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「和臣なら喜んでイエスと言ってくれると思ったのに、あのときはすごくショックを受けたっけ……」
「もしかして、恭介が浮気をしたという決定的な証拠を見つけたとか、他にも何か誤解させる言動をやらかしたんじゃないのか? 和臣くんは勘が鋭いからな」
自分の言ったセリフで、胸の内にじわりと不安を覚える。
勘の鋭い和臣と一緒にいる、実直すぎるゆえに嘘のつけない恋人。何かの拍子に、隠していることをぽろっと口走りそうな気がしてならない。
「俺が浮気なんて、するわけないじゃないですか。サプライズを計画している最中にちょっとしたことで、誤解をさせてしまっただけなんです」
「うわぁ。サプライズしようと思ったら、違う意味のサプライズになったということか。最悪ぅ!」
取り繕うことに長けている榊だが、長年一緒にいる幼馴染みには騙しがきかなかった事実を聞き、言いようがない不安感に駆られた。
「……橋本さん?」
あまりにも不安になったせいで顔を俯かせたら、榊が声をかけてきた。いつものやり取りなら、自分がおちょくって盛り上がっている場面だったせいもあり、余計に心配したのだろう。
「聡い和臣くんの傍に雅輝がいるっていうのが、俺としては引っかかってしまってな」
「あ~、確かに。だけどバレたとしても、俺は大丈夫ですよ」
橋本に気を遣って笑いかける榊に、微笑みを返すことができなかった。告白の相手を知らない榊だが、その相手を知ってしまったら間違いなく、この笑みが消え失せてしまうのがわかる。そして和臣が過去の自分の気持ちを知ったとき、どんな心境になるのか――。
「俺としては、あまり大丈夫じゃねぇな……」
「大好きな宮本さんが、和臣にねちねち責められると思ったら、居ても立っても居られない感じでしょうね」
「そういうことにしておいてくれ」
橋本が榊に返事をしたそのとき、聞き慣れたインプのエンジン音が聞こえた。音に導かれるように、やって来るであろう宮本たちを待ち構えていたら、いたって普通の運転で傍らに停められた。
神妙な顔の宮本が先に降りてくるなり、無言のまま橋本にぎゅっと抱きつく。
「雅輝?」
大きな躰を震わせながら顔を俯かせているせいで、恋人の表情はまったくわからなかったが、漂わせる雰囲気で何かがあったことは明白だった。
しばしの間のあと和臣がインプから降りてきて、ゆっくりとした足取りで榊の前に向かう。その顔色は、峠を下るときと変わらない様子に、橋本の目に映った。
「恭ちゃん、すっごく楽しかったよ。宮本さんは、本当に運転が上手だった」
和臣の口から名前が出た瞬間、橋本の腕の中で宮本がびくっと躰を痙攣させる。過剰な反応に驚きながら、榊へと反射的に視線を飛ばした。
榊は何かを探るように和臣を見つめたまま、何かを喋りかけたが、息を飲むように口を引き結んだ。目の前にある和臣の大きな瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「恭介……」
橋本が声をかけたが榊はそれに答えず、弱りきった表情を浮かべる。
(ああ、和臣くんは俺の気持ちを知ってしまったんだな――)
「あれれ? 今頃になって、宮本さんの運転のすごさが伝わっちゃったのかな。泣いちゃうなんて情けない!」
流れた涙を拭いながらカラカラ笑う和臣の声が、暗く沈んだ雰囲気を一掃した。
「和臣くん、あの――」
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、橋本が思いきって話しかけたら、ふいっと背中を向けられてしまった。そんな和臣に榊が「おい……」と声をかけながら、振り返ることを促すべく肩に手を乗せる。
「橋本さん、宮本さんが運転で疲れちゃったみたいなので、このまま帰りませんか?」
榊の行為を無視したまま、ちょっとだけ顔を上げるなり、大きな声で話かけた。和臣に背中を向けられたまま告げられた行動は、多少なりともショックだったが、 腕の中にいる宮本の気持ちを優先し、提案されたものにありがたく乗っかろうと考えた。
「わかった。雅輝、助手席に乗れるか?」
橋本は宮本の肩に腕を回して、助手席に誘導しながら歩かせて、そのまま座らせる。榊たちも黙ったまま、それぞれ後部座席に乗り込んだ。
行きとは真逆の重苦しい空気を肌で感じながら、橋本はハンドルを握りしめ、榊たちが住むマンションまでインプを走らせた。
助手席にいる宮本は俯いたまま悲しげな顔をしているし、後部座席のふたりにいたっては、顔を合わせないようにするためなのか、車窓の外をそれぞれ眺めていた。
(和臣くんに雅輝を紹介した時点で、こうなることがなんとなくわかっていたのに、やっぱり会わせるべきじゃなかった……)
赤信号で停まった隙に、宮本の右手に自分の左手をそっと被せてやる。橋本の手を見てから、恐るおそる顔を上げた宮本の眼差しは、ちょっとだけ潤んでいる感じだった。
無言のまま絡んだ視線に、橋本はちょっとだけ微笑んで頷いた。重ねた左手に力を入れて握りしめてから、すぐさまシフトレバーに移動させる。
一刻も早く榊たちをマンションまで送り届けてから、落ち込んでいる宮本の心のケアをしてやらねばと心が急いた。
信号が青に変わった瞬間、アクセルをぐっと踏みしめる。勢いよく走りだす愛車のキビキビした動きに、橋本の唇に笑みが浮かんだ。
仕事で急ぐよりも、大事な恋人のためにインプをここぞとばかりに走行させ、無事に榊たちを送り届けたのだった。