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「そ、それ、どういうこと……?」
不安そうな表情で、ユキは楸先輩の姿を見つめる。
楸先輩は不気味な微笑みを浮かべたままで、
「私が、私じゃない? それ、どういう意味ですか? 私は私です。楸真帆です。私が楸真帆でないというのなら、じゃぁ、ここにいる私はいったい、誰だというんですか?」
その問いに、わたしは答えることができなかった。
ただ後退りしながら、いつ襲われてもすぐに逃げ出せるように、ユキの腕を掴んだまま、じっと楸先輩の挙動に注視する。
けれど、楸先輩はそんな私たちの様子に、おかしそうに「ふふっ」と笑い、
「それにしても、昨日は大変でしたね。あんな怖い夢を見るだなんて、私も思っていませんでした。あなたたちがちゃんと逃げることができて、本当に良かったです」
それに対して、ユキは「ほ、ほら」と小さく口にする。
「やっぱり、楸先輩だよ。昨日見た夢のことでしょ?」
けれど、それはまるで、自分を安心させるかのような口調だった。
たぶん、ユキも楸先輩の様子をどこかおかしいと思っているはずだ。
そうでないと、こんなに動揺した言い方をするわけがない。
わたしはじっと楸先輩を睨みつけたままで、
「ひ、楸先輩は、あのあと、どうやって目を覚ましたんですか? 夢魔は? あの化け物は、いったいどうなったんですか?」
訊ねると、楸先輩は小首を傾げながら、
「さぁ?」
おどけたように、ニヤリと笑った。
「夢魔? でしたっけ? あんなの、大したことありませんでした。わたしがちょっと風の魔法を使ったら、そのままどこかへ消えてしまいました」
だから、と楸先輩はわたしたちの方へ一歩踏み出し、
「安心してください。私は私です。楸真帆です。ね?」
すっと右手を差し出してきて、その瞳がどんよりとした鈍色に染まって――
「真帆、ここに居たんだ」
その声に、楸先輩は差し出した右手をすっと下におろした。
嬉しそうに口元に笑みを浮かべながら、
「――シモフツ君!」
言って、後ろを振り向く。
そこにはシモハライ先輩の姿があって、楸先輩は二、三歩でシモハライ先輩に駆け寄ると、その首に両腕を回すように抱き着き、
「すみません、ちょっと可愛い後輩さんたちとお話ししていました」
これ見よがしに、わたしたちの目の前で軽くキスをする。
シモハライ先輩はそんな楸先輩の行動に目を見開き、慌てたように楸先輩の身体を引きはがしながら、
「ちょっ、やめろって、こんなところで……」
「え~っ? いいじゃないですか、別にどこでキスしようが一緒じゃないですか」
頬を膨らませる楸先輩。
彼女はシモハライ先輩の身体に再度抱き着き、その首元にすりすりと頬を近づける。
その姿は先ほどまでの雰囲気とは全く異なり、まるで飼い主にすり寄って甘える猫のようだった。
まとっていた空気や影そのものを完全に潜ませ、けれど時折、挑発的な視線をこちらに寄越す。
「ど、どうしたんだよ、真帆。なんで急にそんなに」
「だって、私はシモフツ君のモノで、シモフツ君は私のモノでしょう?」
「いや、それは――」
「……違うんですか?」
その瞳に影が差して、シモハライ先輩は「とんでもない!」といった様子で首を横に振って、
「ち、違わないけど、前はそんなに人前でくっついてきたりしなかったじゃないか」
「そうでしたっけ? そんな昔のこと、忘れちゃいました」
「そんな昔って、そこまで昔じゃないでしょ?」
「昔は昔です。一日経てばみんな昔の出来事です。過去は全て昔の出来事なんですよ、知っていましたか?」
「なに? その屁理屈……」
「と・に・か・く」
と、楸先輩はシモハライ先輩の唇に人差し指をあてながら、
「昔は昔、過去は過去、今は今、未来は未来。今の私はシモフツ君とイチャイチャしたいんです。誰が何と言おうと、私はこの気持ちに正直であるつもりです。例え私たちの間に邪魔が入ろうとしても、私はその邪魔するものを排除してでもそうしたいんです」
それから楸先輩はわたしたちの方に顔を向けて、一切の表情を失った顔で。
「――わかりましたか?」
それは明らかに、わたしたち(たぶん、わたしだ)に対する確認であり、警告であり、脅迫だった。
その無表情があまりにも恐ろしくて、気持ち悪くて、不気味過ぎて、わたしもユキも、何も答えられないまま、その場にじっと立ち尽くすことしかできなかった。
やがて楸先輩は、再びその顔に作ったような笑顔を浮かべると、シモハライ先輩の方に顔を戻して、
「さぁ、行きましょうか。私たちの秘密基地に」
「……あ、うん」
そんな楸先輩の様子に、シモハライ先輩もどこか違和感を覚えたのだろうか、眉間に皺を寄せながらも小さく頷き、けれど楸先輩にされるがままふたりは腕を組むと、
「それじゃぁ、カネツキさん、ユキさん。また夢で逢いましょうね」
鈍色の瞳をこちらに向けて、口元に小さく、笑みを浮かべた。