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前回の投稿で職場について話したが、あの建物内だけ空気の澄んでいた職場は早々に人間関係が特殊過ぎてついていけず、そんな中で親友から「一緒に働かないか」との救いの手があり、資格だけ取って転職を決めた。
新人の1ヶ月以内の転職は、紹介した先輩にペナルティがあったことから、かなり文句を言われたが、新たな職場の面接にて一瞬で採用が決まったので、私が去るのは秒速だった。
新たな職場は地元ではそれなりに知名度のある飲食店で、現在進行形で勤めている。
ただここは空気が澄んでいることはなく、ゴリッゴリ霊道もある職場だった。
やっぱり私はもしかしたらこういう場所に呼ばれる体質なのかもしれない。
さて、勤めてから半年ほど経つが、この半年以内で惨劇となった心霊体験が起きた。
この職場はトイレの位置に2本の太い霊道があり、飲食店なのもあって人の出入りが多く、霊も入れ替わり存在している。
入社して早々に、問題のトイレには私の夫の守護が憑いてきて、その場で簡易的に結界を貼ってくれたおかげでトイレの室内に漂う人数は減った。
ただ、簡易的な結界では対応し切れないモノも存在していた。
その中でも強さ的には上だったのが、煙草を吸う女の霊である。
この霊だけはどうも結界をくぐれるようで、早々に出現場所を変えたらしい。
以降、トイレではなくホールの2番テーブル席の横にある柱にもたれ掛かるようにして煙草を吸っていた。
煙草の臭いも鼻につくが、見た目からしてもあまり良いタチではないのが分かる。
その煙草女が、私と目が合った時からこちらをずっと監視するようにジロジロ見てくるようになった。
私は基本的にホールの業務が主で、毎日開店準備の時など煙草女の煙草を吹っかけられて、度々イライラしていた。
自分が吸う煙草の匂いは気にならないが、相手のよく分からない銘柄の煙草臭はなんだか臭いものである。
最初こそ煙草女は煙を吹っかけてくる程度だったが、私があまりにも無視を続けていたことに腹を立てたのか、2ヶ月程経った頃から悪態を吐くようになった。
至って単純で「死ね」やら「無視かよクソ女」など、気に食わないのがひしひしと伝わる文言を言ってきたが、私の連れているMちゃんがその度にひと睨みして、煙草女は縮こまり、それ以上手を出してはこなかった。
たった1度だけ、ある早朝トイレ掃除の為にドアを開けた瞬間、肉声で「うわ……びっ………くりしたァ……」と心底驚いたような女の低い声がして、あまりにもハッキリとした肉声だったもので私も『まさか不法侵入の客!?』と焦り「え?誰?」と返してしまった。
それが偶然にも煙草女で、それを機に女はめちゃくちゃ不穏な笑顔で話しかけてくるようになった。
女は急にドアを開けた私と、その後ろにいたMちゃんの妖気というのか、威嚇のオーラに驚いたらしい。
今までの悪態が嘘のように「おはよう」やら「今日も寒いね」など、ごく普通の言葉をかけてくる。
しかしその後も淡々と無視を続けた結果、女は日に日に恨み辛みの強い表情になっていった。
今まで私に対してしか実害がなかったから、どうせ放置したらいつかMちゃんかS兄が片付けてしまうだろうと思っていたが、考えが甘かったらしい。
勤務を始めて4ヶ月目、その日は親友とシフトが重なっていた。
女は再び悪意のある言葉をつらつらと発してきていたが、その日だけは言葉の内容が「無視を続けるなら、無視できないようにしてやる」といったものに変わっていた。
娘や夫に手出しをしたら容赦なくぶちのめす気でいたので、女が店から出ないかどうかを1日中確認しつつ、帰りはMちゃんとS兄に女が憑いて来ないよう注意をさせ、無事に帰宅した。
娘も夫も無事に帰宅して事なきを得た、と安堵していた矢先、LINEの通知が鳴った。
親友からだった。
「ねえ、指なくなっちゃったどうしよう」
開いた文面を読んで、固まってしまった。
親友はLINEが苦手らしく、あまり返事は早い方ではない。
「どういうこと?」と返せば、即座に返信がきた。
「雪が帰った後、野菜のミキサーに指巻き込まれて……」
その時にはっと思い出した。
お先に失礼します!と厨房に声をかけた時、いつもホールにいた煙草女が厨房で作業をしていた親友の背後に立っていたことを。
幽霊だもの室内を移動くらいするでしょ、などと呑気な考えだった私が馬鹿だった。
親友も相当パニックになっていたようで、普段なら有り得ない速度でLINEを打ってくる。
「なんでミキサーに指入れたのか、記憶がないの」
「ただ野菜いれたつもりで」
「眠かった訳じゃないんだけど、凄いぼーっとしてたのかな」
「気付いたら指、野菜と一緒に奥に入れちゃって」
「半分くらいなくなっちゃった」
短い文が連投されるのを眺めた私は、血の気が引いてなんて返せばいいか分からなかった。
親友は私の霊感は知っているが、もう三十路の私達にとってはもう幽霊だの何だのと騒いで遊んだのは過去の話で、言うのは躊躇いがあった。
結果、私は言わない方を選んだ。
