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1話:待機列のロクト
ブックスペースの入口、ミステリー棚前のVRゲートにはこう表示されていた。
「雨橋ロクト本日平均待ち時間:27分」
朱莉(あかり)は軽く舌打ちしながら、手元のパネルをスライドする。
VR内の彼女は、現実と似た小柄なアバター。肩までの黒髪にストレートのツヤ。目元は眠そうだが、服装だけは自作の濃い赤のコートにスカーフを組み合わせ、ミステリー棚常連らしい“キャラ乗せ”がされていた。
「またロクト入れなかった……三回連続だよ」
《#ロクト回》というタグが、今SNSで2位と3位を占めている。
朱莉の視界に流れるタイムラインには──
「ロクト、やっぱ最推しキャラ」
「演じられたときの没入感ハンパない」
「23分待って“再抽選”とか泣くって」
といった投稿が次々と流れていた。
その合間に、別の注目タグが浮上していた。
《#学芸員テラヤマ》
朱莉はすぐに開く。学芸員の一人・テラヤマは、公式アップデートやキャラ調整の情報を個人アカウントでよく呟くことで有名だ。
🎩【テラヤマ:ver.3.21関連】 「雨橋ロクト」待機列混雑中。代演AIキャラ:ナイフ田口を一時解放中。 コメント歓迎。演者側での新たな可能性を検証したい。
「……マジであの地味キャラ出すんだ……」
思わず朱莉は笑った。
ナイフ田口。
脇役の脇役としてミステリー棚の背景を支えてきた、癖も見どころもない“空のキャラ”。
でも、自分で演じるなら、ありかもしれない。
「田口で入場」ボタンを押す。VR世界が切り替わる。
【ミステリー棚:第307話『二重の声』】
暗い書斎に、弱々しい間接光。重厚な本棚と、革張りの椅子。
被害者の娘役AIが振り向き、朱莉――いや、“田口”に問いかける。
「……あなた、本当に探偵の代役ですか?」
鏡を見る。
朱莉の姿は、スーツに七三、無表情の中年男。ポケットにナイフの柄が見える。
自分の声で喋ることに、最初は抵抗があった。
でも、“台本がない”ことで自由が生まれる。
「証拠は、ナイフの柄に……あなたの指紋が残ってた」
即興のセリフ。だがその“曖昧な間”が、逆にリアルだった。
SNSではリアルタイム実況が盛り上がっていた。
「田口回、ロクトより人間味ある」 「セリフの“つっかえ”が逆に好き」 「演者補正ありすぎて泣けた」
物語はオリジナルから逸脱し、ロクトが登場するはずだった場面すらカットされたまま終幕を迎えた。
ログアウト後、朱莉はスマホを確認する。
学芸員テラヤマの新たなポストが流れてきた。
🎩【田口試験完了】
“人気キャラが物語をつくる”と思われがちですが、
実は“演じた人が、物語を変えた”という記録が残りました。
ご参加、ありがとうございました。
朱莉は苦笑した。
「……ロクトじゃなくても、いい話になるんだな」
ゴーグルを静かに外したとき、物語の余韻だけが、まだ少しだけ残っていた。