気怠い朝。
いつもならカーテンの隙間から差し込む朝日なんて無視してもう少し目を閉じているところだが、今日はスタッフとの打ち合わせがある。
俺は誰にともなく苛立つ気持ちをため息と共に吐き出して、その勢いで身体を起こす。
枕元のスマホを手に取り時間を確認しようとした時、通知が示される。
『おはようございます。先日、若井さん藤澤さんの新居の内見に行き、契約も済ませ…』
マネージャーからか。部屋が決まったんだな。
なんだかすぐにメッセージを開く気にならず、一旦スマホを捨て置いて洗面所へ向かう。
顔に冷水を浴び、鏡に映る自分を見る。
酷い顔だな、願い通りの休みが手に入ったってのに。
新曲にライブにと、全力で走り続けていた頃も、常に酸欠みたいに苦しくて、酷い顔をしていた。会う人みんなに、隈がすごいよと口々に言われていたっけ。
今だって、別に休んでるわけじゃない。この先の道を手放したつもりもない。
先の先を見据えた打ち合わせは常にしているし、新しい試みだって上手く進みそうだ。
なのに、俺は常にどこか苛立ちを抱えている。
仲間が俺の元を去ったからーーーーー
強く目を瞑り、全てをかき消すように、もう一度冷たい水を顔にぶつけた。
そしてもう一度鏡に目をやると、そこに映る瞳は酷く濁って見えた。
ーーーーーだから、あの2人だけは絶対に離さない
また、腹の底から決して美しいだけではないものが湧き上がるのを感じた。
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「部屋、落ち着いた?」
ある日、会議室に2人を集め、彼らが荷物を置くや否や、俺はどちらともなく問いかける。
すでに新居から来たのであろう、2人とも同じ時間に部屋に入って来たのだ。
あーーー、と2人は顔を見合わせる。
「いやぁ…正直まだ慣れないね。」
と若井が切り出す。
「俺もぉ、まだ自分の部屋ん中ダンボールだらけだもん。」
あははっと笑う涼ちゃんに、若井は俺も〜と返す。
「ふーん、共有部分は?どうしてんの?」
「あーそれは2人で決めてる、ね。」
「うん、大型家具は前のを持ち寄ったし、足りないものなんかはこの前2人で買いに行ったね。」
「そう!涼ちゃん原色ばっか選ぼうとすんだよ!目ぇ痛いって!」
「いやぁ若井がモノクロばっかだから、華やかになるかな〜と思って。」
「へえ。」
2人が2人だけの記憶で話している。これだ。俺が求めていたのは、これだったんだ。
「今度、元貴の時間が合えば、パーティーしようね。」
涼ちゃんがこちらを伺う。
「うん、それまでに綺麗にしててね。ダンボールパーティーなんてやだよ俺。」
だはぁ!と涼ちゃんが困った顔で笑う。
よかったよかった、2人は上手く距離が縮まりそうだ。絶対合うと思ってたんだよ、この2人。
若井は底抜けにいい奴だし、誰とでも上手くやれるポテンシャルがあるし、涼ちゃんは…俺が見つけた人だし。
若井も、絶対涼ちゃんのこと好きになると思うんだ。
俺は自分の思惑通りに2人の仲が進展しそうで満足する反面、彼らの会話に入れない微妙な気持ちを味わっていた。
そうか、涼ちゃんはずっとこんな気持ちだったのかもしれないな。
そう思うと、胸の奥がチクと痛んだ。
でも俺は、この痛みをこれからも知らなきゃいけない。そのために2人を同居させたんだから。
「ね、いつ新居に呼んでくれる?」
俺は胸の痛みを優しく抱きしめながら、2人に笑顔で問いかけた。
某日、3人で都合をつけ、新居に集まった。
都心から少し外れた、閑静な住宅地にあるマンションだった。俺の家からもそれほど遠くはない。
「候補の中で、元貴の家に1番近いところにしたんだ。」
俺の手土産を受け取りながら、涼ちゃんが嬉しそうに言った。そう、いいね、と俺は答えた。若井はスーパーで買って来たのであろういくつかの食べ物を机に並べていた。
「これ、どっちがどっちなの?」
共有スペースのリビングから、左右に分かれて扉が2つあった。おそらくそれぞれの自室だろう。
「なんとなくいつもの立ち位置で、リビングに入って左が涼ちゃんで、右が俺。」
ライブでの若井と涼ちゃんの立ち位置の事だろう。という事は、共有部分が俺か。へえ、と俺はリビングのソファーに座らせてもらう。
リビングには、真ん中にローテーブルが1つあり、それを挟む形で若井と涼ちゃんの旧居から持って来たソファーが置かれていた。
俺は涼ちゃんのやつに座った。
「そんなに原色じゃないね。」
俺は並べられたカトラリーを見て言う。
「いや最初はなんか新居にテンション上がって買い物行ったけどさ、結局それぞれが持ち寄ったものでいけるじゃんってなって、なんも買わなかったんだよな。」
「うん。元々が一人暮らししてたわけだしね。大抵のものは揃ってるし。」
