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「守恵子《もりえこ》様が、池へ落ちたのは確か。ただ、お一人でしたから、詳細は……」
「いや、詳細よりも、何より、橘や、守恵子は無事なのだろうね!!」
ええ、今は、眠っておられます。と、答えつつ、橘は、先程からコツコツと聞こえる音が、守近の履く沓《くつ》だと気が付いた。
「まあ!守近様!」
「いやー、すまぬ。つい気が動転て、というより、まず、守恵子の姿を見ないことには!」
守近は、そのまま、守恵子の房《へや》へ、歩んで行った。もちろん、沓を履いたまま。
「守恵子やーーー!!!」
大事ないとは、言われていても、やはり、守近も人の親なのか、姿を見るまでは気が気でなく、つい、名前を叫んでいた。
同時に、胸の内では、もしや、これは、神仏のお怒りではなかろうかと、あれこれ、画策に乗じていた我が身を恥じてもいた。
そこへ、
「ほぉーーーい」
と、場に似合わない返事がする。当然、守恵子からのものではなく、誰だと、聞かずとも、守近には、わかっていた。
「……で、なぜ、斉時《なりとき》なのだ?!」
コツコツと音をたて、勇み足で、守恵子の房へ向かった守近は、その入り口で、呆然と立ちすくんだ。
「いやー、守恵子の一大事と聞いてなぁ、はあー、たまげたよ!」
「た、たまげた、のは、私の方だ!!斉時!お前、なぜ、なぜ!!!」
お?と、御仁は、振り向き、
「うーん、これまた、大変な事になっておる」
などと、呑気に返事をしてくれた。
右手は、守恵子と繋ぎ、左手は、くずれこむ徳子《なりこ》を、支えている。
そして、二人とも、守近を呼んでいるのだった。
「な、斉時!守恵子も、徳子姫も、私を呼んでいるだろう!!」
「なのだがね、何故か、この、斉時から、離れてくれないのだよー」
「離れるも、離れないも、お前がそんなところに、座り込んでいるからだろうっ!!!」
確かに、何故か、御簾が上げられた、守恵子の座所に敷かれた急ごしらえの床《とこ》の、枕元に、鎮座していては、つい、父、守近を求め、手を伸ばしてしまったら、斉時。慌てて駆けつけ、娘の様子に動揺し、崩れ混んでしまった、先は、斉時。となるのは、必然。
「二人とも私だと勘違いしてるのだ!早く離れろ!」
「いやー、そんなとこじゃねーかなあーと、思ってね、御簾は、上げといたよ。籠って、何してるんだって、言われるのが、オチだからねぇ」
正々堂々と、手を握り、体を抱き抱えているのだと、斉時は、真顔で言った。
追いかけて来た、橘が、見かねたように間に入る。.
「守近様、お相手は斉時様です。どうあがいても、無理なものは、無理」
あー、そうだったなぁ、斉時だものなぁ。と、守近は、ぼやいた。
すると、か細く、伺う声がする。
「ん?」
「ああ、そうでした!守近様!こちらの、貴公子様が、我がお屋敷の姫君様、御歳17におなりあそばし、縫い物、芸事、歌と、あらゆるものがお得意で、おまけに、囲碁の腕は天下一品の、守恵子様を、お助けくだすったのです!」
貴公子とやらと、守近を橋渡しするごとなのか、橘が、かなり、芝居がかった様子で言うと、守近へ向かって、頷いている。
「……ん?何事かと思えば……なるほど、なるほど……なあああんとおぉぉ!そなたがあーーー!当家の、ことのほか、上品で、何事にも、控えめな、我が姫を、助けてくだすったのかっっ!!!」
橘に、合わすかのように、守近までも、妙に弾けた返事をした。
「おいおい、二人して、なにしてんだい?新しい遊びか?」
「遊び人は、斉時様でしょう」
ホホホと、鈴を転がしたような、可憐な笑い声が、斉時へ答えた。
「あれ、徳子《なりこ》姫」
「あー!守近様!守恵子が!申し訳ございませぬ!私どもの落ち度ですわ!」
さあ、斉時様も、と、共に頭を下げるように、徳子は指図をする。
「え?何故に、俺も?おかしんじゃねぇか?」
「まったく、相変わらず、空気の読めない方だこと!あなた様は、身重の人妻を、抱《いだ》いておるのですよ?!」
「え?徳子様?なんだか、おかしくないですかねぇー、って、いうか、昔より、性格きつくなってません?!」
「まあ、そちらの北の方様よりは、ましだと思いますが?」
あーー!それね、それ、そりゃそーだわ、あいつは、もうねぇーと、斉時は、何か納得し、
「守近よ!すまん!邪魔をした!」
と、頭を下げると、今日のところは、帰ると、言い捨て、守恵子の手をそっと離し、自分が座っていた茵《しとね》を、徳子へ勧め、すたすたと、房《へや》を出たのだが、
「で、その、若者は、新しい従者か?」
と、大納言様の御前《おんまえ》と、ばかりに、入り口の縁で萎縮している者を見た。
「おだまんなさいっ!守恵子様の命の恩人に向かって!!」
橘が、吠えた。
「やっ、なんと、橘よ、お前と俺の仲なのに、えらい、噛みつきようじゃーねぇか?!」
「ど、ど、どんな、仲なのじゃあーーーー!!!」
肩を怒らせた髭モジャが、顔面蒼白になりながら、縁に立っていた。
そして、その後ろの柱の影には、童子と、若人のタマが、常春《つねはる》を背負ったまま、隠れている。
「あー、みんな、帰って来ちゃったんだ。結構、早かったなぁー。ということは、じき、上野様も、現れると」
「うーん、これだと、あの人、守恵子様じゃなくて……晴康《はるやす》様ーー!」
「そうだよねぇ、こんな、面倒臭いのが、周りにいるんだ、自然と上野様を選んじゃうよなぁーーー」
ちょっと、まずくないか?
と、童子と、若人タマは、顔を見合わせている。
と、そこへ……。
「えーー!守恵子様がっ!!!」
驚く、紗奈の声が響いて来た。
「あれ、鉢合わせ、まずいねぇ、こりゃー、守恵子様の負けになるかも」
あーと、溜め息を付きながら、童子こと、晴康は、柱にもたれかかった。