「何か、今日。滅茶苦茶込んでましたね」
「ほら、ゆず君が出るBL映画の効果で、お客さん増えて」
「へー経済効果ってことですね。ふーん」
可愛げの無いことをいう。
と、俺は思いながら、何故かゆず君の荷物持ちをさせられることになってしまった。といっても、鞄一つだから、それくらい特別嫌でもないんだけど。
ゆず君は黒いキャスケット帽子の下に、地毛と同じ亜麻色の長い髪のウィッグをつけていた。服装は、クソダサジャージだから似合わないけれど、ゆず君の童顔と相まって、女の子に見えなくもない。ゆず君がその気になって演じれば、きっと女のこと間違う人も出てくるだろう。ゆず君は、基本的には可愛いから。
「経済効果って、まあ、そうなるね」
「紡さんが普通に仕事してるところ初めて見ました」
「それだと、俺が普段仕事してない人っていう風に聞えるんだけど」
「え~そんなこと言ってませんって。ただ、あんな風に働いているんだって思って。何か、いつもと違うなって思いました」
「そう?」
いつもと違う、といわれて、俺は少し引っかかるところがあった。だって、そんなこと始めていわれたし、俺はあそこで、キャラを作っているわけじゃ無いから。
演じるプロのゆず君からしたら、そう見えるのかな、普通じゃないのかな、と思ったけど、どうやら、ゆず君が言いたいことはそういうことではないらしい。
「何か、僕以外と、紡さんがイチャイチャしてるところ見るとこうもやっとしたんですよね。言語化できないんで、申し訳ないんですけど、こう、そこは、違うっていうか。紡さんの隣は、僕だー的な、あれですね。なんていうんですか、これ」
「何ていうんですかって……もしかして、嫉妬してくれてる?」
「嫉妬」
「それって、えっと、一応俺達『恋人役』同士だから、他の人と関わっているところ見て、嫉妬というか、焼き餅焼いたのかなあって……あはは、違うよね。そんなわけ」
自分でいっていて悲しくなった。何で悲しくなったかも理解できなかったし、こんなこと言うつもりなかった。
でも、ゆず君が言ったそれって、嫉妬と同じ感情なんじゃないかと思ってしまったのだ。じゃなかったら、何だというのだろうか。仮に、ゆず君が『恋人役』を演じていて、その役にどっぷりはまって、恋人と役と線引きが曖昧になっているのだとしたら、そういう感情を抱いても可笑しくないと。でも、その感情は、恋人役が感じたものであって、ゆず君が感じたものじゃない。難しいけど、ゆず君の感情じゃないんじゃないかとすら思ってしまう。思いたくないけれど。
(何か、俺、期待してる?)
自分は、ゆず君の特別だとか、そんなこと思っているんじゃないかと思った。
昼間の、あずゆみ君の言葉、そして、以前言われたちぎり君の言葉を思い出す。
俺は、利用されているだけだと。これは、契約ではないけれど、ゆず君の『お願い』を聞いているだけに過ぎないと。そう、言い聞かせて、どうにか、煩い心臓を納めようとした。こんなの違うって。
ゆず君は少し考える素振りを見せたあと、何かひらめいたようにパッと顔を上げる。
「これが、嫉妬ですか」
「へ?」
ゆず君は嬉しそうに、自分の胸に手を当てる。それから、ほっとしたように、か細く笑うと、俺の方を見て、先ほどとは違う無邪気な笑顔を向ける。
「いや~恋人に嫉妬するってどんな感情なのかなって僕全然分かんなかったので。そうか、これが嫉妬。なるほどぉ、結構厄介なんですね。この感情って」
「えっと、ゆず君」
「この感情、『恋人役』を通してしか、分からない感情ですね。きっと」
「……っ」
『恋人役』。あっパリ、これは役なんだと、突きつけられているようで、酷く胸が痛かった。
いや、俺が胸を痛める理由なんてないんだろうけど、それでも、何故か痛かった。
それってまるで――
(まるで、俺が――)
「紡さん?」
「何、ゆず君」
「今日って、僕の家来ます? 綾君から、今日は友達の家に行くから、家使っても良いですよーなんて言われたんですけど、こからだと、僕の家の方が近いんで、どうします?」
「え、そんな連絡はいってたの?」
急いで、スマホを確認すれば、確かに、そこには、あや君からのメッセージが入ってた。語尾にハートがついていて、何となく「今なら家でイチャイチャし放題だよ!」と言われている気がして、むずがゆかった。あや君は矢っ張り、俺とゆず君の関係をそういうものだという風に認識しているらしい。
(……あや君が家に帰ってこないなら、ゆず君のお言葉に甘えても……)
確かに、ゆず君の言うとおり、こっからだと、ゆず君の家の方が近いし。
でも、夕飯はどうしようか、なんて思いも浮かんできた。ゆず君の家に食べるものなんて、無いような気がするし。
でも、ゆず君の家に行きたい、っていう気持ちが強くて、俺は他のことを全て取っ払って、首を縦に振った。
「お邪魔しても、いい?」
「もっちろんです♡ 紡さんなら大歓迎ですよ」
と、ゆず君は白い歯を見せて、ニパッと笑った。
その『俺なら』って、言葉に、俺は胸が酷く激しく打った。
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