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魔法使いの社交場といえば、土地柄にもよるが一定の法則で形成される。
彼らの多くは秘密主義であるが、秘密を仄めかすことを好む。探求心がなくては魔法使いとは言えないが、家や工房に籠るのが彼らの性だ。そもそも社交性など持ち合わせていないのが常だが、人との会話ほど刺激を得られるものは他にないと彼らは知っている。
それゆえに彼らの社交場は街の中心にはなく、人目の付く場所にもなく、かといって人の声の聞こえない場所にもない。だがそしてそれゆえに彼らはいつも声を潜めている。
いつもより喜ばし気に降り注ぐ陽光に白く照り映えるヒデットの街の通りの端をベルニージュとレモニカは二人、寄り添って歩いている。レモニカは下手に変身しないようにベルニージュにくっついて、そのためにいつもの鍛え上げられた肉体を誇る背の高い男に変身していた。雄々しいばかりの姿ながら、ベルニージュの背中に隠れるかのようなレモニカの振る舞いは大変に目立っている。隠れもしない高貴な出で立ちにヒデットの街の人々は好奇の目を向けるが、そばにいる魔法使いらしい娘に気づくとまやかしを見せられているのだろうとそそくさと立ち去っていく。
ベルニージュも注意をしようとは思うのだが、男がそばにいると思うと体が強張り、鳥肌が立ち、上手く言葉が出て来ない。
ベルニージュは冷や汗をかきつつ、前を真っすぐに見て、喉の奥から言葉を絞り出すように言う。「レモニカ。もっと堂々として。悪いことする訳じゃないんだから。ワタシたちが目立って得することなんてないよ」
「はい。申し訳ございません」と言ってレモニカは少し胸を張る。
ベルニージュたちは言葉少なに境界を巡る。魔法使いの好む場所といえば誰も好まない嫌わない、関心を持たない場所のことだ。地区と地区の区切り、広場と大通りの分かれ目、東西南北の境。寂れた橋。その下。門の脇。壁の陰。黄昏時に暁の頃合い。分水嶺に波打ち際。ベルニージュたちがヒデットの街で探し、見つけ、訪れた場所にも酒場や食堂があり、独自の市場や複雑な巷があり、地下街の煙臭い一画などがあった。
多くの魔法使いと会話することは、ベルニージュにとって久しぶりでとても心地よいものだった。それは語らいではなく、対話であったが、その場で耳にする魔法使いたちの秘密めいた語りに心がざわめいた。何処かへ去った巨人たちについて語り、命を吹き込む魔法について議論し、救済機構の予言について冗談を言い、蛾の怪物をテネロード軍にけしかけたという魔法少女について噂する。
どれをとっても今のベルニージュに必要なものではなかったが、常にベルニージュが必要としているものだ。
そういう意味ではクオルとの語らいは稀有で有意義だった、とベルニージュは思い返した。であればこそクオルとの対立が残念でならなかった。道徳を犠牲にしなければ己の望みが叶わないかもしれないクオルの程度が残念でならなかった。
そして今、魔法使いたちが最も熱を込めて語っている話題が、一部の禁忌文字の力が強まっている現象や、徐々にサンヴィア地方を北上して、ついにはこの街でも発生した謎の発光現象だ。それらは迷宮に放り込まれた鼠のように好奇心旺盛な魔法使いたちをときめかせるだけでなく、迷宮に放り込まれた鼠のように臆病で信心深い人々を恐れさせているらしい。
いまサンヴィアのどこであっても、救済機構の寺院にせよ、神々の神殿にせよ、殺到する畏れ怯える人々のために、僧や巫女や神官が連日教え、諭し、説いているそうだ。救いや報い、あるいは喜捨について。
このヒデットの街でいえばジャングヴァンの神殿となるが、発光現象の理由など知るはずもない神官たちが信徒に何を語っているのかベルニージュは興味があった。偶然にもジャングヴァンは光や鏡を聖なるものとする太陽神であるために、謎の光が関連付けられてしまったらしく、この土地では特に戸惑いが広がっているようだ。ジャングヴァンの信徒は光を愛するがゆえに、地上で昼も夜もなく不意に輝く不遜な光に怯えているのだ。
