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それはガレイン半島で今までに見てきたどの建築物の様式とも違っていた。質実剛健な砦には違いないが、帷のように波打つ外壁に、肋の如く重ねた控え壁。壁との境目が無く、柱から連続した梁で区切られた屋根。まるで巨大な天幕のようなライゼンの建築様式の要塞が、セルマンリー王国北東沿岸のまだ大王国の手が伸びていないはずの土地に、海に張り出すようにして聳えていた。まるでその建物が脚を生やして、どこかからやって来て、その巨体を休めるべくその土地に鎮座したかのように不自然だった。歴史ある建築物は、それも自然物の只中にあるならば必ず調和を生み出す。人間の方が拒んでも、自然は有無も言わさずに寄り添ってくるものだ。そこにはそれがない。
その印象を裏付けるように、レモニカは要塞の奇妙な様子に気づき、よくよく目を凝らす。見ている間に外壁が風を受けた帆のようにうねり、朝霧の如く歩廊が忽然と現れ、平らな壁に露台が茸のように生えてくる。先ほどまで剥き出しだった骨組みが隠れ、足場が霧のように消える。城砦は今まさに建設中だった。しかも尋常の速度ではなく、まるで手慣れた手付きで積み木を重ねるような速さで建造されている。
「築く者だね」とベルニージュが推測する。「建てる者にも同じことは出来ると思うけど」
「どう違うの?」とグリュエーが尋ね、除く者の方にも目を向ける。「何か意図があるのかな? 似た魔術を使う使い魔がいることには」
レモニカも同じ疑問を抱いていた。が、魔導書の創造主の意図など想像もつかない。
「さあ、よく分からない。どちらも建築の魔術を使えるらしいけど」そう説明したベルニージュに目を向けられるが、除く者もまた肩をすくめるばかりだった。
「どうして建てる者じゃなくて築く者だと分かるんだ?」とソラマリアがベルニージュに対し、問いを重ねる。
「建てる者はこっちにいるからね」とベルニージュは簡潔に答えた
セルマンリー島から疲弊したユカリたちが戻って来てから数日が経っていた。島で何があったのか、ユカリ、ベルニージュ、ソラマリアが説明してくれたが、思いのほか複雑な事態であり、全てを聞いても理解できているかどうかレモニカには自信がなかった。
ともかく、結果だけを見れば、かわる者を説得することに失敗し、使い魔を何人か失っている。新しく得たのは飛ぶ者だけだ。その魔術があれば逃げ出したかわる者を追跡するのも容易だと思われたが、複数人を同時に飛行させる魔術は存在しないのだという。一人で追ったところで勝ち目はないので、使える状況は限定的だ。
島には何故か焚書官たちもいて、三つ巴の混戦が起きたらしい。
仮にレモニカが島に同行していたとしても、深奥すら行き来した混戦という状態では何もできなかったことだろう。まっただ中に放り込まれたなら、レモニカは次々と変身してしまい、更なる混乱をもたらしてしまうだけだ。
一応、現状呪いを固定化する方法はいくつかある。だが、封印を貼り付けるにせよ、誰かと付かず離れずいるにせよ、戦いの足を引っ張ることには変わりない。やはりベルニージュの提案した魔術、自分を嫌う者を見つけて、自分に関する記憶を奪い、記憶を封じ込めた持ち物を所持するのが最も現実的なのだろう、とレモニカは考える。それが出来てようやく、誰の足も引っ張らずに済む。
混戦の結果は、首席焚書官アンソルーペにかわる者が貼られ、北へと逃げていったのだという。焚書官たちは首席を奪われたのか、はたまた元から手を組んでいたのか、とにかくユカリたちには目もくれずアンソルーペ、かわる者を追って去っていった。
そうしてレモニカたちもまた北へと足を向け、その先でこうして謎のライゼン建築に遭遇したというわけだった。
「魔導書の気配はあるけど、正確な数は分からない。二十から三十くらいかな。かわる者たちか不滅公が得た数かは分からないけど、足したら五十くらいになるはずだから、見分けがつくと思う」とユカリは遠くを見るような目つきで呟く。
「アンソルーペたちがあの砦に紛れ込んだ可能性はないということだな」とソラマリアが分かっていたかのように言った。「やはり深奥を通ったのでは? 縁とやらをたどれば大陸をも超えるのだろう?」
「それができるならかわる者だって使い魔の救出に苦労したりしないよ」とベルニージュが断言する。「飛んで逃げる必要すらない。ワタシたちが混沌の場を用意するのに苦労するように、かわる者の魔術にも何か制約や限界があるんだと思う」
「ラーガ王子だとして、要塞を築いた理由は分かりますか?」と除く者が誰とはなしに尋ねる。「今までの野営は天幕を張っていただけでした。何かと戦うのでしょうか?」
ベルニージュが推測しつつ言葉にする。
