テラーノベル
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第20話:ミュート忘れのハプニング
「……よし、オムライス完成だ。特製『シロちゃんケチャップアート』付きだぞ」
古民家の台所に、バターとケチャップの甘く香ばしい匂いが立ち込めていた。
黄色い卵のキャンバスの上に、ケチャップで描かれた(少し不格好な)シロの顔。
それを見た小春ちゃんは、先ほどまでの号泣が嘘のようにパッと顔を輝かせた。
「わぁぁっ! ありがとうございます! すっごく美味しそうです! あ、食べる前に写真撮らなきゃ!」
『ミャーン♪』
足元では、本物のシロが「私の顔ね」と誇らしげに尻尾を立てて歩き回っている。
「じゃあ、縁側に置きっぱなしになってるスマホ、取ってきますね!」
「ああ。ついでに三脚も片付けておいてくれ」
小春ちゃんがパタパタと足音を立てて縁側へと向かっていく。
俺は自分の分のオムライスを皿に盛りつけながら、ふぅと小さく息を吐いた。
ブラック企業で心をすり減らしていた頃の俺は、他人の人生の悩みに寄り添う余裕なんて1ミリもなかった。
だが、この北の大地に逃げてきて、シロという規格外の相棒と出会い、小春ちゃんという明るいご近所さんに恵まれたことで、俺自身の心も間違いなく『人間らしさ』を取り戻していた。
「まあ、ちょっと偉そうなことを言いすぎた気もするけどな……」
恥ずかしさを誤魔化すように頭を掻いた、その時だった。
「……お、お兄、さん……」
縁側から、小春ちゃんの声が聞こえた。
ヒグマに遭遇した時のような絶望的な悲鳴ではない。しかし、幽霊でも見てしまったかのように、ガタガタと震え、ひきつった声だった。
「ん? どうした? まさかまたヒグマが……」
俺がフライパンを持ったまま縁側に顔を出すと、小春ちゃんは三脚に固定されたスマートフォンを指差して、完全に石化していた。
「き、切れて、ない……」
「は?」
「配信、切れてないです……! さっき終了ボタン押したのに……アプリがフリーズしてて、ずっと……ずっと回ったままでした……ッ!」
「…………え?」
俺はフライパンを取り落としそうになりながら、三脚のスマホ画面を覗き込んだ。
画面の左上には、真っ赤な【LIVE】の文字が、これ以上ないほど憎たらしく自己主張しながら点灯している。
そして、マイクのミュートアイコンは――当然、オフ(集音状態)になっていた。
「……ってことは。俺の、あのクサい説教から、小春ちゃんの号泣から、シロの慰めまで、全部……?」
「ぜ、全部、ダダ漏れです……」
俺たちは、恐る恐る画面の右下を見た。
そこに表示されていた同接(同時接続者数)は――驚愕の『300万人』。
俺の背筋に、ヒグマ遭遇時とは全く違う種類の、冷や汗という名の滝が流れ落ちた。
チャット欄に目をやると、そこはいつもの「もふもふ尊い」「シロ様最高」といった猫を愛でるだけのコメント欄ではなくなっていた。
完全に、深夜の人生相談ラジオの熱狂的リスナーたちの集会所と化していたのだ。
『お兄さんの言葉、今の俺に刺さりすぎてガチ泣きしてる』
『「世間から見れば負け犬でも、俺は今が一番幸せだ」って……カッコよすぎるだろ主……』
『小春ちゃん! 君の居場所はそこにある! 俺たちも君の味方だぞ!!』
『クラスの連中なんて気にすんな! 君は世界一のチャンネルの専属カメラマンだ!』
『シロ様が涙を舐めた瞬間、画面から優しい月の光が見えた……マジで天使なんだな』
『あああ……理想の家族すぎる……俺もこの縁側の端っこに座らせてくれ……』
『涙で画面が見えない』
ただの『癒やしのペット配信』だと思って見ていた世界中の300万人が、思わぬ形で放送事故として流れた『限界社畜の生々しい人生論』と『女子高生の純粋な涙』、そして『神獣の愛』という、出来すぎたヒューマンドラマの直撃を受けてしまったのだ。
そして、感動の渦は当然のごとく、暴力的な『ギフトの雨』となって降り注いでいた。
『【MeTubeギフト:¥10,000】お兄さんに奢りだ! 今日は美味い酒飲んでくれ!』
『【MeTubeギフト:¥50,000】小春ちゃん、これで美味しいもの食べて元気出して!!』
『【MeTubeギフト:¥10,000】シロ様の優しさに全俺が泣いた』
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)=”Beautiful bond! You are true family! I will buy a university for Koharu!“(美しい絆だ! 君たちは本当の家族だ! 小春のために大学を一つ買おう!)』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$500MeTubeギフト)=”This is the best documentary I’ve ever seen! Crying!“(今まで見た中で最高のドキュメンタリーだわ! 号泣中!)』
『石油王、大学買うのはやりすぎwww』
「あ、あわわわ……お兄さん、なんか、私への応援メッセージと、お兄さんへの称賛が止まらないです……っ」
小春ちゃんは顔を真っ赤にして、両手で顔を覆ってしまった。
女子高生にとって、自分の進路の悩みや人間関係の愚痴を世界中の300万人に聞かれ、挙句の果てに号泣しているところを放送されるなど、恥ずかしさで爆発してもおかしくない事態だ。
だが、俺の羞恥心はそんなレベルを遥かに超越していた。
(――俺は今、人生で一番幸せだよ。シロがいて、小春ちゃんがこうして遊びに来てくれて……)
「ああああああああああああああああッ!!!」
俺は頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
38歳、いい年した大人が! カメラの切り忘れに気づかず、自分に酔ったようなポエムまがいの説教を垂れ流し! あまつさえ「俺は今が一番幸せだよ(キリッ)」などとドヤ顔で言い放った音声が、世界中にアーカイブとして残ってしまったのだ!
