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チリン…チリン…
「こんにちは」
「……いらっしゃいませ」
店内の空気は昨日と変わらず、埃が重く舞っている。
棚は乱れ、薬草の瓶は雑に置かれ、床も壁も腐りかけている。
(……掃除くらいできないものか)
無表情で呟く。目で棚や壁のひび割れ、腐食の度合いを素早く分析する。ここまでくれば、客の居心地より店の維持の方が問題だ。
壁や床が腐れば、客など来なくなる。
「今日は、店主にお会いできますか」
「私が店主だと言っているのですが」
「そうですか」
「営業妨害なら帰ってください」
「私は店主に会いに来ただけです」
私は少し間を置き、冷静に観察する。
(ふむ……魔導具だな)
カウンター越し、彼が少し離れた場所に置いた魔導具の微かな魔力を感知する。
遠距離から状況を監視するためのものだ。
この人物は、私の目的を安全な場所から見ている。
「はぁ……なぜ私が店主ではないと思うのですか」
「理由はあります。昨日買った回復薬とニリンソウの件です」
「……?」
「回復薬は正しいですが、薬草が間違っています」
私は鞄から昨日買った薬草を取り出す。
「私はニリンソウと頼んだはずなのにトリカブトを渡しました」
店員は目をカッと開き抗議する。
「…!それはありえない。ニリンソウはギザギザ模様で葉は緑色で特徴的な葉に白い点模様があり間違えるはずがありません」
その特徴に間違いはない。だが、甘い。
「これは一般的な間違いですね。確かに葉の部分は似ています。ですが、ニリンソウは根から葉柄が一本立ちします。それに比べトリカブトは葉柄は茎および根元から枝分かれして伸長します。…昨日の薬草はこれです」
本人にとっては長さが少し違うとしか認識していなかったのだろう。
「ご覧ください。根元の形状が異なる。これは明確な間違いです」
店員は一瞬、言葉を失った。
「薬屋を営む上で、これは致命傷です。知らなければならないことを知らない者が店主であるはずがない。資格がない。あなたは店員です」
そのやり取りを見た店員も、ため息混じりで呟く。
「貴方……馬鹿ですか。無理でしょう……」
私は静かに振り返り、鋭く答える。
「無理かどうかは、これから証明します」
すると、
ガチャ…
カウンター奥の扉が開いた。
やっと――出てきた。
黒い仮面が顔を隠す、黒髪の男性。身長は高く、25~30代ほど。
「お初にお目にかかります。店主……いや、魔法使い様」
「……お前は何者だ」
「旅の者です」
「何しに来た」
「お願いがあります。この地で働かせてください」
男性は無言でじっとこちらを見つめる。
その視線の重さに、少しも退く気はない私の背筋が伸びた。
「……言ってみろ」
「私は、この荒れ果てた領地を快適で素晴らしい場所へと変えたいのです。そのために、貴方様に許可をいただきたい」
「……戯言を」
声は冷たく、圧がある。
だが私は言葉を止めない。
「この地は荒廃し、住民も少なく、首都は崩れ、街は死んでいます。このままでは国に返還されてしまいます」
男性はゆっくりと黒仮面の奥で笑った気配を見せる。
「別に返還されても構わん」
「……それは本心ではないでしょう」
「……帰れ」
「ここを守らせてください」
「……帰れ」
「できません」
心臓が少し跳ねる。彼は威圧しても、私を押し戻す気はないのだろう。
しかし、この場を退く気は一切ない。
「では、こうしましょう。二週間以内に、この広場の北東地区、住宅街を元の清潔で美しい状態に戻すこと。できなければ、罰として殺してください」
(……威圧が強い。だが、私には関係ない)
無表情を極め、淡々と答える。
「…いいだろう。できなければ二度とここへは来るな。すぐさま帰れ」
「承知しました。言質も取りました」
男性は少し驚き、そして黙ったまま頷く。
「では、本日から清掃を始めます」
ガチャ…
「……………」
『諦めろ』それだけを言い残し戻っていった。
店員は腕を組み、ため息をつきながら私に呟く。
「貴方……馬鹿ですか」
「なぜですか」
本日二度目の『馬鹿』を言われた!
「……貴方、ここに来たばかりでよくもそんな口を利けるな。俺がいれば、お前の存在など一蹴できるぞ」
(なるほど、敵意丸出しね)
無表情のまま視線を向ける。
「それはどうでしょう。状況を見れば、誰が正しいかは自明です」
騎士は眉をひそめる。
「状況? 俺はこの地のことをよく知っている。お前のやることなど、全部裏目に出る」
私は口角をわずかに上げ、冷静に答えた。
「裏目に出るかどうかは、試してみなければわかりませんね。まず、北東地区の住宅街の建物は何棟崩れやすく、どこにカビや草が侵食しているか、私は全て計算済みです」
騎士は一瞬目を見開く。
「嘘を言え」
「街を歩きながら、材質や腐食度合い、日光の入り方、水はけまで全て観察しました。さらに、どの建物がどの順番で補修すれば効率的かも計算済みです」
「……なっ、どうやって?」
(無表情で言うと、少し脅し効果もあるのよね)
「だがどう考えても不利でしょう。この北の地区は建物が崩れやすく、カビや草が侵食しています。この地の現状を知らない貴方に、到底管理は無理です」
私は軽く微笑む。無表情に近い、冷たくも自信に満ちた笑みだ。
「ご心配無用です。私はここを素晴らしい場所に変えるために来ました。約束は必ず果たします。」
店員の目が少し驚きに揺れる。
私は心の中で呟く。
(必ず、この地を蘇らせる。そして、貴方様の想いも――)
チリン……チリン……
店のベルが、次の波を知らせる。
私は無表情のまま、魔法の匂い漂う埃を見渡す。
大公爵は過去に全てを失い、全てを諦めている。悪い噂も、呪いの噂も、すべて受け止めている。
店員兼護衛である騎士は、私にとっては同僚となる存在だ。
最初は敵意を剥き出しにしていたが、根は善人だ。私の能力を理解すれば心強い味方になるだろう。
(私の仕事は、この二人をうまく動かすことでもある)
私は鞄から清掃用具と薬草を取り出し、今日から作業を始める準備を整えた。
店のベルが再び鳴り、静かな店内に小さな緊張が流れる。
私は無表情のまま、頭の中で作戦を組み立てた。
(まずは護衛を納得させ、彼の力を利用する。そして大公爵に進捗を見せ、信頼を勝ち取る……この流れで二週間以内に住宅街を蘇らせる)
今日もまた、私の長い戦略の一歩が始まるのだ。