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「姫様、準備が整いました」
「参りましょう、主様」
「我が君――」
静かな声が重なり、空気が張り詰める。
……やっと、ここまで来た。
「始めましょう。この地の開拓を」
私はそのためだけに、この地に足を踏み入れた。
貴方との約束を果たしましょう。
ガタガタ……ゴトン。
オンボロ馬車が揺れる。
座席の軋む音に合わせて身体が跳ねるたび、私は淡々と揺れに身を任せる。
道はろくに整備されておらず、乗り心地など論外だ。
(……これなら歩いた方が早いかもしれない)
無表情のまま、馬車の外を眺める。
森の中は昼間ですら薄暗い。夜になれば何も見えないだろう。
サァァ……。
木々の隙間から吹き込む風が肌に触れ、心地よさと不安を同時に連れてくる。
「……長い」
思わず、口から小さく言葉が漏れた。
二日前に街を出て以来、目的地はまだ見えてこない。
時間ばかり浪費している気がする。
ガタ…ガタガタ……ゴトン。
やがて馬車が揺れを緩め、御者がぼそりと告げた。
「着いたぞ、嬢ちゃん」
「ありがとうございます」
馬車から降りると、御者は顔をしかめて吐き捨てるように言った。
「……忠告だ。この先は危険だ。用が済んだら早く立ち去るんだな」
「ご親切に、感謝します」
頭を下げて代金を渡すと、御者はまるで逃げるように馬車を走らせた。
振り返れば、あっという間に豆粒ほどの大きさになっていく。
……それほどまでに、ここにいたくなかったのだろう。
「ふぅん……」
私は瞬きを一つして、前を向いた。
ここは――「呪われた地」。
国で最も大きな領地であり、かつては「宝石の大地」と呼ばれた大公爵領。
魔法の技術が発展し、豊かな実りを誇った。王国の栄光の象徴。
……だったのは、遠い昔。
今は違う。
住民はほんのわずか。作物は枯れ、街は廃墟。
旅人は近寄らず、商人でさえ道を避ける。乗合馬車でここまで来たが本来は領地付近まで行かず手前の街(といっても何日もかかるほど距離がある)終点だ。そこを無理を言い代金を多めに払うことでここまで乗せてもらった。
そして、誰も寄り付かない一番の理由は…
「怪物大公爵」と「呪いの魔法使い」という噂だ。噂はすぐに広がっていた。
人を実験台にし、楽しげに殺す怪物たち。
出会えば最後、命はないと。だからこそ誰もが呪を恐れ離れていった。
「くだらない」
無表情のまま呟く。
伝承や噂など、いくらでも脚色できる。人は恐怖を大げさに語るのが好きだ。
(……だが、愚かさと恐怖が、領地を滅ぼしたのもまた事実)
私は一歩、領地へ足を踏み入れた。
城門は錆びつき、軋む音すら出ないほど朽ちていた。
門番などいない。不用心にもほどがある。もはや「領地」と呼ぶのもおこがましい。
「奪われるのも、時間の問題ね」
そのまま中心地――かつては首都と呼ばれた街に向かう。
目に映るのは子供数名と老人、若者がちらほら。
……あまりに少なすぎる。
(村より貧しい。領地経営?そんなものは存在していないのね)
淡々と歩を進め、家の前で休む老人に声をかけた。
「すみません。薬屋を探しています」
「ほう……珍しいこともあるもんじゃな。この地に、嬢ちゃんのような美しい子が来るとは」
「ご評価ありがとうございます。……旅の者です」
「そうかそうか。薬屋なら、広場の先じゃ。左に古い看板があるはずじゃよ」
「助かりました。ありがとうございます」
「……気をつけるんじゃぞ。昔は良かったんじゃがな……」
老人は懐かしむように答えた。
老人の声は、過ぎ去った栄華を懐かしむように震えていた。
(昔はね……)
「あと一つお聞きしますが…大公爵様をここ最近お見かけしたことはありますか」
「そうじゃのぉ…十年近くは見ておらぬ。この地に居るのかも分からぬ」
「そうですか」
