テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
妖精との暮らしが始まって、早いものでもう一ヶ月が経った。
あれからというもの、俺はすっかり紅茶の魅力に取り憑かれてしまい、買い物に行くときは、必ずお茶のコーナーを見るようになった。
そして、俺は今まさに、その新しい習慣が引き起こした悲劇に頭を悩ませていた。
「ねぇ、あべちゃん、そろそろ機嫌直してよ〜…何でもするからさ〜…」
「…ふんっ!佐久間なんか知らない」
「お願い…もうしないから…ね…?」
「俺、ほんとに傷付いたんだよ…?わかってるの?」
「うう…だからホントにごめんって、俺、そこまで知らなかったんだよ…」
「…むーっ!」
もうかれこれ三十分ほど、俺は一人暮らし用の背が低いテーブルの前で手を合わせ、ぷりぷりと怒った背中を見せる妖精に、謝り続けている。
だが、ご覧の通りあべちゃんの機嫌は、一向に直らない。
今になってあべちゃんの気持ちを思えば、確かに俺の行動は、軽はずみなものだったのかもしれない。
それは、遡ること二時間前の出来事である。
仕事終わりに買い物をしてから帰ろうと近くの薬局へ入り、目当ての絆創膏を手に取った。
他にも無くなりそうな消耗品はなかったかと、念のため店内を一周して、必要なものと気になったものをいくつかカゴに入れ、買い物を終わらせた。
その後、寄り道せずにまっすぐ帰宅すると、シャチの背中に乗ったあべちゃんが、玄関先まで出迎えに来てくれた。
「しんどみ」の応酬に「ん“ん“ッ」と悶絶する俺のことは気にせず、あべちゃんは「おつかれさま〜」と言ってくれた。
あべちゃんは、俺とはもちろんのこと、ツナとシャチとも大分仲良くなったようで、初日の敬語はすっかり砕け、今では気さくな話し方をしてくれるようになった。
リビングで明日の仕事の準備をしていると、時折、あべちゃんの話し声だけが聞こえてくることがある。
そういう時、あべちゃんの前には決まってツナかシャチが上品に座っている。
毎日、なにやら楽しそうな会話をしているが、あべちゃんはその内容をいつも教えてはくれないので、少し寂しく感じることもあった。
愛猫ともあべちゃんとも早くくっつきたいので、俺はいつも通り先にお風呂を済ませようと、ショルダーバッグと薬局で買った消耗品のいくつかが入ったエコバッグをソファーの上に放り投げ、脱衣所へ向かった。
その数十分後、お風呂から上がりリビングへ戻ると、先ほどの穏やかさはどこへやら、あべちゃんは静かに激怒していた。
普段ならお風呂から上がった俺に「おかえり〜」とか、「今日のお仕事は何したの〜?」とか、柔らかい声で話しかけてくれるはずだのに、今日のあべちゃんは、それはそれは、とても静かだった。
「どうしたの?」と声をかけると、あべちゃんは唸るような低い声で、「これ何?」とたった一言だけを使い、俺を問いただした。
そんな怖い声を初めて聞いたこともあり、内心かなり動揺した。
それと同時に、質問の意図が分からず困惑もしていた。
まずは状況を読み解こうと、あべちゃんが指を差している箇所に目をやった。
そこには、先ほど買ってきた紅茶のパッケージが、ソファーに転がったエコバッグから顔を覗かせていた。
「何って…紅茶買ってきたの。あべちゃんと一緒に飲もうかなぁーって思って」
ありのままの本心を伝えたが、あべちゃんは納得しなかった。
「この浮気者…っ!!」
そう言った後、あべちゃんは俺に背を向けた。
「あべちゃんの地雷を踏んでしまった」と気付き、俺の心は瞬時に凍り付いた。
しかし、なぜ怒っているのか、それについては、その「浮気者」だけでは分からなかった。
紅茶はあべちゃんも好きなはずだ。
しかし、まだ封も切られていない買ったばかりのそれには目もくれず、むしろ「見たくない」と言わんばかりに、今は目を背けてしまっている。
その様子に、俺はただただ、たじろぐばかりだった。
謝りたいので怒っているわけを聞かせてほしいと伝えると、あべちゃんはそっぽを向いたまま、いじけた声でゆっくりと話してくれた。
あべちゃん曰く、メーカーがいけないのだという。