「具体的な目的は分からないけど、あそこに留まりたいのは間違いないね。この土地特有の何か、海岸だからか、ルー王国との国境近くだからか、あるいは巨人に関連する何かがここにもあるのか。もしくはここを足掛かりにセルマンリーを侵略するつもりか。さすがにあの数だと街を幾つか陥落させるのが限界だと思うけど」
「とりあえず要塞に向かいましょうか」とレモニカは提案する。「封印についてお兄さまと交渉しなくてはなりませんし、久々にアギノア様にもお会いできますわね」
それにライゼン大王国の関係者ならば自分を心底嫌っている者もいるかもしれない、とレモニカは考えた。
野営の時のようにはいかないのではないか、という懸念もあったが杞憂に終わった。不滅公は快くかどうかは分からないがレモニカたちの入城を認めた。曲がりなりにも魔導書の所有者であり、明らかに不滅公の所有する魔導書を狙う者たちを招き入れるのは懐の広さゆえか、過小評価されているのか、はたまた魔導書と同様に不滅が故か。
軍事に疎いレモニカにもその沿岸要塞の造りが普通とは違うことが分かった。外壁は厚いが、海に向けて開かれており、むしろ造船所のような趣があった。内部は開けており、巨大な天井に覆われた港湾のようで、調査隊には多すぎる物資が貯蔵されている。
以前にクヴラフワで聞いたことをレモニカは思い出す。調査隊の行軍速度を維持するため、補給部隊を別に用意しているとのことだった。その基地なのかとも思ったが、ここは使い魔による急ごしらえの要塞であり、その上、大王国からすれば前線のさらに先だ。ここに暫く留まるつもりだろうが、長居するつもりもないのだろう。
砦に入ってすぐ「皆さん!」と明るい声色で言って、大王国の戦士たちや屍使いたちを掻き分けて現れ、仔犬のように駆け寄ってきたのは真珠質の貴婦人アギノアだった。
ノルビウス氏族風の波柄の青い衣服を着て、真珠質の肌を露わにしている。それだけ調査隊に溶け込んでいるということなのだと分かり、レモニカは安心する。
「アギノアさん。元気そうでよかった」とユカリがその硬質の艶めく手を握る。「ヒューグさんのことは何か分りました?」
「いえ、ラーガ殿下は何も教えてはいただけません。やはり大王国に渡るかどうかしてヘルヌスから聞き出すべきか、しかし話せないことであれば口止めされていそうですし」とアギノアは暗い顔で話した。
「この要塞の目的は聞いてる?」とベルニージュは広々とした内部を観察しつつ、尋ねる。「防備の割に想像していたほど物々しい雰囲気でもないね」
「船を待っているそうですが、具体的には何も」
やはり侵略の足掛かりなのだろうか。そのような懸念を他所に、戦士の一人の案内で大王国王子ラーガの元へ向かう。
兄の元へ向かう最中、レモニカは立ち働く者たちを三つの指で作った窓で覗く。念視の魔術は記憶の澱のようなものらしい観念の靄を見せるが、そこに目当てのレモニカの姿は見当たらない。レモニカをよく思っていない者自体はそれほど珍しくないが、最も嫌うとなると難しいのだろう。それに、仮にいたとしても本来の姿を知っていてくれなくては困る。その上、この魔術は水面越しに水底を読み取るようなもので、変な格好で見ていることを見られるだけで、観念の靄は掻き混ぜられ、水が濁ってしまった時のように読み取りづらくなってしまう。この魔術を使うにあたって理想的状況は眠っている者を窃視することなのだ。
案内の戦士によるとラーガに謁見できるのはレモニカとユカリだけだとのことだった。
「何でだと思う?」と海の見える断崖に沿った廊下を歩きながら魔法少女の姿のユカリに尋ねられる。「私は、まあ、代表みたいなものだし、レモニカは大王国側の立場にも通じてるから、だとして。ベルやソラマリアさんを同席させない理由」
「御しやすいと思われているのでしょうか?」魔法少女の手を握り、本来の姿に戻っているレモニカが答えた。「わたくしたちが交渉を持ち掛けることは明らかですし」
その言葉に同意するように冷たい海風が二人の肌を突き刺す。
「ありそう。どうしよう。不安になって来た」
「大丈夫ですわ。わたくしが決して不利にはさせません」
「頼りになるよ、レモニカ」ユカリに見上げられ、じっと見つめられ、レモニカは何とか受け止める。「なんだか初めて会った時とは随分変わった気がする」
「ユカリさまの! や、皆さまのお陰ですわ。わたくしも多くの危機を越えましたから」
ユカリに褒められて、初めて自身の成長を実感し、甘くて爽やかな感情に満たされる。
そうしてラーガの執務室へと通された。両開きの扉を押し開くと、変わらず風が吹いて来た。魔法の風ではない。極寒の北極海に面しているが故に、彼方にあるという神秘の土地から吹いてくる冷たい風だ。