お礼を言い広場へと向かう。
広場に着いた私は足を止める。噴水は苔に覆われ、止まったまま。ベンチは半壊し、周囲の店は閉ざされている。
だが――ひとつだけ。
「……見つけた」
オンボロな店だがここだけしっかりと看板が残っている。探していた場所と同じ名前だ。
『薬屋 シオン』
チリン……チリン……。
ドアベルを鳴らし、中へ入る。
「…………」
予想以上の荒れ果て方に、無表情のまま心で毒づく。
(これが……店? 廃墟の間違いでは)
広さはあるのに、ホコリと壊れかけの棚ばかり。
瓶は乱雑に置かれ、薬草の管理も杜撰。
「いらっしゃいませ」
声がした。
現れたのは茶髪の青年。
オレンジの瞳、背が高い――が、腰には剣、身には軽鎧。
どう見ても「騎士」であって「薬屋」ではない。これでは戦場にいるみたいだ。
(…………馬鹿かしら)
心の声をそのまま飲み込む。
「店主に会いたいのですが」
「私が店主です」
「…………」
(違う。この人ではない)
明らかに嘘。
背後に“別の存在”を感じる。
「この薬を作った方に会いたいのですが」
「私です」
無表情で、淡々と即答する青年。
……役者気取りか。
素直に出てこないなら仕方がない。
「そう。では、回復薬とニリンソウを」
「銀貨五枚です」
私は無言で五枚を握り、差し出す。
青年は硬貨を受け取り、品を渡しぎこちなく礼を述べた。
「ありがとうございます。またのお越しを」
チリン……チリン……。
扉を閉め、外へ出る。
(……まあいい。明日になれば“本物”が顔を出すでしょう)
それにしても、この品はダメだ。いろんな意味でダメだ。ため息づくしで終わりそうだが、その前に、
「…宿を探さないと」
宿を探して歩くと、街並みはどこも廃墟ばかり。
だが、奇跡的に一軒だけ宿が残っていた。
女主人は驚くほど親切で、久々の客に料理人が腕を振るってくれた。
質素な材料でも、久しぶりの温かい食事は心に沁みる。
夜。部屋に戻った私は紙を広げ、補給できる物資や改善点を書き出す。
ざっと見ただけで山ほど出てきた。
「……これでは村どころか、野営地と変わらない」
ここまで何日…もしかしたら一ヶ月ぐらいかかったかもしれない。野宿したり宿に泊まったり木の上で寝たり…洞窟で寝たり長い道のりだった。
「ふぁ…」
ため息をつき、布団に潜り込む。
ふわりと漂う太陽の匂い。女主人が毎日干している布団らしい。いつでも綺麗を保っていることは素晴らしい。
(……あったかい)
あったかく、長旅の疲れにより意識はすぐに沈んでいった。
その頃――。
「主様。今日、貴方を探している者が店に現れました」
暗く、魔素に満ちた空間。
外からの者が長居すれば、即座に魔物と化すほどの濃度。俺もここへ長居することはできない。
だが、その中心に“主様”はいた。
「……そうか」
低く短い声。
「…おい」
「なんでしょう」
主様は指を差しながら言った。
「…お前その袋に入っているのはなんだ」
「これは今日の売り上げ金です」
「貸せ」
彼は騎士の差し出した銀貨をひとつ取り上げる。
目を細め――握りしめた。
フワリと光が舞い、硬貨は紙へと変わる。
『明日、店でお会いしましょう。
追伸:店員への教育は必要かと ✾』
「フッ……」
手紙を眺める口元に、かすかな笑み。
「…見るがいい」
「これは…」
その手紙を見せてもらった。確かに、これは紙だ先程まで確かに銀貨だった。このような事、主様以外にできる人など見たことがない。
あと、この最後の言葉には気に食わない。自分のどこが劣っている!少しイラついている自分がいた。
「……明日、行こう」
騎士は目を見開く。
「これは罠かもしれませんよ」
主様は長い間、この部屋から出ようとしなかった。
その主様がこの手紙で動くことになるとは…
あの者は何者だ…
「……懐かしい花だ。アイリス……」
その囁きは、誰にも聞こえないほど小さく――。