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アンソルーペたちが松の森の村へやって来たのは全くの偶然だった。モディーハンナの待つ街へ向かうのに、手持ちの地図での最短距離を深い森の真ん中を突き進んだ。女王を除く多くの巨人たちが死してなお悪霊となって神々に復讐を成そうと北上した際に、最も心優しきゲウタルが憐れに思い、仲間たちを押し留めたと言い伝えられている。それ以来、ここは冥府を除けば最も使者で賑わう土地だとされているが、アンソルーペたちはそのような話を知らず、また知っていたとしても気にせず突き進んだことだろう。
行き当たったその村は地図に記されていなかった。とは言っても森を拒むように築かれた石壁は苔生し、一部が崩れて羊歯が顔を覗かせ、ガレインの山麓にも似た家々の急峻な屋根は幾度もの補修を重ねて趣深い風情を滲ませており、開拓したばかりの新しい村には見えない。どうやら随分古い地図だったらしく、村人たちによるとアンソルーペたちの地図に記されていた、たどってきた街道は今や知る者すら少ない古道なのだという。
初めは用心していたゲウタルの村人たちも僧兵たちの無謀さに呆れつつ、深い森を踏破したことに感心していた。そして、誰もが等しく期待を抱いていた。シグニカ統一国の僧兵たちは十都市連盟に基づいてガレイン連合を救いに来たのだ、と。ライゼン大王国に植民地支配された西沿岸諸都市を解放するためにやって来たと考えているのだった。
事実、実質的にシグニカ統一国の軍事力として機能している救済機構の僧兵が我が物顔で他国領土を行き来できるのはこの盟約に依るものだ。派遣も受け入れも義務ではないが、特にライゼン大王国に面している十都市連盟西方諸国においては背に腹は代えられない。
「古地図通りに森を踏破すれば近道であることにはかわりないようですね」とドロラが村人から得た情報をまとめて報告する。
「じゃじゃじゃあ予定通り古道を突っ切ろう。封印はどうだった?」
「札の特徴を伝えましたが知っている者はいませんでしたね」
宿屋などなく、さすがに見ず知らずの武装した僧兵たちに軒を貸す者はいないので、森の中でもそうしたように野営することとなった。
アンソルーペとドロラの天幕へ一人の男が訪ねてきたのは夕闇の迫る時刻だった。村の方でも炊事の煙が上がり、焚書官たちも焚火にあたりながら穏やかな雰囲気に包まれ、一日の終わりに向けてみも心も休めていた。素性と名を名乗った男の前に首席と次席は姿を現す。
待ち受けていたのは髪と髭に白が交じり、初老を越えてなお逞しい男だ。長い年月を森で働き、大木に挑んで培った肉体だと分かる。
「少しよろしいか? 札は直接見ていないが、封印というものについて、一つ心当たりがあるのだ」
村長曰く、突如ひとが変わった人物がいるのだという。つまり、封印を貼られて、使い魔に操られているのではないか、と考えたそうだ。
ともかくまずは様子を窺うことにした。焚書官たちが村全体に散らばって調査を始め、本命の人物の元へはアンソルーペがドロラを連れて直接出向く。ケイヴェルノから働き者の孫娘を称える歌を聞かされる前に。
当該の人物の家の扉を叩く。責めるような音ではないが、ただちに出てくるように求める音だ。しかし答える者はいない。村長によると男は樵で、一人息子がいるという。男の妻であり、息子の母である人物は数年前に病で亡くなったのだ、と村長は目に涙を浮かべて話していた。
二人は家の中の様子を窺うが打ち棄てられた廃墟のように人の気配は感じられない。
「この音でしょうか」とドロラが森の方に視線をやって呟く。
確かに薄暗い空に斧を木肌に打ち付けているらしい高く澄んだ音が響いている。
「おお親子でききき樵なのかな?」アンソルーペは家の周囲に積まれた丸太やそれらを運ぶ用途らしい橇を眺めながら言った。
「どうでしょうね。それより村長の様子を見るに、性格が変わったと言っても良い変化ではないようでしたが、息子さんはどう思っているのでしょう」
