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ずるい。
ひどい。
どうして、わたし、ばかり。
「ぎいやぁああああ!」
気持ち悪い絶叫が聞こえる。
喉が酷く痛んで、その絶叫が、自分の口から放たれたのだと認識した。
「へっへへへ! ざまぁ、みろ! おまえが、悪いんだ! おれは、お前に騙されなければ! こんな、所になんてこなかったんだよ!」
男の口元は血だらけだ。
その血はゲルトルーテの乳房を噛みきった末に、浴びた血だった。
乳房って、噛みきれるものなんだな? とぼんやり思う。
「ほら! 言えよ! 私が悪かったって、言え! 騙して申し訳ありませんでしたって、謝罪しろよ!」
「……どぉして? わるいのは、わたしを、あまやかした、はあげんでしょう?」
何をしても許した王様が悪い。
だって王様はこの世界において絶対なのだから。
「まぁ、そうだな。あの男も悪い。でもそれ以上に、貴様が悪い」
「なんでぇ?」
「だって、ほら、見ろよ!」
髪の毛を引っ張られて、壁の方へと向かされる。
暗いはずの壁は明るく、見えないはずのハーゲンの姿があった。
「え? ごはん、たべてる、ずるい!」
ハーゲンは食事をしていた。
王が食べるには粗末だが、囚人が食べるには過ぎた代物に見える。
「俺たちにだって、食事は出る。あの男が食べているものより、いい食事だ。しかも貴様らの処分が完了したら、俺たちはここを出られるんだ! それらから考えれば、一番悪いのは貴様だってわかる寸法さ。ま! 馬鹿な淫乱にはわからないだろうけどな!」
「ひぎいいいいい!」
もう片方の乳房も食いちぎられた。
痛い。
熱い。
寒い。
気分が、悪い。
「そんな貧相な乳房を食いちぎって何が楽しいか、わっかんねぇなぁ。さ、治すからどけ。ショック死は大丈夫そうだが、失血死しかねないからな」
「な、なぁ? 俺たちは、こいつが処分されたら、解放されるんだろう? ここから、出られるんだよなぁ?」
「ああ、出られるぜ。良かったな」
「やったああ! やったぞ! これで俺も、元の暮らしに戻れるんだ!」
口元を中心に、その全身をゲルトルーテの血に塗れさせながら、男が喜ぶ。
大喜びをする。
何とも滑稽な姿だ。
「えーと……貴様は、元婚約者の家に引き取られるそうだ。囮として」
「……は?」
何を言っているかわからない。
そんな表情をしている。
間抜けな顔を鼻で笑ってやった。
「おい! きさま! いま、おれさまをわらったな! はなでわらったな!」
男の手が伸びて、ゲルトルーテの首に掛かる寸前。
男の体が牢の中から消えた。
「お前の出番はここまでなんだよ。はぁ……血液増量とか面倒臭いんだよなぁ」
ぶつぶつと言いながらも、男が呪文を紡ぐ。
ゲルトルーテには意味をなさない呪文だ。
きちんと聞けば同じ呪文が使えるようになって、ここから出られるかと考えたけれど、呪文を覚えることはできなかった。
「がはっ!」
喉の奥から込み上げてきたものを吐き出す。
拳大ほどの、血の塊だった。
「あーせっかく増やしてやったんだから、吐いてんじゃねぇよ」
男の小言は止まらない。
「ま、こんなやる気を削がれる仕事も今日までだ。それなりの金もいただいたし、仕事内容も改善されたし。あとは気楽にやるさ」
と思ったら、満足げに頷き始める。
「いい、しごとだったなら、わたしにかんしゃして、ごはんと、おふろと……」
「飯は食わせてるだろう? 残飯だけど。風呂だって何度も入れてるじゃねえか! 熱湯か氷風呂だけど」
残飯といえるほどの、豪華な食事ではない。
風呂は普通、骨まで洗わないはずだ。
「しっかし、すげえ神経だよなぁ。普通、ここまでの拷問を喰らい続けたら精神崩壊するんだけどなぁ……その点は、本当に尊敬するぜ?」
「そんけい、するなら。ごはんを!」
口の中に何かを突っ込まれた。
「げほっ!」
口の中が焦げた味でいっぱいになる。
「貴様の得意料理だ。これなら美味いだろう?」
「おいしいわけ、ないじゃないっ!」
「そうか? 壁の向こうの奴らも散々喰わされて、うんざりしてたって言ってるぞ」
壁には、ハーゲン以外の人物も写り込んでいる。
写り込んだ全員がゲルトルーテに対して文句を言っていた。
『私が婚約者のために作った料理を奪って渡し、自分が作った料理を私が作った物だと言って、たくさんの人に食べさせたじゃない! 私にも食べさせたじゃない!』
『どうしてもって言うから高級食材を融通してやったのに、全部消し炭にしやがって! 俺はその責任を負わされて首になったんだぞ! しかも山のような消し炭を全部食わされたせいで、味覚もおかしくなったから二度と料理人にもなれないしな!』
高位のお貴族様は普通料理なんてしないわ。
する人が悪いの。
私が作ったって言ったから、婚約者だって喜んだのよ?