あべちゃんは紅茶全般の妖精をやっているわけではなく、俺が最初に買った紅茶を作っている工場で生まれた、いわば、そのメーカー限定の妖精なんだそうだ。
今回俺が買ってきたものが、あべちゃんの「概念」では無かったことが、どうやら彼の気に障ってしまったようだった。
そこまで聞き、ようやっとあべちゃんの事情と気持ちに気付いた。
そして、大いに反省している旨と謝罪の言葉を届け続けている、というのが今に至るまでの大まかな話である。
何度も謝ったが、あべちゃんは未だ俺が送った恐る恐るの「お届け物」を受け取り拒否している。
「あべちゃん、ほんとにごめんね、あの紅茶じゃなきゃダメだったって知らなかったんだ…次からはちゃんと、あの黄色いの買ってくるから…だから仲直りしよう?」
「……」
「今度は間違えないように、一緒に買い物行かない?」
「!」
「初めて会った時からずっと、あべちゃん外出てなかっただろうし、出かけがてらにどう…?」
「…そと?」
「うん、今度の休みにどっか出かけよう。どこでも連れてくよ」
「明日がいい」
「明日?明日は仕事なんだ…、明後日なら休みだからさ…」
「やだ、さっき何でもするって言った。明日がいい」
「う…わかった…」
「!えへへ、やったぁ。佐久間とお出かけ、そと、ふふっ」
怒った後はわがままになるのかもしれない。
また一つあべちゃんを知れたような気がした。
妙な約束を取り付けてしまったが、あべちゃんの機嫌が無事に治ったことに、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。
あべちゃんは、またあの花が咲いたような顔に戻ってくれたかと思いきや、次の瞬間には、もういそいそと服を脱ぎ始めていた。
「佐久間、マグカップ貸してー」
「…はいよ」
意外にもあべちゃんは、人間と同じ生理的生態を持っている。
睡眠も取るし、食事もする。
そして、しっかりとお風呂にも入る。
今あべちゃんがしたいことはまさしく、その衛生的清潔面に関することであり、
「風呂に入るからマグカップを貸せ」と言っているのだ。
やっと上を向いた機嫌が急降下してしまわないように、手早く電気ケトルでお湯を沸かし、あべちゃんのお風呂専用にしたマグカップを水切りカゴから出した。
ちなみに、このケトルはつい2週間前に通販サイトで「ポチった」もので、紅茶を淹れるために購入したと言っても過言ではない。
あべちゃんの指導のもと、初めて紅茶を飲んだあの日はお湯を沸かすやかんも無く、仕方なく鍋で沸かしたが、あまりにも不便だったため、購入に踏み切った。
沸き上がる前にスイッチを切り、お湯をカップの半分まで注ぐ。
その中に水も入れ、指を突っ込んで温度を確認する。
俺たち人間も適温と感じるであろう温かさになったことを確かめてから、あべちゃんの前に差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがと!佐久間、あっち向いてて」
「あいあい」
お風呂に入る直前と直後、つまりは自分の体が見える瞬間を、あべちゃんは絶対に俺には見せない。
恥じらいなのか何なのか、あべちゃんのその気持ちはよく分からないが、慎ましいものだと思う。
男同士なので気にする必要も無いように感じるが、それであべちゃんが満足するのならと、彼の好きに任せている。
あべちゃんに背を向けて数秒後に、「ふぁ〜」と、今にも溶けそうなため息が聞こえてきたところで、俺は体の向きを正面に直した。
「湯加減どう?」
「とってもちょうどいい、はぁ…きもち〜」
「ならよかった」
「明日はお出かけだから、いつも以上に綺麗にしないと」
「んは、そんな嬉しい?」
「うん、すごく嬉しい。佐久間とお出かけ、へへ」
「っ、そっか」
マグカップの縁の上で組んだ腕に乗せた顔が、ふにゃっと綻ぶ。
体の大きさが違うだけ、その他は俺と何も変わらない、毎日そう感じることばかりだ。
ふとした仕草、一喜一憂するそのきっかけ、それに連動してくるくると変わる表情。
絵本の中に出てくるような物静かな存在とは少し違う。
