「尊と朱里さんはどうなの? 次に遊びに来た時、用意したほうがいいお菓子を教えてちょうだい」
〝次〟の事を言われ、私はパッと笑顔になると尊さんの手を握った。
「……俺は甘さ控えめの栗きんとんや、水羊羹が好きかもしれません。食べられないわけではないのですが、クリーム系はあまり得意ではなくて。デザート代わりに食べるのは、フルーツが多いと思います」
「私はなんでも食べます!」
張り切って言ったからか、百合さんはおかしそうに笑い始めた。
「……失礼。なんとなく思っていたけれど、元気なお嬢さんよね。目がキラキラしていて光り輝くようだわ」
「そ、そんな……」
私は食いしん坊を笑われたのと、褒められて照れくさいのとでアワアワする。
けれどこの機会だと思い、大切な事を伝えようと思った。
「私、中学生の時に父を亡くして絶望していたんです。でもその時に尊さんに命を救われました。二度と会えないと思っていましたが、私たちは巡り巡ってお付き合いしています。私は父を亡くした心の傷から、あまり友達のいない可愛げのない子供時代を送り、大人になっても暗い性格をしていました。前に付き合っていた人からも、面白みのない女扱いされていたと思います」
私の話を聞いてくれた皆さんは、父を亡くしたと知って気の毒そうに視線を落とした。
「でも、今はとても幸せです。尊さんに出会って愛されて、生きていていいんだと思えています。彼と一緒にいるととても楽しくて、今までの自分からは想像もつかない陽気な自分が出てくるんです。……それは尊さんも同じで、私たちはお互いの存在に救われていま明るく振る舞えていると思っています」
私の言葉のあと、尊さんが付け加える。
「それは大いにある。……俺は物凄く暗い男で、友人からも『負のオーラが出ている』と言われていました。……でも今は『幸せそうで良かった』と言ってもらえています」
彼の言葉を聞いてみんな満足そうに笑った。
その時、弥生さんがハッとして言った。
「ねぇ、尊くん。まだピアノやってる?」
「あぁ……、趣味程度ですが」
尊さんはピアノの話題になって少し表情を苦くする。
「何か弾いてみてよ」
弥生さんは明るい表情で言い、広いリビングの中にあるグランドピアノを指す。
「えぇ……」
尊さんはあからさまに嫌がり、困ったように周囲を見る。
「本職の方々がいる場所で、趣味でやってる人間の、半端な演奏なんて聴かせられませんよ」
「でもコンクール優勝者でしょ?」
弥生さんに言われ、尊さんは溜め息をつく。
渋っていると百合さんが言った。
「尊、お願い。簡単な曲でもいいわ。さゆりがあなたにピアノを教えていたと知って、私はとても嬉しかったの。あの子の遺志があなたに宿っている証拠を教えてちょうだい」
尊さんは、百合さんに言われては……、という感じで溜め息をつく。
あと一押しだと思った私は、つんつんと彼の袖を引っ張った。
「私、尊さんのピアノを聴いた事ないから、聴きたいな」
そう言った途端、小牧さんと弥生さんが「えええ!?」と声を上げた。
「尊の家、ピアノあるんでしょ? 朱里さんと同棲してるのに一度も聴かせてないの?」
「ないわ~」
かしましい女性二人に責められた尊さんは、弱ったように首を竦める。
「……分かったよ……」
彼はジャケットを脱ぎ、袖のボタンを外して腕まくりをした。
(うっ……)
私はシャツから出てきた筋肉質な腕に不意打ちを食らい、ボボッと赤面する。
……速水尊、恐るべし……。
尊さんは腕時計も外し、バッグからタブレット端末を出すと譜面台に置き、肩を回して肩甲骨付近をほぐし、腕や手首、指も念入りにほぐす。
そしてピアノの蓋を開けるとフェルトを取り、屋根を開けて突き上げ棒で留める。
彼はタブレットを操作して楽譜を出したあと、椅子の高さを調節してから、「弾く前にちょっと慣らさせてください」と言って、腰かけてからとても滑らかに昇音を奏でていく。
(え?)
私の知っているドレミファソラシドではなく、間に黒鍵を入れてすべての鍵盤を弾いていくんだけど、音がヌルヌルするぐらい滑らかで若干引いてしまった。
(こんなに弾ける人だったの?)
一番高音の鍵盤まで到達したあとは折り返し、始点に戻ると今度は左手で低い音をヌルヌル弾き、それが終わるとアルペジオで色んな和音を弾き、何かの曲のワンフレーズを弾いて運指を確かめる。
「……じゃあ、ショパンの『エチュード10-1』とリストの『マゼッパ』を」
それを聞いて皆さんが「おお……」とどよめいて拍手し、私も一緒に拍手をする。
コメント
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朱里ちゃん、腕フェチか。。。(៸៸᳐꜆. ̫.꜀៸៸᳐ )੭🩷ᩚ
私も「おお〜」です。 選曲が速水尊の心の感情に思える