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第一章 封じられた山荘
冬が始まる少し前、古い友人から一通の封書が届いた。白い封筒に、墨で書かれた達筆な宛名。差出人は「七瀬辰馬」。十年前、警察を辞める原因となった、あの事件の関係者だった。
封筒を開けると、わずかにかすれたインクの匂いがした。
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「君に、ぜひとも来てほしい。場所は、雪原荘。年末に一週間。君でなければ、この集まりは成立しない」
――七瀬辰馬
七瀬辰馬は現在、政財界の要人を相手にした「危機管理コンサルタント」として名を馳せている人物だった。警視庁の捜査一課に在籍していた頃から情報通だったが、退職後はその人脈を活かして、多くの企業や政治家に「忠告」を与える仕事をしている。
その男が、わざわざ手紙で俺を呼ぶ。それも、「君でなければ成立しない」と。
おかしい。
ただの同窓会なら、LINEで済ませるはずだ。わざわざ手書きの招待状など、今どき珍しい。だが、手紙の筆跡に迷いはなかった。まるで、封じられた記憶を静かに呼び覚ますような、確かな線だった。
⸻
そして年末、俺は長野県の雪深い山奥にある「雪原荘(せつげんそう)」を目指していた。
鈍行列車を乗り継ぎ、終点の駅からは、雪の積もった林道をジープで1時間。道中、民家など一軒も見なかった。雪原荘は、完全に「外界と切り離された」空間だった。
⸻
「着きました。ここが雪原荘です」
運転手の男性が振り返る。無表情のまま、荷物をトランクから降ろすと、彼はすぐにジープに乗り込み、来た道を引き返していった。
残された俺は、凍てついた空気のなかで、雪原荘を見上げた。
二階建ての洋館。築六十年。元々は貴族の別荘として建てられたもので、今は辰馬が買い取り、年に数回だけ使用されているという。
雪原荘の玄関扉は、年季の入った重厚な木製だった。黒いアイアンの取っ手に触れると、冷気が掌に吸い付いたような感触がした。
「おお、来たな、来たな」
扉を開けると、七瀬辰馬が笑顔で出迎えた。白髪交じりの髪を丁寧に撫でつけ、ネイビーのセーターにベージュのチノパン。あいかわらず、上品な身なりだった。
「遠かったろう? よく来てくれた」
「どういうつもりだ、辰馬。こんな時期に、こんな山奥で集まりなんて」
「まあまあ、中へ入ってくれ。話はそれからだ」
ロビーに足を踏み入れると、薪ストーブの優しい暖かさが全身を包み込んだ。壁には鹿の角、棚には古書、そして重厚なカーペット。まるで別世界のような空間だった。
すでに他の客人たちも集まっていた。
一人は長身でスーツ姿の男、鋭い目つきに、どこか軍人のような雰囲気を漂わせている。
「城戸圭介。外務省出身、現在は某国際組織の特別顧問だ」
辰馬が紹介する。
「よろしく」と、城戸はぶっきらぼうに言い、手を差し出してきた。
次にいたのは、眼鏡をかけた小柄な女性。黒髪をおかっぱにまとめ、やや控えめな印象だが、目だけは鋭かった。
「杉山澪(すぎやま・みお)。都内で弁護士をやっている。知識も行動力も、一流だ」
「はじめまして」と澪は柔らかく微笑んだ。
三人目は、ふてぶてしい雰囲気の中年男性。頬に深い傷跡があり、どこか過去を背負っているようだった。
「名越(なごし)健吾。元暴力団幹部で、今は更生支援のNPO法人を運営している」
少し意外だった。辰馬がこんな人間とつながっていたとは。
「……見た目ほど怖くねえよ。安心しな」
名越は豪快に笑いながら、ロビーのソファにどっかと腰を下ろした。
そして最後に現れたのは、年配の女性。和服姿で、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
「そして、この方が橘冴子(たちばな・さえこ)先生。日本文学の大家で、いまでも大学で教鞭をとっておられる」
「あなたが、元警察官の御子柴涼(みこしば・りょう)さんですね」
初対面のはずなのに、冴子の声には、どこか含みがあった。
集められた六人。それぞれが、まったく異なる世界に生きる人間たち。そして、誰もが――過去に七瀬辰馬とかかわりがある。
「さて、全員そろったな」
辰馬が深く頷いた。
「この一週間、雪原荘は外部との連絡が一切断たれる。携帯は圏外、Wi-Fiもない。いわば、”時間が止まった空間”になる」
あえて、そういう状況を作ったということか?
辰馬が続ける。
「私は、この雪原荘に”ある遺書”を隠した。それを皆に見つけてほしい。いや……見つけて、真相を解き明かしてほしいのだ」
「遺書? 誰のだ?」
思わず尋ねた。
辰馬は、少しだけ視線を落とした後、静かに言った。
「――私自身の遺書だ」
その場の空気が、一瞬で凍りついた。
「私自身の遺書だ」と言った辰馬に、誰もが言葉を失った。
「冗談だろう?」と名越が最初に口を開いた。「何をバカなこと言ってんだよ。遺書って……おまえ、死ぬつもりか?」
「死ぬつもりはない。少なくとも、今すぐはな。ただ――その遺書には、私が過去に犯した罪と、その真相が書かれている。誰かにそれを明らかにしてほしかったんだ」
辰馬の口調は静かだったが、言葉の重みは尋常じゃなかった。
罪。
それは、七瀬辰馬が自ら「隠していた」ことを、今になって明らかにしようという意味だ。
「なぜこのタイミングで? そしてなぜ、私たちを選んだ?」と杉山澪が尋ねた。
「君たちは、全員――私の過去の“節目”にかかわってきた。無関係な人間はいない。私の人生において、君たちは“証人”であり、“共犯者”でもある」
共犯者、という言葉に一瞬ざわつく室内。
だが辰馬の顔は真剣だった。
「一週間の間、この雪原荘で“答え”を探してほしい。私の遺書がどこにあるか。そして、私が何をしたか。それを見つけた者に、全てを託す」
「託すって……おまえ、死ぬ気じゃないって言っただろうが」
名越が立ち上がり、怒鳴るように言った。
だが辰馬は静かに首を振った。
「私は、もう長くない。……医者から余命宣告を受けたんだ。遅かれ早かれ、そのときは来る」
全員が息をのんだ。
「このまま死ねば、すべては闇に消える。でも、それではいけないと思った。私が生きてきた証を、きちんと残すために……君たちに託すことにした」
誰も、すぐには口を開けなかった。
辰馬の語る“遺書”は単なる手紙ではない。過去に葬られた事件。未解決の闇。そして、関係者の秘密――それらすべてが含まれている可能性がある。
「……探せって言うけど、範囲は? この広い屋敷のどこかってことか?」と俺は尋ねた。
「ああ。ヒントは、ある程度用意してある。だが、ただのゲームだとは思わないでくれ。中には、危険を伴うものもあるかもしれない。君たちが、どこまで深く潜れるかが試される」
その瞬間、薪ストーブの火がぱちんとはぜた。
まるで、辰馬の宣言に応じるように。
誰もが無言のまま、それぞれの思惑を胸に抱きながら部屋へと戻っていった。
そして、その夜。
第一の死体が、発見される――
そんな予感を、俺はなぜか拭えなかった。