こんなにも生き生きしていて、喜びも悲しみも、怒りも、幸せだって、隠さず見せてくれる。
一緒にいると楽しい。
そう感じては、こんな時間がいつまでも続きますようにと、心から願った。
お風呂から上がり、さっぱりした様子のあべちゃんと寝室へ向かった。
ベッドボードに、間に合わせで作ったスペースを、あべちゃんはとても気に入ってくれた。
小さなベッドをどうにか用意することも考えたが、あべちゃんは「これがいい」と言った。
空いていたベッドボードの棚にハンドタオルを2枚重ねて敷布団にしている。
掛け布団は、いつかに猫カフェの常連さんからもらった、新品のモコモコ靴下だ。
掛けると重たくて苦しい、と言っていたので、当初掛け布団代わりにしようとしていたタオルはやめにして、その靴下はどうかと提案した。
それであれば中に入ることができるし、寝袋のようになって暖かいだろう、という見立てだったが、それはこちらが想像していた以上の高評価を獲得した。
あべちゃんは靴下の中に入り込むと、指をパチンと鳴らして、自身の頭の上にナイトキャップを出現させた。
自由自在に装いを変えられるなんて、羨ましい限りだ。
あべちゃんは、基本的にはあのパッケージと同じ鮮やかな黄色いニットに、クリーム色のゆったりとしたボトムス、という出立ちをしている。
お風呂に入る時は着脱の動作をするが、装い自体を全て変える時には、このように指を鳴らして一瞬の内に着替える。
シチュエーションや生活のしやすさ等々、または気分によってでも身なりを変えたいそうだ。
「おやすみ」と声をかけてから、室内の照明を暗いオレンジ色の照明に切り替えて、毛布を被った。
「佐久間、明日、お仕事の邪魔にならないようにするね」
「うん、ありがと。 店の猫もうちの猫たちにら負けないくらい可愛いよ。楽しみにしてて」
「うん、お友達になれたらいい、な…」
「…あべちゃん、ねた…?」
「すぅ…」
「おやすみ」
きっと退屈させてしまっていたのだろう。
こんなにも楽しみにしてくれている、という沢山の嬉しさと、気付けなかった少しの悔しさとを感じながら、俺も目を閉じた。
翌朝、あべちゃんを連れて、電車に揺られること三十分ほどの場所にある猫カフェのドアを開け、開店準備を始めた。
夜の間はケージに入っていてもらっていた猫たちを外へ放し、朝ごはんを用意していく。
そこかしこから聞こえてくる、カリカリ、という音は心地良く、もはや愛おしいとさえ感じる。
あべちゃんは店に入ってからというもの、興味はあるようだが近づいて良いものかと躊躇っているようなそぶりで、俺の胸ポケットから顔を出しては隠してを、ずっと繰り返している。
仲良くなりたいと言ってくれたことが嬉しくて、俺は手助けするようにあべちゃんへ声をかけた。
「ご飯終わったら話しかけて大丈夫だと思うよ」
「!ほんとっ?」
「うん、今日は平日だし、お客さんもそこまで入らないと思うから、みんなと遊んであげて?」
「わかった!佐久間、手貸して?」
「はいよ、気をつけてね」
あべちゃんは俺の助言を聞くと、勇気が出てきたのか、ポケットから抜け出し、胸元に添えた俺の掌を足掛かりにして、テーブルへと飛び移った。
短い手足が特徴的なマンチカンの男の子の食事が終わるのを少し遠くの方から眺め、話し掛けられるタイミングを今か今かと待っていた。
彼の朝食が済み、真っ白い前足を使って毛繕いが始まったところで、あべちゃんは「こんにちは!」と元気よく挨拶をした。
あべちゃんはどうやら、生き物を見る目があるようだ。
その猫は、このカフェの中ではちょっぴりリーダー的なところがある。そんな場面をよく見かけるので、彼と仲良くなれれば危険な目に遭うこともないだろうと安心した。
俺はリーダーマンチカンにあべちゃんを任せ、まだ残っている開店準備に取り掛かった。
おもちゃが入っている大きなカゴを、バックヤードからホールの中央へ移動させ、みんなのお水を新しいものに取り替えた。
業務日報のページを今日の部分まで捲り、日付と朝のToDoリストにチェックマークを書き込んだ。
次にホールへ戻ると、そこには、リーダーマンチカンとそのガールフレンドらしきハチワレの双方から、毛繕いをされているあべちゃんの姿があった。