しかも私が一生懸命作った料理がおいしくないとか、味覚がおかしいわ。
これだから、高位のお貴族様は嫌なのよ。
すぐ平民や下位貴族のせいにする。
高級食材を融通してほしいなんて、頼んでないわ。
使ってほしいっていうから、仕方なく使ってあげたのに。
どうして文句を言うの?
自分が悪いことをして罰を受けたせいで、料理人になれなくなったとか、私に言われても困るわ。
「……本当、自分が仕出かした悪いことを全部人のせいにする思考は、すげぇな」
「ほめことばより、ごはんよ、おふろよ、きれいな、どれす、よ!」
「ったく! 本当に言葉が通じねぇ! あとはもう、愛しの元王様とでもくっちゃべってろ!」
がごっ! と何かが壊れる音がする。
と、同時に体が自由になった。
びたん! と床に額を打ち付ける。
「う、う……痛い……」
額に手をあてるが出血はしていなかった。
痣ができているかもしれないと、鏡を探す。
あの、可愛らしい私を綺麗に映してくれる、大きな、綺麗な、鏡。
「! ずるいわ! わたしにも、たべさせなさいよっ!」
ぐるりと首を回して映ったのは鏡ではなく、地べたに座り込んだ状態で、器に指を突っ込んで何かを貪り食っているハーゲンの姿。
「き! 貴様に食べさせる物などない! これ以上我から何物も奪わせぬぞ!」
粗末な木でできた器を抱え込んで、そのまま小さな器に顔を突っ込み、中に残っていた食事を一欠片も残すまいと、必死に舌を這わせている。
なんてみっともないんだろう?
王じゃなくなったから、みっともないんだろうか。
王でないのなら、私と、同じ。
同じなら、私は王に、何をしてもいいだろう。
「王じゃないアンタにできることなんて、その食事を私に与えるぐらいでしょ? ほら、寄越しなさいよ」
「うるさい! 黙れ! 我は王だ!」
「王じゃなくなったんでしょ? 次の王様はアンタの元婚約者なんでしょ?」
「違う! 今も婚約者だ! ローザリンデは私のものだっ! ヴァレンティーンのものであるはずなんかないっ!」
「ヴァレンティーン?」
頭が良く、次期宰相と謳われていた男。
彼もまたゲルトルーテが好きだったはず。
元婚約者が王になり、ヴァレンティーンのものになるのなら。
ヴァレンティーンは、王以上の存在になるのだ。
私に、相応しい。
「ふふふ。ふふふふ! さぁ、ヴァレンティーン。私も貴方を愛してあげるわ! ドレスを持ってきなさい。高ければ高いほどいいわ! 宝石もよ! ティアラは私のために作ってね。ほら、あの国宝のピンクダイヤを中央に据えるのよ! ああ、なんて素敵なんでしょう。ほら、早く! 迎えに来て!」
ゲルトルーテはハーゲンが見ている前で、ヴァレンティーンの名前を呼びながら妄想を謳い続ける。
ハーゲンは、そんなゲルトルーテを一瞥だけしてから、一滴の汁すら残さずに舐め尽くした器を檻の中から外へと押し出す。
そうしておけば、次が補充されると知っているからだ。
そして、補充される食事以上に興味のあることなど、今のハーゲンにはなかった。
当然目の前でくるくると狂ったように妄想を垂れ流しながら回り続けるゲルトルーテになど、一片の興味ももてるはずがないのだ。