クオルの噂についてもヒデットの街のあちこちで聞くことが出来た。馬のような蜥蜴のような生き物に牽かれた立派でけばけばしい工房馬車。黒い髪で背の高い青白い顔の魔法使いの女。否が応でも目立ってしまい、この街でもたちどころに噂の標的になったが、謎の光が発生した朝を境に姿を消したそうだ。
ベルニージュとレモニカはぽつりぽつりと点在する噂をたどって魔導書の衣が光ったという場所へとやってくる。それは何の変哲もない広場だった。仕事の合間に語らう者がいれば、あまり相手にされていない門付けがいる。
そこでも噂を集めるが、何かが光るさまを直接目撃した者はいないらしい。確かに多くの市民が夜明け前にこの広場の方向から、多くの壁を貫いて届いた光を見たという。そして朝になるとクオルの工房馬車は姿を消していたそうだ。しかし何が光ったのかは誰も知らない。
「逃げられてしまったみたいだね」とベルニージュは男の姿のレモニカに言って、工房馬車の影だけでも落ちていないかと広場を見渡す。「魔導書の衣か元型文字の光を見て、その意味に気づいたんだろうけど」レモニカが何も言わないのでさらに続ける。「となると、すぐに新たな文字を完成させて追うか、あるいは別の策を講じるか。ユカリとも話して決めないと」
それでもレモニカは何も言わなかった。ベルニージュはおそるおそる自分の袖をつかむ大柄の男の方を振り返る。レモニカは明後日の方向を見ていた。
「レモニカ? 聞いてる? どうかした?」
レモニカが沈黙の霧の向こうから現れ出でるようにして振り返り、しかしベルニージュの赤い瞳を恐れているかのように目をそらす。
「ああ、いえ、聞いてます。それでは、次の元型文字を完成させるための墨と衣ですわね」
ベルニージュが相槌を打つと、再び二人は街を巡る。
どうやら自分の態度によってずいぶんレモニカを気に病ませてしまったのだ、とベルニージュは気づいた。男嫌いそのものはどうにもならないが、だからといってレモニカを気に病ませたままで良いわけでもない。
墨や衣服を探しに商店街へと向かう道中も、レモニカは他者へ近づくまいとしながら、ベルニージュにもまた遠慮していた。
ベルニージュは大きく息を吸い込んで、偉丈夫たるレモニカに寄り添い、顔を真っ直ぐに見上げる。
「そういえば、ユカリに贈り物しないとね」
「はい。そうですわね」少なからずレモニカの雄々しい声が喜びの色に染まる。「お誕生日はもう過ぎてしまったそうですが、わたくしも何かお贈りしたいです。何がよろしいでしょうか?」
ベルニージュは少しほっとして考えを述べる。「ユカリはたぶん実用的なものを喜びそうだよね。美的な感性がないわけではないと思うけど、優先順位は低い気がする」
レモニカは指針を得て喜ぶ。「つまり、この旅に役立つ物ですわね?」
「そうだね。例えば防寒具とか」
「それはユカリさまから最も縁遠いものですわね」と言って上品に笑う大男レモニカだが、自ら否定するように首を振る。「いえ、でも寒くなってきたと仰っていらしたわ。それに、そもそも今から元型文字を作るための衣を買いに行くのですから丁度良いのではありませんか?」
ベルニージュは白い息を赤くなった手に吹きかけつつ言う。「そうだね。でも、一年で最も寒い時期になってようやく寒さに危機感を覚える子だよ? もうすぐいらなくなるってことでもあるわけだ」
レモニカは肩を落として呟く。「確かにそうですわね。それに、できることなら年中実用していただけるものを差し上げたいものですが」
レモニカの悲し気で凛々しい横顔をちらと見上げ、ベルニージュは少しだけ頬を緩ませ、切り替えるようにため息をつく。
「なら、そうしようか」と男嫌いとは思えない笑みをレモニカに向けてベルニージュは言う。「何かしら適当な衣を買って、年中実用できるようになる何かの魔法をかけよう」
クオルが泣いて悔しがり、負けを認めるような魔法道具ならなおいい。