「ぁははっ、くすぐったいよ〜」
と、あべちゃんは楽しそうに笑っていた。
俺は、バックヤードの陰に隠れながら、ぎゅむっと鷲掴みにされて苦しい心臓を、ひっそりと押さえていた。
平日のカフェに漂う空気は、非常に穏やかなものである。
時々、自分の仕事はなんだっただろうか、と思うほどには、ゆったりとした時間が流れる。
「んにゃっ、うにゃっ!」
「みゃ!にゃにゃっ!」
「ぅははッ、捕まえてみろ〜、…ぅお、捕まった」
お客さんが来ないのをいいことに、釣竿のような形をしたおもちゃを振り回して看板アイドルたちと遊んだり、
「んなぁ〜」
「にゃに、おにゃかしゅいたの?」
出勤前にコンビニで買ってきたお弁当を食べながら、興味深々な様子でテーブルの上に乗ってきたマイペース食いしん坊と会話をしたりする。
夕方頃に来店してくれた常連のおばちゃんと、接客という名の談笑をしながら、またかわい子ちゃんたちと遊ぶ。
特にこれと言った出来事は無い。今日もいつもと何も変わらない。
それが一番いい。
こういう日が一番好きだ。
十分ほど前に退店したおばちゃんに奢ってもらった店のドリンクメニューである、コーラフロートのアイスをストローでかき混ぜながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に背中がむず痒くなった。
徐々にせり上がってくるその感覚を不思議に思い背後に目をやると、あべちゃんが息を切らせながら、俺の肩を目掛けて懸命によじ登ってきていた。
「お、あべちゃん、どったの。言ってくれたら肩乗せんのに」
「むぅ…登れるもん」
「…拗ねてる?」
「拗ねてない」
「どしたの?」
ようやく肩の上に腰を下ろしたあべちゃんの頬は風船のようにぷくっと膨れていた。
思ったことを指摘すると、その頬は更に大きくなった。
先程まで楽しそうに彼らと遊んでいたはずだが、一体どうしたのだろうか。
何か俺にできることがあればと思い、もう一度あべちゃんへ問いかけると、その小さな口からは、どうにか聞き取れるくらいの、ぽそっとした声が漏れた。
「…俺のことも構ってよ…」
…なんだそれ。
なんだ…それ。
なんなんだ、それ……!!
聞き間違いで無いことは確かだったが、様々な意味を持った衝撃が始終脊髄を駆け巡っていて、即座に反応できそうになかった。
寂しかったのか。
彼らがいたとしても一番は俺、ということなのか。
おまけに、拗ねてはいても、どこか遠慮がちな視線が先程からこちらへ投げかけられている。
昨日自身が言っていた「邪魔にならないようにする」という部分を実行できなかった後ろめたさでもあるのだろうか。
なんだそれ、可愛いかよ。
…え、待って?
「可愛い」ってなんだよ。
確かにあべちゃんは小さくて可愛いが、友達だ。
友達相手にそんなワードが出てくることに、心底驚いた。
「…くま、さくま…さくまっ!」
「っへぃ!?」
「なんか言ってよ、、変なこと言っちゃったみたいになるじゃん…」
「ご、ごめん…。ぅむぅッ、ぁへひゃん?」
反応が遅かったためか、不安げなあべちゃんに弱々しくなじられると、左頬がいきなり圧迫された。
どうやらあべちゃんが、その腕を目一杯に大きく伸ばして、俺の頬にしがみついているようだった。
視界の端で、俺の顔にぴったりとくっついたあべちゃんの頭頂部が見える。
「猫さん、みんないい人」
「うん」
「でも寂しかった」
「うん」
「猫さんも好きだけど、佐久間が一番…」
「ん?」
「…ううん、なんでもない」
何かを言いたそうなのに、あべちゃんの口は気持ちをはぐらかしてしまって、その続きを聞くことはできなかった。
今日の営業時間も終わりを迎え、閉店業務と戸締りもしっかりできたことを確かめてから帰宅した。
お風呂と夜ごはんを済ませた後で、未だ落ち込んでいる様子のあべちゃんにそっと近付いた。
「あべちゃん、紅茶飲まない?」
「………うん」
「淹れ方あってるか、見てて欲しいな」
「……うん」
「まだ一人でできるか不安なんだ、あべちゃんが教えてくれた淹れ方が一番美味しかったからさ」
「…俺が一番?」
