「……ごめん。その日お父さんのお店の棚卸しなの。私も仕事が終わったら。お母さん手伝いに行くことになってて……」
「あぁ、そうだったんだ」
その返答は考えていなかったから、気が抜けたような、残念なような気持ちになる。
棚卸しは俺も店でやっているし、かなり面倒なのはわかっている。
俺も手伝いたいけど、仕事が終わるのは午後10時を回るから、その頃にはさすがに終わっているだろうし……。
「湊は何時に終わるの?」
「俺は10時くらいかな」
「そっか……」
若菜はなにか考えているようだけど、それがなにかわからなくて、間を持たせようと話を続ける。
「でもおばさん、若菜来るまで一人だと大変じゃない?」
「あ、それは」
反射的に口を開いた若菜は、はっとしたのか口をつぐむ。
「え?」
「あ……その」
言い淀んだが、若菜はしばらくして言葉を続けた。
「私が行くまで、原田くんが棚卸しを手伝ってくれるみたいなの。さっきお母さんから聞いて……」
意表をつかれ、え?と思うと同時に、胸に黒いものがよぎった。
それは居場所を奪われた時のような気持ちで、胸に生まれた黒いものは大きくなっていく。
若菜の家と親しくしているのは、俺のうちだ。
無意識に自分が手伝えないかと思うほどには、原田のいる場所は、俺の場所だった。
……若菜とも、若菜の家にも近い場所にいるのは、俺なのに。
その場所を取られたような気分になり、喉の奥が苦くなる。
「棚卸しが終わったら、原田くんにごはんをごちそうする約束してるみたいで……。湊、それが終わってからでもいい?」
若菜は申し訳なさそうに続けた。
原田に告白され、今若菜はあいつと微妙だから、俺に変に気を遣っているし、そのこともいい気はしない。
「あぁ、じゃあ俺も仕事終わったら言うし、お互い大丈夫だったら、その時考えよう」
「あ、うん……」
不愉快になる話を終わらせたくて言えば、若菜は頷いたけど複雑そうだ。
本当は俺の誘いを受けたいと思ってくれているようにも思えるけど、原田の好意もありがたいし、無碍にできないと思っているのもわかる。
俺の誘いを受けられないのが惜しそうなのは、俺を男として見てくれているからか、それとも幼なじみが遠くに行く前に会っておきたい、という寂しさだろうか。
そんなこと考えたところでわからないのに、俺にとっては大切だから意識せずにいられない。
「お疲れ」と電話を切ろうとすると、「あっ」と声が聞こえた。
若菜がなにか言おうとしているようで言葉を待つと、しばらくしては意を決したような声が聞こえる。
「湊、私、その日会いたい。私も終わったら連絡する」
はっきりした意思のある声に、胸をつかれた。
(……若菜)
俺とつながろうとしてくれているのを感じ、その瞬間胸が温かくなる。
原田に俺の場所を奪われた気がして、内心いじけていた。
でも……若菜は俺のこと考えてくれていると思うと、単純だけど、心にあったもやが薄れていく。
「わかった」
はにかんだ笑みが口元に浮かんだ。
それが若菜にも伝わったのか、電話の向こうから柔らかい空気が伝わってくる。
通話を終えると、一仕事終えた後のような、深い息がこぼれた。
数日後、若菜ともし会えたら、俺は好きだって言えるだろうか。
ここからいなくなる俺が、若菜に伝えられることはあるか。
伝えたいことを言う勇気が持てるか。
相手にどう思われるか考えたり、これまでの関係が壊れるかもしれないと思うと、思っていることが言えなくなる。
その怖さを越えられるかは、今の時点ではわかからない。でも。
(会えたら、言おうか)
会えるとはまだ限らないから。
もし……会えたら。
若菜とふたりで話せることがあったら……若菜に対して抱いている想いを伝えてみたい。
そんなふうに思いながら家路についた。
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