テラーノベル
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天利「ジントニック……お好きなんですか?」
ほんの気まぐれだった。
行きつけのバーで仮初のおひとり様時間を満喫していると小柄な若い女が来店し、慣れた様子で「ジントニック……お願いします……」と注文する。
このバーは彼女のような若者には少々背伸びしすぎな店だ。
にも関わらず、彼女の立ち振る舞いは堂々としていて
「今日はバージントニックでなくてよろしいですか?」というバーテンダーの問いに「そういう気分なんです」とはにかみながら答える。
華奢な身体にシワひとつないオフィスカジュアル、気の強そうな吊り気味の切れ長の目、
全く隙のない仔猫のような彼女に珍しく興味が湧き、つい声をかけてしまった。
天利「失礼……
あなたのような若くて可愛らしいお嬢さんがジントニックを飲むイメージがなくて
ちょっと意外だったもんだから……」
彼女は一瞬警戒の色を見せたが
「験担ぎですよ……」と
アンニュイな笑みを浮かべる。
天利「験担ぎ?」
シズカ「カクテル言葉ってご存知ですか?」
天利「カクテル言葉?」
シズカ「花言葉のようにカクテルそれぞれに込められた意味やメッセージがあるんですよ」
天利「へぇ〜」
バーテンダー「ジントニックのカクテル言葉は「強い意志」「いつも希望を捨てない貴方へ」……ですね」
シズカ「はい……」
彼女はグラスを受け取り口を湿らせると
生まれては消える気泡を眺め
物思いにふける。
天利「こんなおじさんでよければ
話くらい聞くよ?」
シズカ「え?」
天利「見ての通り1人なんだ
お嬢さんさえよければ
おじさんの退屈しのぎに付き合ってよ」
彼女は俺を見てこてん……と首を傾げ
「ありがとうございます」と少し微笑んだ。
シズカ「私、ある企業に勤めていて
今度、大きな企画のチームに参加させていただくことになったんですの」
天利「へぇ、若いのにすごいね」
シズカ「ありがとうございます」
シズカ「上司の推薦で参加させていただけるのですから
その期待に応えるために、精一杯足掻こうかと……」
シズカ「いや……せめて爪痕くらいは残したいですね……」
シズカ「そのためには、常に強い意志と希望を捨てず邁進するしかないんです……」
シズカ「私は……あの方の期待に応えたい……」
彼女の目には、その華奢な身体に不釣り合いなほどの芯の強さと意志を感じる。
天利「……おじさんは一般企業で働いたことないし、学歴も頭もあんま良くないけど。なんやかんやで、それなりの生活が送れるくらいには稼げてるからさ」
口を潤そうとラムをひとくち飲み下すと、いつも以上に喉が熱く感じる。
この独り言のような打ち明け話も、きっと酒の熱気にあてられたせいだろう。
天利「……だから、なんとなく分かるんだよ。結局、世の中を動かすのは賢い理屈なんかじゃなくてさ。君みたいな『絶対に爪痕を残してやる』っていう、剥き出しの意志なんじゃないかな、ってね」
俺は微笑み、彼女の細い指先に視線を落とした。
丁寧に整えられた、都会の女性らしい繊細な指先だ。
天利「精一杯、足掻いておいでよ。その綺麗な爪で、向こう側の世界をめちゃくちゃにしてやるくらいのつもりでさ」
穏やかに、祈るような響きを込めてそう告げると、彼女は目を潤ませてニコリと笑う。
彼女はしばらく、自分の「意志」を肯定された喜びを噛み締めるように微笑んでいたが、やがてはっとしたように時計を見た。
シズカ「……いけない
つい話し込んでしまいました」
天利「おっと、おじさんが引き留めすぎちゃったかな
明日の仕事に響くと悪い」
シズカ「いえ、とても……
勇気をいただけました」
彼女は去り際にもう一度だけ俺を振り返った。
シズカ「あの、お名前を伺っても……?」
天利「天利、だよ」
シズカ「天利さん
……私、頑張ります
またいつか、良い報告をしに来ますわ」
天利「楽しみにしてるよ」
軽やかな足音とともに、店のドアが開く
外から入り込んだ夜の冷気が、彼女の残していったジントニックの清涼な香りを連れ去っていった。
1人残された俺は、彼女が座っていた空の椅子を眺める。
「他人に興味がない」なんて、自分でもよく言ったものだ。
本当は、あんな風に真っ直ぐなものに当てられるのは、嫌いじゃない。
その時、ジャケットの内ポケットで、スマートフォンが短く、執拗な振動を繰り返した。
無機質な震えが、彼女の残していった清涼な空気を無遠慮に塗りつぶしていく。
画面に表示されたのは、登録名のない番号。
どうせ、組の連中の誰かだろう。
天利「……あの子がまたここに来る頃には、少しはましな報告ができるよう、俺も自分の仕事を片付けなきゃな」
独り言のように、あるいは自分に言い聞かせるように呟いて、俺はスマートフォンの画面を指先でなぞった。
受話口から漏れ聞こえてくるのは、血の匂いが混じったような、卑屈でひどく焦りきった男の声だ。
天利「……どうした ?
……ああ、分かった、 今から行くよ
……好きにさせといていいよ
死ななきゃいい……」
電話を切ると、俺は残っていたラムを一息に飲み干した。
喉の奥で、甘く、重く、濁った残香が居座っている。
彼女が抱える「希望」の香りと、俺が生きる「泥」の味。
その混ざり具合が、今は妙に心地よかった。
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