『あ、主が頭抱えてしゃがみ込んだwww』
『気づいたぞwww 放送事故に気づいたぞwww』
『お兄さん、恥ずかしがらなくていいんだよ! あんた最高にカッコよかったぜ!』
『「俺は今一番幸せだよ(イケボ)」』
『いじるなwww 主のHPはもうゼロよwww』
チャット欄は、感動の涙から一転して、俺の悶え苦しむ姿を見て大爆笑の渦に包まれていた。
この連中、俺が恥ずかしさで死にかけているのを完全に楽しんでやがる……!
「お、お兄さん……! だ、大丈夫ですか……!?」
「大丈夫じゃない……小春ちゃん、お願いだから今すぐ、スマホの電源を物理的に破壊してくれ……」
俺が床の木目に顔を埋めて現実逃避していると。
『……ミャウ?』
台所から、オムライスの匂いを嗅ぎつけたシロがトコトコとやってきた。
そして、頭を抱えてうずくまる俺の背中にぴょんと飛び乗り、俺の頭を前足で『よしよし』と優しく叩き始めた。
『シロ様が主を慰めてるwww』
『主、強く生きろwww』
『俺たち、ずっとついていくからな! お兄ちゃんと、小春ちゃんと、シロ様の家族配信に!』
『最強の神猫と、それを守る限界社畜の騎士(お兄ちゃん)、そして巫女(小春ちゃん)の構図が完璧すぎる』
「……騎士ってなんだよ。痛い、痛すぎる……」
俺は呻き声を上げながら、なんとか気力を振り絞って立ち上がった。
そして、ジンバルに固定されたカメラのレンズを真っ直ぐに見据え、コールセンターで培った『世界一感情を殺した声』で言い放った。
「……えー、全世界の皆様。先ほどの音声は、AIによる自動生成音声のテストです。実在の人物・団体とは一切関係ありません」
『出たぁぁぁ!!! 適応力バグおじさんの限界言い訳シリーズ!!!』
『んなAIあるかああああああ!!!』
『苦しいww 今回のは過去一で苦しいwww』
『顔真っ赤だぞお兄ちゃんwww』
「それでは、通信エラーが発生したため、本日の配信を強制終了します。さようなら」
俺は半ばヤケクソで、スマホの画面をタップし、今度こそ確実に『配信終了』のボタンを押した。
画面が暗転し、狂騒のチャット欄が消え去る。
古民家に、再び静寂が戻った。
「……終わった。俺の尊厳は、完全に北の大地に散った……」
俺が魂の抜けたような顔で縁側にへたり込むと、隣で様子を見ていた小春ちゃんが、ぷっ、と吹き出した。
「あははっ……! お兄さん、顔、本物のタコみたいに真っ赤ですよ!」
「笑い事じゃないぞ……明日から、近所のスーパーに行くのすら恥ずかしい……」
「でも……」
小春ちゃんは、ジンバルから外したスマホを胸に抱きしめ、夕焼け空を見上げて、とても穏やかな、花が咲くような笑顔を見せた。
「私、すごく嬉しかったです。お兄さんが『ここは小春ちゃんの居場所だ』って言ってくれたことも。……画面の向こうの、たくさんの人が『味方だ』って言ってくれたことも」
その言葉に、俺は少しだけ救われたような気がした。
まあ、俺の尊厳一つで、この子の笑顔が守られたなら、安いものかもしれない。
「……そうか。なら、良かった」
俺は大きくため息をつき、立ち上がった。
「さあ、オムライス食おう。完全に冷めちまったけど、特製ケチャップアートだからな」
「はいっ! あ、シロちゃん! オムライス先食べちゃダメー!」
台所から、シロの『ミャン!』という嬉しそうな声と、小春ちゃんの慌てる足音が響く。
予期せぬ放送事故。
しかし、これによって【日常チャンネル】は、単なる「不思議な猫を見る配信」から、「限界社畜と女子高生と神獣の、心温まるスローライフ・ドキュメンタリー」へと、世界中のリスナーの認識を完全に書き換えることになった。
彼らがただの『視聴者』から、俺たちの日常を温かく見守る『親戚』のような存在に変わった瞬間。
それは、恥ずかしくも、どこか少しだけ、心地よいハプニングだった。
ゆうき あきや
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#心理描写重視
コメント
1件
いやもう、めっちゃ笑ったしめっちゃ泣けたわwww ミュート忘れで主人公のクサい説教が全世界にダダ漏れって、恥ずかしすぎてこっちまで顔から火出そうになったけど、でもそれが全部いい方向に転んでて最高だった。 シロに頭なでられる主人公とか、石油王が大学買うとか言い出すカオス感、まじでたまらん。 「恥ずかしいけどちょっと心地いい」って空気、めちゃくちゃ伝わってきた🔥