「なな何といってもおや親子なわけだし、よほどの変化でなければみみ見捨てられないんじゃない? 元は社交的で、どど同世代のまとめ役だったらしいけど」
「少なくとも真面目に働いているようではありますが」
まさしくその通り、深く広い川を遡った先、杉の森の端で伐採されたばかりらしき木の積み上げられた山、樵り集められた薪の山に出くわす。
その丸太の一本に座って、舌ったらずな仕事唄を歌う幼い男の子がいた。幼さの割に精悍な顔つきで、悲しみを知る眼差しを持っていた。アンソルーペたちに気づいても首を傾げてまじまじと見つめるだけで、近寄って来なければ逃げもしない。不用心に話しかけては来ないが怯えたりもしない。
「こここんにちは」アンソルーペは精一杯の笑みを浮かべて声をかける。「きき君はママ鹿の角君ですか?」
「ううん」と男の子は小さな頭を振る。「マママイダじゃなくてマイダだよ。お姉さんたち誰?」
「探し物をしている旅人だよ」とドロラは答える。「君のお父さんに話を聞きに来たの」
マイダ少年の目つきはドロラの無表情な鉄仮面に吸い寄せられる。
「お仕事の時は近づいちゃ駄目なんだよ。危ないの」
「そそそそうですね。おしお仕事が終わるまでここで待っていてもいいですか?」
「うん。いいよ」マイダはそう言って元々十分な空席を更に広げるように膝送りする。
アンソルーペとマイダでドロラを間に挟むように腰掛ける。いつの間にか、見えざる者が指を立てて鎮めたかのように森は静寂に沈んでいた。斧が無慈悲に木を打つ音色も、秋風が葉を揺する騒めきも聞こえない。
「お父さんはどんな人?」とドロラが尋ねる。
「うーん」マイダは鉄仮面の覗き穴を覗き返しながら答える。「お父さんは樵」
「むむ昔からですか?」とアンソルーペは尋ねるがマイダは首を傾げる。
「お父さんは樵じゃないお仕事はしてた?」とドロラが問いを重ねる。
マイダは首を横に振って答える。「ううん。ずうっと樵だよ」
「何か、最近変わったことはあった?」
その問いにもマイダは首を傾げるだけだった。
その時、木々の奥で無数の野獣が咆哮するような轟音が鳴り響く。あまりにも異様な、場違いな音にアンソルーペもドロラも飛び上がって武器を構えた。と、ほぼ同時に木々の奥で一際巨大な松の木の枝葉が辺りを騒めかせながら、伐り倒される。威容を誇る大木は呻くが如く軋みながら大地に倒れ込み、滝壺の水飛沫のように土埃が高く舞い上がった。
すると轟音は鳴り止み、しばらくしてその奥から斧を担いだ男がやって来る。とても樵には見えない細身の男だ。そしてまるで柳の枝でも振るように身の丈に合わない斧を振り、軽々と枝を打ちながらこちらへと近づいてくる。辺境の樵が使う魔術としてはあまりにも洗練されていた。
男がアンソルーペとドロラに気づくと小さな口笛を鳴らした。するとマイダ少年がはっと二人の訪問者の顔を見、男の元へ駆け付けようとする。しかしドロラがその板のように薄い肩を抑え、枝のように細い腕を取り、拘束した。
「お父さん!」と幼い男の子の悲痛な叫びが響く。それは先ほどの轟音よりも胸に刺さる声色だ。
アンソルーペが一歩、歩み出る。「おおおお尋ねしたいことがあります。すす少しお時間よろしいですか?」
「それは脅しか?」マイダの父は非道な二人の女を睨みつける。「マイダを放してくれないか?」
「あなな貴方次第です」
「これは……」とドロラが言い淀む。
ドロラはマイダの服をずらしていた。幼い男の子の背中や脇腹に沢山の青痣が見て取れた。とても言い逃れはできない、体罰でさえあり得ない酷い状態だ。アンソルーペは痛々しい皮膚と、遠くで見守る男を見比べる。
「どどどどっちのですか?」
男の性格が変わる前か後か。封印を貼られる前か後か。
「魔法少女狩猟団が魔法少女かわる者に封印を奪われるよりずっと以前に付けられた痣のようですので……」
「よよよ憑代の方ですか」アンソルーペはやるせない気持ちで溜息をつく。
男と使い魔の関係は分からない。封印が文字通り鬼畜な父親を封印しているのかもしれない。しかしだからと言って、封印を諦める訳にもいかない。とはいえ幼い子供への虐待を見過ごすこともアンソルーペには出来なかった。