視えれば悪霊の仕業だが、視えなければただの不注意から起きた事故である。
でも、どうして親友がターゲットになったのかは一目瞭然だった。親友は今は視えない体質になっているはず、だから巻き込まれないと勝手に良いようにタカをくくっていた。
霊感は視る、聴く、嗅ぐ、感知するなど人によって種類がある。
過去に視えたり聴こえたりした人は、1度接点を持ったことになる。つまり、何も感じ取れない人よりは狙われやすくなるらしい。
やっと絞り出した言葉が「病院は!?行った!?」の質問だった。
瞬時に行動はできたようで、幸いすぐ病院にも行き、応急処置をした後だったらしい。
「医者が言うには、先端だけの欠損なら年月経てばまた生えてくるらしいんだけど」
「痛くてどうしていいか分からない」
以前私も、モルモットに齧られて指の先端を千切られた経験があり、1年程して再生した為、確かに医者の言葉は正しいと思う。
正直、今欲しい言葉も分からない。大丈夫?なんて言葉が欲しい訳もない。私にできることは、良いかどうかはさておき、家にある病院処方の痛み止めをお試しで数種類あげることくらいだった。
一連の流れを帰宅していた夫に話せば、予想通り「煙草女がやったんだろうね」と頷いた。
「もっと早くに消しておけば良かったのに」
夫は呆れたように言う。最近は百鬼も守護も夫も、霊の対処で手助けはあまりしてくれない。
というのも、私が他力本願で守護達にいつも行け行けとやっていたのがダメだったようで、余程対処できない悪霊でもない限り「自分でやれ、できるだろ」と言うようになっていた。
ただ、今回は実害を起こせる悪霊だったこともあり「一応明日は俺の守護に対処を任せようか」と夫が3人程、強力な助っ人を貸してくれた。
翌日その3人を連れて出勤すると、厨房では親友の事故の件で噂が持ち切りになっており、私は足早にホールに向かった。
2番テーブル席の横の柱にもたれ掛かる煙草女が、不快な笑みを浮かべて「もう無視できないだろ」と言ってきた。しかし、私の背後の連れを見て更に言いかけた言葉を呑んだ。
今日は夫の守護を3人も連れている。
1人は平安時代に生きていた容姿で、ふざけてマロと呼んでいる守護。それからお狐様を1人。更に、白蛇様も1人。ひとり、と呼ぶのは容姿を人に変えられるからである。
煙草女と対面したマロが、大きな溜息で一言。
「……もっと凶悪な悪霊を想像したんじゃがのう……なんじゃこの、蛆虫のような雑魚は」
持っていた扇子で口元を隠しながら嫌そうな顔をする。
「無視されるのが嫌なのじゃろ、それ、我と遊べ。……雪は仕事に戻るがいい」
ひょいと扇子であっちへ行けと合図して、マロは煙草女と遊び始めた。
煙草女を一蹴りして、見えない壁を出して弾いてはまた蹴る。……遊びというより、暴力だが。
手も足も出ない煙草女にマロが「ほれ、余所見をするな。右がガラ空きになっておる」などと煽りながら遊んでいる。
被害が来ないよう、お狐様と白蛇様は私の方を主に監視する形で、その日は無事に仕事を終えた。
6時間ほど経った煙草女はもう既にボロボロになっており、マロが私に「もう終わったのか?」と声を掛けてきた。
終わったから帰ろう、で、それ(煙草女)どうするの?
と念で返すと、「もう遊び飽きたわ」と言うなりパシンと扇子を閉じた。
ギャッ!!!と鋭い悲鳴が上がり、四散するようにして煙草女の姿が消えた。
「手応えも何も無い、つまらん奴じゃ。雪よ、あれくらい対処できなくてどうする」
小言まで増えた。礼を述べるべきだろうが、なんだかしっくりこない。
「1(弱)から10(強)まであれば、雪は6までなら余裕で対応できるはず。煙草女は5にも満たないぞ」
などとマロが素っ気なく言う。
彼が言うには、1は低級の浮遊霊、4で実害を起こせる程度、5は強い悪霊、6以上はかなり力を持っていて、9でうちの守護の最上級、10は神社などで祀られている由緒正しい神格だと言う。
自覚は全くないが、自力で対処してなくても憑依守護達が私に憑依したまま対処してくれていたせいで、知らないうちに経験値だけが溜まり対処できる能力だけが備わって、やり方が分からないといった不具合が起きている。
きっとS兄はマロには叶わないので、7か8くらいの強さだろう。
あれ以降、消滅された煙草女の姿も臭いもない。それから負傷者も出ず、開店準備も快適にはなったが、その代わり百鬼や守護から「修行せい」との強要が始まった。
親友からは3週間ほどで「痛みも落ち着いてきたし、壊死もしてないから生えるの待ち」と回復し始めたことを聞き、少し安堵した。
だがこれを機に本当にちゃんと悪い霊は葬り、良い霊は成仏させるなど、きちんとした対応をしないといけなくなってしまった。
でも正直、物理的に霊体に拳が当たるので、サンドバッグを買って家でボクシングの練習を極めて、ワンパンで消滅させた方がいっそ早いのではないかと思っている。
だって善し悪しを見抜くのも疲れるんだもの……一応私、仕事中だし。要らない疲弊はしたくない。
ただもうこれ以降、実害を身近で体験するのは御免である。親友には、早く指先が治ることを願うばかりだ。