まだ伐採されたかのような香り立つ木の床があり、磨き込まれた表面に灯りの反射する重厚な机と椅子があり、天幕でよく見かけた派手な座布団がいくつもあるが、天井と壁がない。否、今まさに使い魔によって形作られているところだった。二足歩行の狐のような獣の姿だ。顔は小さく、尾は太い。両腕は白銀の鱗に覆われ、凍り付いた炎のように煌めいている。そして体中に衣嚢がついていて、そこから大工道具や木材、石材を取り出していた。
唯一の椅子に座っているのが不滅公ラーガだ。日の弱いガレインにあっても日に灼けた肌は変わらず色濃く、海よりも濃い青い瞳は深い輝きを湛えている。
「すまんな。急遽増築させているところだ」言葉とは裏腹にラーガは何でもないことのように言う。そして風の吹き込むままに言葉を続ける。「久しくはないな。見るに、もう一人の魔法少女とやらは確保できたのか」
ラーガはユカリの魔法少女の衣を見つめて言った。
「いいえ、惜しいところだったんですけど」と、ユカリが正直に答えた。「ただ、魔導書無しでも魔法少女に変身することができました。この衣装への変身もそうです」
ラーガは何度か口を開いては閉じ、何度目かにようやく言葉を紡いだ。「つまり、魔導書の魔法を再現することに成功したということ、なのか?」
「再現というほどではありませんね。いくつか実験しましたが、大きく下位互換と言わざるを得ません。使い魔のように手続きを省略できることを除けば、並の魔術師でも再現できる程度のようですね」
「ほう? 正直だな。本当のことならば、だが」そう言ってラーガはユカリとレモニカを見比べる。
そうこうしている内に壁も天井も構築され、建築の使い魔はどこかへ去っていた。ようやく凍てつくような秋風から逃れられた。いつの間にか設けられた暖炉には火が投じられ、早くもラーガの執務室はまるで初めからそうであったかのように温もりに満ちている。
「お兄さまにお願いしたいことがありますので、出来る限り正直でいるつもりですわ」
するとラーガは二人の後ろを指し示した。レモニカとユカリが振り返ると、豪奢な長椅子が音もなく用意されていた。二人は同時に座り込み、その柔らかな感触に埋もれる。
「出来る限りか。なるほど正直だな」そう言って兄ラーガも椅子に深くもたれかけ、くつくつと笑う。「願いとは何だろうな。想像もつかん」
兄の冗談は脇に置いておいてレモニカは本題に入る。
「使い魔の封印を全て譲っていただきとう存じます」
「これはこれは、大きく出たな。さすがは偉大なるライゼン大王国の姫君だ。国家の存亡を左右する強力な力を御所望とは」
「およしになってください。わたくしはもちろんのこと、ユカリさまは力を欲しているわけではございません」
レモニカは毅然とした態度で兄に挑むように見つめる。
「可愛い妹とじゃれ合うのはこれくらいにしておこうか」そう言うとラーガは前のめりに、机に身を預けるように乗り出す。「最も大きな懸念点は、お前たちに預ければ、機構に奪われるか、かわる者とやらに解放される可能性が高まることだ。故に条件は二つ。封印するには同一種の魔導書を全て集める必要があるのだろう? ならば、俺が持っている封印以外を全て集めることだ。それならば速やかに封印が可能だからな」
一つ目に関しては想定内の条件だ。しかし一つ目しか想定していなかった。
「二つ目はなんでしょうか?」とユカリが尋ねる。
「俺とベルニージュ、二人きりの時間をくれ」
レモニカもユカリも相槌すら打てずにいた。そんな予感はしていたが、いざ口にされると何といえばいいものか分からなかった。それに、こんな風な話の流れで出てくるとは思わなかったのだ。魔導書と交換条件にするとは、ある意味情熱的なのだろうか。
「それは、しかし、わたくしたちが決められることではありません」
「ああ、もちろんだ。要するに邪魔をしてくれるなよ、というだけのことだ」
レモニカはユカリと顔を合わせる。魔法少女の幼い表情は驚きと同時に不安を示している。
「もしもベルが断った場合はいかがするおつもりですか?」とユカリは尋ねる。
「どうもしない。ただ待つだけだ。お互いにな」と不滅公は答える。
「まずはベルニージュさまにお伝えする必要がありますわね」とレモニカは話をまとめるように言い、ユカリもラーガも頷いた。
執務室を去る間際、レモニカはもう一つ質問をするつもりだったことを思い出す。
「お兄さま。心底、わたくしのことを嫌っている人物について思い当たる方はいませんか?」
「ん? ああ、お前の呪いに関することか。いや、政治的な思惑のある者はいるだろうが、最も嫌っている者となると、分からんな。必要なら作ればいいだろう。罪人を貸してやろうか?」
最初は兄の言う意味が分からなかったが、その恐ろしさに気づくとレモニカは丁寧に固辞し、執務室を退いた。