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何もないはずの霧のただ中。
「暴け──『概念の不動標《オムニサイエンス》』」
彼が吠えると同時に、世界が鳴動した。
それは物理的な破壊音ではない。
世界の理そのものが、無理やり正位置に矯正される際の「悲鳴」だ。
アルベルトの周囲から、漆黒の鎖のような魔力が全方位へと射出される。
それはこの術式そのものに直接干渉し、強制的にその定義を書き換え始めた。
「な、なんなの!? あたしの魔法が…効かない!? 逆さまが……戻っていくんだけど!?」
コロナリータの声が初めて動揺に震えた。
彼女の足場となっていた偽りの地面に亀裂が走る。
アルベルトが放つ「概念の不動標」は、この空間におけるすべてのベクトルを「真実」へと固定していく。
「う、わあああ!? 落ちるぅぅぅ!!」
ダイキリの悲鳴。
刹那、視界が激しく暗転した。
ジェットコースターの急降下のような重圧が全身を襲い、内臓がせり上がる。
次の瞬間、私の足裏を打ったのは、冷たく、硬く、泥に塗れた本物の地面の感触だった。
「がはっ……、ゲホッ、ゲホッ……!」
肺に溜まった霧を吐き出すように咳き込む。
見上げれば、そこには正しく、どんよりと曇った空が広がっていた。
スラムの腐臭、湿った土の匂い。
五感が、現実へと帰還した。
「……地上に、戻ったのね」
私は膝をついたまま、震える手で泥だらけの地面を確かめた。
感覚のすべてが、今、正しい位置にある。
隣では、ダイキリが地面に突っ伏して「もう一歩も歩けません……」と涙目で喘いでいる。
そして、私たちの中心で、アルベルトだけが静かに立っていた。
その瞳から黒い輝きは失われていたけれど、肩で荒い息をするその姿からは
今の一撃がいかに彼の精神を削ったかが痛いほど伝わってきた。
「……アルベルト、助かったわ。まさか、領域の法則そのものを上書きするなんてね」
「……いえ。彼女の魔法は『逆さまのカクテル』という不完全なレシピに基づいたもの。であれば、その小瓶の口という特異点さえ突けば、崩壊させるのは容易いと気づいたのです。……貴方が敵を食い止め、ダイキリが支援魔法を送り続けてくれたおかげでしょう」
彼は淡々と言ったが、その指先はわずかに震えていた。
「あ、あああ……っ! あたしのグラスが! あたしの、綺麗な世界がぁ……!」
数メートル先。
魔法を強制解除された反動か、コロナリータが泥濘の中に倒れ込み、狂ったように頭を掻きむしっていた。
彼女を包んでいたあの「無邪気な守護」は剥がれ落ち、そこには精神をズタズタにされたような「壊れた玩具」の姿だけが残されていた。