「そっか、まぁそうだわな。」
「さ、じゃあ始めよっか。」
若井が自分のソファーに座ると、涼ちゃんが床に座り、はじまりの音頭を取った。
「涼ちゃんもソファーに座りなよ。」
俺が言うと、涼ちゃんは少し困ったように笑った。
「う、うん…でも3人ってどう座るかちょっと難しいね。」
涼ちゃんは言ってから、ハッと俺たちの顔を見た。俺も若井も特に表情に変化はなかった、と思う。
「涼ちゃん自分のソファーに座ったらいーじゃん。」
若井が促す。そお?じゃあ…と涼ちゃんが俺の隣に座る。2人掛けなので、少し足が触れた。俺は右足に涼ちゃんの温もりを感じながら、わざと足を避けずにそのままにしていた。
他愛もない話をしながら食事を進め、みんなの腹が落ち着いた頃、俺はある話を切り出した。
「あのさ、俺が最近打ち合わせしてたの知ってるでしょ?」
うん、と2人が注目する。
「実はさ、しばらく楽器演奏を離れて、ダンスレッスンを3人で受けようと思うんだ。」
えっ、と涼ちゃんが声を出す。若井は表情を曇らせたが、黙って聞いている。
「別にダンスグループに転身しようってわけじゃなくて、当たり前だけど。ただ、休止を挟んで復帰した時に、演奏技術が向上しましたーってだけだと弱いと思わない?」
若井と涼ちゃんが顔を見合わせる。
「ロックバンドとしてだけの活動より、もっと幅を持たせて、さらに表現者として向上していきたいんだ。この3人でできることを増やしておきたい。」
若井は下を向いて、ただ黙って話を聞いている。涼ちゃんは頷きながら、俺を方をまっすぐ見ている。
「…俺は、ミセスを日本だけじゃなく、世界にも通用するものにしたい。休止する時、…あと…他の2人が脱退した時にね、若井も涼ちゃんも、それでも俺といるって言ってくれたでしょ。俺は2人を絶っ対に最上の高みへ連れて行きたいと思ったんだ。3人になったからこそ、俺たちはそこへ行かなきゃいけないと思うんだよ。」
「連れて行くって何だよ。」
若井が口を開いたが、その一言でまた黙ってしまった。 続けて涼ちゃんも、
「俺は、どこかへ元貴に連れてって欲しいわけじゃないよ。ただずっと、これからも元貴の作る世界に一緒にいたいと思ってる。どこにだって、食らいついて行くつもりだよ。」
そう言って微笑んだ。
「若井は、俺以上にそう思ってるよね。ただ元貴と音楽がやりたい、そうでしょ?」
若井は少し間を置いてから、浅く頷く。
「…元貴が、今の俺たちに必要だって考えたなら、ダンスだってなんだってやる。」
若井が俺の目を見てそう言った。俺はまっすぐに若井を見据える。
「休止して3人になって、今一緒にゼロ地点から始められる物が必要だと思った。楽器はそれぞれに経験年数とかも違うけど、ダンスはみんな未経験だろ。そのひとつの事に、皆でゼロから取り組んで、同じ目標に向かって行くって事が、きっと今の俺たちには必要だと思う。しかもこれは、今後の活動でも必ず俺らの武器になる。」
2人の目は、まだ動揺を抱えていたが、ひとまず俺の意見は受け入れてくれたようだった。
今日1番の話題がひと段落ついたところで、俺は鞄から3つの紐を取り出した。
赤、青、黄の糸を編んだ、いわゆるミサンガと呼ばれる物だ。
「これさ、3人でつけとこ。」
俺は恥ずかしさを隠すように、特段なんでもないという風に軽く差し出す。
「ありがとう。」
真っ先に涼ちゃんが受け取る。続いて若井もありがと、と受け取った。
「これ…なんだっけ、あの、願いが叶うやつだっけ? 」
涼ちゃんが両手で大事そうに持って、嬉しそうに聞いてくる。
「ミサンガね。願いが叶うというより、願いを込めて身につけて、自然と切れる時に願いが叶うってされてるらしいよ。元々はブラジルの方の文化とかだったかな。」
俺の話を聞いて、さすが元貴よく知ってるね〜、と涼ちゃんが微笑む。
「そっかミサンガだー、元貴が編んでくれたの?」
「そうだよ、上手くできてるでしょ。」
「うん、3人のメンバーカラーだ。すごく綺麗。」
若井がまだ口数が少ない分、きっと涼ちゃんが場を和ませようと俺と会話を弾ませてくれてるのだろう。こういうところに、俺は涼ちゃんの人柄の良さをいつも感じるのだ。
その後、ダンスレッスンの当面の日取りを伝えて、俺は2人の新居を後にした。
玄関で2人に見送られ、俺だけが外に出て扉を閉めた時、言いようのない寂しさが心を襲う。
その時、ポケットの中のミサンガを握り締め、2人に絆という鎖をかけた事を再確認しながら、俺は重い足を家路へと運んだ。
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初コメント、失礼します。 作者様のお話読ませて頂き、フォローさせて頂きました! このお話の続き、楽しみにしています😊