アンソルーペは腰に下げた鉄仮面を一瞥し、「むむ無用です」と呟くと、棘球付き鎚矛を構え、男と向き直る。「はが剥がしてから考えましょう」
「待ってくれ」男は斧を下ろし、両手を挙げて降伏を示す。「僕の方に争うつもりはない」
そしてアンソルーペが言葉を返す前に、再び口を開く。
「何を馬鹿なことを言っている。あんたが争えないのが事の発端だろう」「そ、そうだけど。でも、彼女らは君の言っていた救済機構だろう? どうにかできるのかい?」
そうして男は口を噤んだ。どうやら、使い魔に支配されているというよりも協力関係や共生というような実態のようだ。
「まままず封印を剥がして、なに何か適当なものに貼ってください」アンソルーペが幾分柔らかい声で指図する。「それからはな話をしましょう。そそそれと、そちらにどんなじじゅじ事情があれ、我々は封印を見過ごしません。それをふみ踏まえて、よく考えてきき決めてください」
男は暫く沈黙を保ち、しかし素直に従った。封印は斧に貼られ、刃を上半身に、柄を下半身にして人の形に成る。
使い魔は樵る者、マイダの父たる男の名は雄壮なる山々といった。
ドロラにはマイダと遊んでいてもらい、残った三者が顔を突き合わせる。
「まず貴女が抱いているであろう一番の疑問、マイダの青痣の件だけど僕ではありません」とガロンドは言う。「それにもちろん樵る者でもありません」
アンソルーペはマイダ少年の方を一瞥する。確かに父を見る眼差しには信頼を感じられた。不安の色は浮かんでいるが、顔色を窺うようなものではなく、むしろ父ガロンドを心配しているような様子だ。が、それはあくまで印象に過ぎないとアンソルーペは自分自身を牽制する。
「と、すると、村のだだ誰かですか? 誰ですか?」
「誰と言われると、正確なところは分かりません。あの子も村の人間の顔を覚えていないので――」
「誰もくそもない!」と樵る者が激して口を挟む。「誰もがあの子を、あとこいつを虐めてたんだ。あたしが機構に捕まっていた間に、あいつら――」
「ちょ、ちょっと待ってください」とアンソルーペも口を挟む。「きき機構に回収される以前からのおしお知り合いなのですか? 順を追って話してください」
「亡くなったこいつの妻であり、マイダの母であり、それと村長の娘でもある雪冠って女があたしの友達なんだ。機構に捕まるずっと前に出会って、気が合って、気が付けば親友になってた。村長に反対されていたよそ者のこいつとの結婚にも協力した。あたしの力をこっそり使って村に貢献して、説得したんだ」樵る者の声の熱が高まる。「だけどムールアは急死してしまった。元々病弱でね。あの歳まで生きられるとさえ思われていなかったくらいだ。そのムールアの頼みで、その遺体を借りてしばらく生きているふりさえしていた。あの子、まだ幼かったマイダに生きている姿を覚えていてもらいたかったんだな。そんな時に救済機構に封印を奪われたってわけだ」
その怒りと憎しみの籠った声を救済機構の僧兵であるアンソルーペに真っすぐにぶつけていた。
「樵る者がいなくなって、ムールアは改めて急死した」と幾分冷静なガロンドが説明を引き継ぐ。「村長の怒りは収まらなかった。僕のせいで命を縮めたのだと信じている。いや、実際にそうなのかもしれないのだから、僕に彼を責める資格はないな。ただ、それに加えて、人間離れした伐採能力も発揮しなくなった僕を疎んじ始めた」
樵る者は鼻を鳴らし、吐き捨てるように言う。「元々はただの行商人なんだよ、こいつ。多少は鍛えたようだけど、これじゃあね」
「僕だけならまだしも、村の人々は僕たちを排斥しつつ、こっそりと息子を虐めていたんだ」
「何が僕だけならまだしも、だよ。情けないと思わないのか? 息子を傷つけられて」と樵る者が容赦なくなじる。
「思うさ!」ガロンドが初めて声を荒げた。「だがどうしろと言うんだ? 村の連中を全員殺せば解決するのか? 他所に移るのだって簡単じゃあない。僕一人ならともかく……、それにお金も……、畜生」
同情はするが、感情に巻き込まれるのをアンソルーペは厭い、話を進める。
