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どうして?
いや、もうちょっと待てば…。
と長い数瞬を置いても、曲は流れる気配がない。
動揺し始めるわたしのイヤホンに、雪矢さんの沈痛な声が聞こえた。
『音源が消えた』
背筋が凍るのを感じた。
動揺にイヤホンをしていた彪斗くんも、強張った表情を浮かべている。
舞台袖にいる裏方さんたちも、バタバタと慌ただしく動き始めているのが見える。
『さっきまでは…ダンスパートの時まではあったんだ…けど、ちょっと席を外した隙に…』
わたしの脳裏に瞬時に嫌な考えが浮かんだ。
玲奈さん…。
機械室から戻って来たように歩いていた、玲奈さん…
どうして…そんな…
こんなこと…
こんなこと…!
ここまでせっかくきたのに。みんなでがんばって来たのに…!
観客席も事態に気づいたのか、どよめきが起き始めている…。
「優羽…」
彪斗くんが、そっとわたしを呼ぶ。
気づかうようなその表情を見つめたわたしは、くじけそうになる心に鞭を打った。
そう。
ここまできたんだ。
ここまできたのに、こんなことでなんか、終わりたくない。
だってわたし、こんなすごいこと、この学園に来る前はしたいとも思えなかった。
わたしは、思っていることも満足に人に伝えられない臆病者だった。
でも変われたの。
みんなのおかげで。
彪斗くんがくれた勇気のおかげで…。
ね、だから見てて。
彪斗くん、わたしを見守ってて。
今から、あなたのおかげで生まれ変わった、わたしを見せるから。
わたしはステージの中央に立ち、観客たちに向かい合った。
そして、歌い始めた。
彪斗くんと作ったあの曲を。
凜と高く澄んだ声を、身体中から響かせ、わたしの想いをのせて…。
歌うのが好きだった。
お父さんの前だけで歌えれば幸せだった。
歌手になんかなりたくなかった。
広く孤独な世界にぽんとひとり投げ出されてしまった気がして、こわくて、どうすればいいのか分からなくて、怯えてばかりいた。
ちっぽけなわたしだった。
けど、そんなわたしを受け入れてくれた人たちがいた。
仲間にしてくれて、一緒に過ごす日々の楽しさを教えてくれた。
寧音ちゃん…洸くん…。
そして、自信を与えて、導いてくれた人たちがいた。
雪矢さん…そして、
彪斗くん…。
わたしは、ちっぽけな小鳥。
でも、輝く世界に飛べる翼を持っていると教えてもらった。
なら、その翼を使って、どこまでも遠くへ飛んでみたい。
一緒に…。
彪斗くん。
あなたと、一緒に、どこまでも…。
彪斗くんと創り出した、たくさんの想いと思い出を詰めた、甘くメロウなラブソング。
高く高くのびやかに、身体中から声を響かせて、歌い上げる。
彪斗くん。この歌は、貴方に捧げるよ…。
夢中で歌い上げて、一呼吸つくと、わたしは王子様に―――彪斗くんに振り返った。
そして、あのセリフを言う。
『わたしは、毎日ぼろを着て、下働きしかしてこなかった身』
わたしはまだまだ小さな小鳥。
『裕福でもなければ、由緒正しい血筋でもありません』
時には疲れて、羽を閉じてしまうこともあるかもしれない。
『それでも…』
それでも。
あなたとともに、はばたいて行きたいから…
「こんなわたしでも、愛してくれますか?」
彪斗くんは、しばらくわたしを真っ直ぐに見下ろしていたけれど。
「…もちろんだ。俺の小鳥」
ゆっくりと跪いて、手を差し伸べた。
「あいしてる。誰よりも、なによりも、心の底から、あいしてる。どうか、俺だけの歌姫になってくれ、優羽」
彪斗くんのばか…。あいかわらず、俺様なんだから…。
ぜんぜん、セリフが、ちがうよ…。
あふれる涙が、とめどなく頬を伝った。
濡れそぼる頬を片手で忙しくぬぐいながら、わたしは、差し出された彪斗くんの手を取った。
そしてほほえんで、一言伝えた。
「はい。よろこんで」
その瞬間、轟くような歓声が、講堂中に響き渡った。
観客席はスタンディングオベーションで、拍手の嵐に耳が割れるようだった。
その中に、聞きなれた声も交じっている。
「優羽ちゃんやったね!」
「彪斗、この幸せもんっ!」
洸くんと寧音ちゃんも、喜んでくれている。
涙でぼやける視界の先には、舞台袖で、雪矢さんもやさしく微笑んでいた…。
ありがとう…。
ありがとう、みんな…。
彪斗くん…。
見上げたとたん、大きな影におおわれ、わたしは視界を失った。
息が止まる。
強く強く抱き締められて。
もう、なにも聞こえなくなる。
綺麗な顔が近づいてきて、
わたしはそっと目を閉じ―――キスをした。
柔らかくて、甘い唇。
わ…すごい…。
好きな人と自然に重ねたキスって…こんなに胸をおかしくさせるんだ…。
クラクラになりながらも、わたしは彪斗くんの服をつかんで、もっとねだるようにちゅってしてみた。
けど、彪斗くんは無反応…。
目を開けると、眉をしかめた彪斗くんが、きまずげにチラチラと横目で見ていた。
…きゃぁああ!!
…ぉぉおお…!
黄色い悲鳴とどよめきが、ゆっくりとわたしの耳にフェードインしてきて、それに比例して、わたしの身体も熱く火照った。
わすれてた…ここ、ステージの上だった…!
わたしと彪斗くんは弾かれたように離れると、ぺこりとオモチャみたいに礼をして、小走りに舞台袖に逃げ帰った。
けど、そこでも冷やかしがすごくて…寧音ちゃんや洸くんにさんざんイジられる。
怒りまくる彪斗くんだけど、照れの方が強くてぜんぜん迫力がなく…わたしは今にも身体が自然発火しそうで、縮こまるしかなく…。
「ちっ!もーこんなうぜぇところいられねぇ!行くぞ!優羽…!」
「え…ちょ彪斗くん…!」
「さっそくハネムーンですかぁー?さすが彪斗は気が早いねぇー」
「てか!まだ最後のあいさつ残ってるよ!?」
あいさつ…!?
そんなの、どんな顔して出ればいいのっ!?
わたしと彪斗くんは顔を見合わせて…脱兎のごとく舞台袖から逃げ出した。
けど、
「おいそのバカップル包囲してくれっ!!」
逃げ切るのは、きっと至難の業のようで…。
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