「ん?うん、あべちゃんのが一番だよ」
「っ!飲む!見ててあげる!」
「んははっ!やっと元気になってくれた」
「へ?」
「笑った顔が一番綺麗だよ」
「〜っ!!ッ早くお湯沸かしてっ!!」
ようやく、にぱっと笑ってくれたかと思いきや、今度は真っ赤になって俺を急かすあべちゃんは、忙しなくて、やはり人間味を感じずにはいられなかった。
電気ケトルのコポコポという音を聞きながら、紅茶の袋を開けて、ティーバッグを一つ取り出す。
綺麗な三角形を作っておき、先日購入した角砂糖をふた粒小皿にコロンと転がしていたとき、「そういえば」と今日の些細ながら心温まった小さな出来事をふと思い出した。
「あべちゃん、今日お菓子もらったんだ」
「なんのお菓子?」
「今日お店に来てくれたおばちゃんいたでしょ?あの人がクッキーくれたの」
「わ、美味しそう!」
「んね!」
小ぶりな箱に詰まったその茶菓子は、さまざまな種類のクッキーで溢れていた。
アイスボックスクッキーや、真ん中にジャムが乗ったバニラ味のもの、ココア風味のものや、紅茶の茶葉が混じったものもあった。
「紅茶に合いそうかな?」
「うん、絶対合う!これはストレートがいいね」
「まじか」
「ふふ、もう飲めるでしょ?」
「にゃはは、最初の一口目は、まだちょっとビビってるよ」
「その分、クッキーの甘さが引き立つよ」
取り留めのない会話が何よりも楽しかった。
あっという間にお湯は沸き、 カップをしっかりと温めた上で、その三角形の中で茶葉を踊らせた。
カップと諸々の茶会グッズと、あべちゃんをトレーに乗せて、リビングまで向かった。
床の上に腰を据えると、あべちゃんは背中から自身のサイズ感に合ったティーカップを取り出した。
青いロボットが持っているような四次元空間が背中にでもあるのだろうか。
そのカップがどこから出てきているのかは、未だ不明である。
あべちゃんにもその理屈はよく分からないそうで、紅茶の香りがするとき、背中に手を回すとカップが自然と触れるので、そのままに出現させているのだそうだ。
トレーに乗せたままだったスプーンで、俺のマグカップに入った紅茶をひと掬いして、あべちゃんのカップにお裾分けする。
あべちゃんはカップに立った湯気も厭わずに香りを楽しんだ後、優雅にそれを口元へ運び、傾けた。
俺もあべちゃんのアドバイス通り角砂糖は入れず、舌の上を滑らせるようにして、一口啜った。
体に馴染み始めた茶葉の香りが口の中から鼻腔を通っていく。
「カフェインは摂りすぎると眠れなくなるから、夜は一杯だけ」というのが俺とあべちゃんとの約束だ。
大切に飲みたい、なんてことを思えるようになっている自分に、日々とても驚いている。
もう一口口に含んでからカップを置き、もらったクッキーを吟味する。
「あべちゃんどれがいい?」
「んー、これがいい」
「おっけ」
あべちゃんが選んだのは、アイスボックスクッキーだった。
バニラの甘みと、ココアのほんのりとした苦味がどちらも楽しめる定番の味だ。
封を切って取り出した中身を手渡すと、あべちゃんは両手でそれを受け取ってくれた。
しかし、その腕はすぐにガクンと下に下がった。
「ぅ“…っ」
「え!大丈夫!?どしたの!!?」
「重い…っ、」
「わぁぁあああッ!?ごめん!!」
自分の体と同じくらいの大きさのクッキーを軽々と持てた方が、返って驚きだ。
何の気なしに渡してしまったが、落ち着いて考えればそうなるよな、と心の底から申し訳なくなった。
あべちゃんはなんとか自身の膝の上にそのクッキーを乗せると、訴えるように俺を見上げて、「佐久間、小さくして…?」と言いながら首を傾けた。
胸の奥がきゅんと鳴ったような音を聞きながら、板状の茶菓子を一度預かる。
その線に沿うようにして四つに割ってから、もう一度あべちゃんへ渡した。
あべちゃんは嬉しそうに両手でクッキー片を抱えて、それを頬張った。
…きゅん、ってなんだよ。
もごもごと動くあべちゃんのほっぺたを、頬杖をついて眺めながら、この心がなぜこんなにも疼くのかをぼんやりと考えていた。
コメント
2件
もうこっちがきゅんだよ!!!笑

かわいいいいい🫶🫶