「そそそれで、貴女が戻って来て、ふた再び受け入れてもらえていたということですね。村にこけ貢献することで」
「そういうこと」と樵の使い魔は得意そうに言う。「まあ、金を貯めてから他所へ移るつもりだったんだけどね。それで? 無慈悲にあたしを奪ってめでたしめでたし?」
皮肉をぶつけられてもアンソルーペの任務に変更はない。
「きょ協力してあげたい気持ちはやま山々ですが、どどどどうしたものでしょうね?」
「どうでしたか?」
アンソルーペとドロラが村の広場へ戻ってくるとムールアの父である村長が駆け寄ってきた。
「てっ徹底的に調査しましたが、封印ははっけ発見できませんでした。つか使い魔の仕業ではありません。ガロンドさんの奥様が亡くなり、一人息子をきちんと育て上げるために我武者羅にはらはれ張り切っていた結果、性格が変わったように感じられられたのかもしれませんね。ごふご不快に感じていたのなら申し訳ありません、とのことです。またのち後程お詫びにいらっしゃるそうです」
「……そうですか」と言う村長の表情には納得しがたいという感情が垣間見えた。
「あな貴方の娘さんだそうですね。お悔やみ申し上げます。娘さんを亡くされた苦しみはいか如何ばかりかと存じます」
「え? ああ、ええ、そうです。ご弔意感謝いたします」村長の瞳が潤むのをアンソルーペは見逃さない。「一人娘でした。病弱でしたが本当にいい子で、あの子のためならば何でもしてやれる、そういうつもりで生きてきましたが……」
「おさお察しいたします。ガロンドさんもマイダ君のためにがば頑張っていますから、ぶぶぶ不躾なところがあったのかもしれませんが、大目にみて見てあげてください」
村長は「ええ」とだけ呟いた。
アンソルーペは内心で、この男はこの程度では変わらないようだと結論付けた。誰が直接マイダに暴力を振るったのか知る由もないが、少なくとも見てみぬふりをしているのは間違いないだろう。もしも孫のことを愛しているならば、その怪我を理由にガロンドを糾弾し、引き離すはずだ。
「……あれは? な何です?」
アンソルーペが視線を向けた先、白い布を全身にかぶった何者かが奇妙なふらついた足取りでこちらへ向かって来ている。どこか不吉な佇まいに村人たちは遠巻きに見つめていた。
それは不安定な歩様で、しかしまっすぐにアンソルーペたちの元へ歩んでいる。
「一体、誰? 誰なの?」と言ったのはがさついた声のそれだった。「誰なの? 誰の仕業なの?」
「何者だ! そこで止まれ!」と村長が凄むがそれは歩みを止めない。
近くで見てみれば、白い布から垣間見える手足も同じくらい白い。まるで雲や雪のような血の通っていない白さだ。
「ねえ、誰なの? 我が子を傷つけるのは、どこの、誰?」村長は掴みかかるようにしてそれの白い布を握り、剥ぎ取った。「ねえ、お父さん!」
「ムールア!」
よくよく見ればそれは石灰質の石でできた女の像だと分かるが、その出来は無二のもので、産毛や血管の膨らみ、虹彩の模様まで再現された石像であり、知らぬ者が看破するのは難しい。久方ぶりに目の前に娘が現れた村長は既に気を失っていた。
その後、他の村人たちにも釘を刺すために小芝居を続け、最後は夫ガロンドが現れ、妻と再び固い約束を結び、冥府へと繋がる墓場へと連れ帰ることで茶番劇の幕は閉じられた。
「最後はあたしが戦って、こいつを英雄にする手立てじゃなかったの?」
再び森の古道に入って村を去ろうとする第四局の下にガロンドとマイダ、そして樵る者がやって来た。不満げな樵る者にアンソルーペは答える。
「そそそれはムールアさん役の削る者さんと村長があらあら争いになった場合の話ですよ」
「ああなって良かったと思います」とガロンドが付け加える。「親子が争うのなんて悲しいだけですから」
「でも、あんな小芝居でこいつらへの風当たりが良くなるのかね」樵る者はずっと半信半疑という様子だった。
「あああれだけじゃ駄目だと思います。け結局のところ、前に進むのをやめていいのは死者だけです」
アンソルーペは樵る者を受け取り、固い決意を秘めた表情のガロンドとまだ何が行われたのか理解できていない幼いマイダ、そしてゲウタルの村に別れを告げる。