~」と呟いた。
「私も高校生の頃はテストがとか成績とか、未来のことばっかり考えて皆と話してたけど、いざ友人と会うと話すのはあの時の修学旅行楽しかったね、とかあんなこともあったよねとか。そんなことばっかで……」
「あー! ますます大人になりたくない…」
「でも、大人になったらいろいろできるしどっちもどっちだよ」
「私、将来何になりたいかとかまだ決まってなくて。進路希望書とか白紙で…」
「いいんじゃない? まだ時間はたくさんあるし。逆にそう言う時間が楽しかったりするし」
「わかります! 私も真さんとこれからのこと考えてる時が一番楽しい……‼」
「ねぇねぇ、そういえば宮下さんはなんで警察になろうと思ったの?」
すると当然、沖矢さんと話していたコナンくんがそう私に問いかけた。
「…いろいろあってね、警察学校卒業したら実家帰ったんだけど、数年後警察学校で同期だった人に〝お前は優秀だから、警察官に戻らないか〟って言われました」
「それって今の上司 ?」
「ええ」
「なんかプロポーズみたいだね!」
コナンくんが不意にそう言うと同時にカランッとアイスミルクティーの氷が鈴のように鳴る。キッチンではガチャンッ、と皿を重ねる音が響き、話の合間に口に含んでいた私のアイスティーが急速に喉を通ったせいで思わずせき込んだ。
コナンくんに「大丈夫お姉さん?」と顔を覗き込まれ心配されたので「だ、大丈夫だよ、ありがとう」と返す。子供に心配される成人済み警察官、哀れすぎる。
子供って本当に何考えてるかわからない。
「じゃあ、宮下さんはもし今の仕事以外になれるとしたら何がいいですか? 来世とか!」
今度は園子ちゃんがコナンくんに続きそう問いかけた。
もしも話とか来世とか、そんなこと考えたこともなかった。うーん、と頭を悩ませればふっ、と一つだけあること脳裏に過った。
「普通の、生活をしたいな」
「普通の生活?」
そう答えれば蘭ちゃんと園子ちゃんが首を傾げた。
「うん、私交通事故で18に両親亡くしちゃってね。普通の家庭でお父さんとお母さんがいて、恋人がいて、結婚して、子供がいて幸せな家庭ならそれでいいかなって……」
言い切ったあと、もう氷が溶けきってしまったアイスミルクティーを再び口にする時、ポカンと蘭ちゃんと園子ちゃんとコナンくん、そしてあの沖矢さんまでもがこちらを見つめて物珍しそうな顔でこちらを見ているのに気づいて慌てて持っていたグラスを置いた。
「ご、ごめんなさい! 別に今の職が嫌な訳じゃないくて、ありきたりなダラダラした生活をしたいなって意味で…!」
「全然変なことなんかじゃないです‼ わかります。恋人と一緒にごくありふれた日常を過ごしたいの、わかります」
慌てて弁解を入れあたふたとしていると、その蘭ちゃんの真っ直ぐな瞳と言葉、その裏に隠された重みに私はハッとなる。嗚呼、この子も、きっとそうなんだ。
こんな思い、共感して欲しくない。分かって欲しくもない。皆してこんな思いしてほしくない。誰にもさせたくない。
私一人が動いた所で、何になるのか。そんなことは分かってた。けど私はそれでも目指してきた。きっと世間からしたら何も変わるわけないけど、私が頑張るだけで人ひとり救えるなら、頑張ろうと思えた。
ずっとそう願って警察官を目指してきたんだ。
「じゃあ、蘭ちゃんにとって今が一番幸せだって思う日がくるといいね」
「宮下さんも、きっと来ますよ!」
蘭ちゃんにそう言えばそんな返答が返ってきて私は笑みを浮かべた。幸せになるべき人達が幸せになれないなんて間違っている。
「そろそろ、帰ろうかな。こんなところで油売ってるの見つかったら上司に怒られちゃうし」
「あ、ごめんなさいお仕事中に私達すごい引き止めちゃって」
「ううん、久々に人と話せてすごく嬉しかったよ。梓さんも安室さんもごちそうさまです。久々の外食ですごく美味しかったです」
「それは良かったです! またいらしてくださいね」
「ええ、必ず」
そう言って、ポアロと書かれたドアを引くとカランカランッという音の中、誰かが私の名前を呼んだ気がした。
振り返るとすぐ後ろに立っていた沖矢さんが口を開く。
「最近、何かいつもと違うこととか。起こったりしてませんか?」
その沖矢さんの問いかけになぜか反応した安室くんとコナンくん。いつもと違う? しいて言うなら今だけど、多分そう言うことではない気がする。身に覚えがなく「例えば?」と問い返せば沖矢さんは言う。
「例えば、誰かに後をつけられていたりとか」
「ないですよ。周りの人、皆いい人です。沖矢さんもカッコイイんですからストーカーされないように気をつけて下さい。今日はありがとうございました。では、」
そう言い捨てて私はポアロのドアを閉めた。
〝『 、これは誰にも言ってはいけないよ。お父さんとお母さんとの約束だ。でももし、見つかったら――――――』〟
ポアロを出た後、バイクの停めてある所まで歩いていると、なぜか中学生だった頃父に言われたあの言葉を不意に思い出した。
「………大丈夫、お父さん。犯人は、必ず私が見つけるから。絶対に、守るから。」
私はサイドのポッケからグローブを取り出して身に付けると少し歩いた先の路肩に停めていたバイクにいつもより強めにキーを差し込んだ。
翌日、いつの間に無くなった警察手帳のことを降谷くんに伝えれば、また電話越しに彼の怒鳴り声が音割れて家中に響いたのだった。