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「いえ、あの……その……」
珍しく歯切れの悪い老副官に、ネルロは眉をひそめた。
「どうした?」
「ファービー総司令は、タラント陥落の後、王都への帰陣の途中――」
老副官は一度、言葉を切った。
「お亡くなりになりました」
「……なんだと?」
ネルロの顔から、いつもの軽薄な笑みが消えた。
しばらく黙ったあと、ぽつりと尋ねる。
「で、いくつだったんだ」
「七十二だったと聞いております」
「なんだ。大往生じゃねえか」
ネルロは鼻を鳴らした。
「とっとと隠居して、俺に全部任せてくれりゃあよ。
もうちょっと長生きできたかもしれねえのにな」
「…………」
老副官は何も言わなかった。
ネルロも、それ以上は悪態を続けなかった。
ファービー。
何度も自分を叱りつけた老人だった。
勝手な真似をするな。
持ち場を離れるな。
命令に従え。
挙げ句の果てには、軍を率いる資格なしと王都へ送り返されたことまである。
ネルロにとって、これほど鬱陶しい老人はいなかった。
その老人が――もういない。
「……そうか」
ネルロは遠くを見るように呟いた。
「もう、いねえのか」
少しだけ間を置いて、
「寂しいもんだな」
老副官は、やはり何も言わなかった。
ネルロは頭を掻くと、いつもの調子に戻った。
「で、後任は?」
「元老院の全会一致で、スピリタス殿が総司令に選ばれたとのことです」
「ふーん」
意外にも、それだけだった。
かつてなら、ひと騒ぎしていたかもしれない。
自分より若い男が。
自分より後から戦場へ出てきた男が。
今やグラン全軍の頂点に立つ。
だが――。
スパルーニャを奪い、ハスドルバルを追い払い、
この戦争そのものを動かした男だ。
文句をつける気にはならなかった。
「近いうちに王都へ戻られるそうです」
「そうか」
ネルロは立ち上がった。
ファービーはいない。
マルスもいない。
そして今、スピリタスが帰ってくる。
長かった戦争も、いよいよ終わりが見えてきた。
ネルロは口元をわずかに吊り上げた。
「じゃあ――」
腰の剣を軽く叩く。
「決戦は近いな」
「それでは――」
マシニーサは馬上から、深く頭を下げた。
「うむ。早く戻ってくることを祈っている」
バルカはそう答え、その背を見送った。
ヌミダス騎兵隊長、マシニーサ。
バルカ軍の騎兵戦力を支える中心人物であり、ヌミダス王国の王子でもある。
その彼のもとへ、母国から急報が届いた。
ヌミダス国王、死去。
王位を巡って国内が揺れる中、王族であるマシニーサにも急遽、
帰国する必要が生じたのである。
馬を進めていたマシニーサが、一度だけ振り返った。
バルカはまだ、そこに立っていた。
互いに何も言わない。
やがてマシニーサは前を向き、供の騎兵たちとともに街道の彼方へ消えていった。
「おそらく、あいつが次の国王になるだろう」
バルカが呟いた。
「王位を固めたら、また戻ってくる」
その声には、疑いなど微塵もなかった。
「今度はヌミダス王として、騎兵を率いてな」
バルカは小さく笑った。
「それまで、儂らも頑張らねばな」
「はい」
マゴはそう答えながら、バルカの横顔を見た。
笑っている。
だが――どこか寂しそうだった。
長い戦争の中で、一人、また一人と仲間が去っていく。
それでもバルカは信じていた。
マシニーサは必ず帰ってくる。
再び自分の隣で戦ってくれる、と。
だが――。
この日、バルカが見送った男が、
二度と味方として戻ることはなかった。
そして、この何気ない別れが、
長きにわたる戦争の行方を大きく変えることになる。
ヌミダス王国。
アウリカ大陸随一の良馬の産地として知られ、
その騎兵は古くから大陸最強と謳われてきた。
かつては旧イージプ王国の有力な同盟国でもあり、
その滅亡後もバルカ軍へ多くの騎兵を送り続けている。
その国で――変事が起きた。
事の発端は、一人の男の来訪だった。
ビスコーネ。
スパルーニャでスピリタスに敗れ、バルカ勢力が大陸から追い払われる中、
彼はヌミダスへと逃れていた。
そして、老王の死によって生じた王位継承の混乱に目をつけた。
「兄上が帰ってくれば、王になる」
ビスコーネの前に座っていた若者が呟いた。
マシニーサの弟――シフォニス。
「そうでしょうな」
ビスコーネは静かに答えた。
「兄上はバルカ将軍の信頼も厚い。軍にも顔が利く。
何より、ヌミダス騎兵の多くが兄上を慕っている」
「私にどうしろと。」
「王になればよろしい」
シフォニスが顔を上げた。
「……何?」
「兄君が帰ってくる前に、あなたが王になるのです」
ビスコーネは笑った。
老王の死。
空位となった玉座。
そして、王都から遠く離れた場所にいる第一王子。
これほど都合のよい機会はなかった。
ビスコーネは王宮の有力者たちを次々と取り込み、
マシニーサの帰国を待たずしてシフォニスを国王に擁立した。
だが、それだけではなかった。
新王シフォニスは即位と同時に宣言する。
「ヌミダスは、何者にも従わぬ」
旧イージプ王国にも。
バルカにも。
そして――グランにも。
いずれの勢力にも属さぬ独立国として歩むことを宣言したのである。
その実権を握っていたのは、ビスコーネだった。
そして彼は、最後の一手を打った。
「兄上の婚約者だぞ」
「私の娘です」
シフォニスがさすがに躊躇した。
「これは、やりすぎではないのか」
「何を仰います」
ビスコーネは平然と答えた。
「王には王妃が必要でしょう」
選ばれた王妃の名は――ソフォニスバ。
ビスコーネの娘にして
マシニーサの許嫁であった。
美しい美貌の持ち主であった
王位を奪われた。
国を奪われた。
そして――愛する女まで奪われた。
そのすべてを、マシニーサはまだ知らない。
バルカに見送られ、故国を目指して船を走らせる彼は、
自分が帰るべき国が、
すでに自分の知る国ではなくなっていることを知らなかった。
帰国した彼を待っていたのは
襲い掛かる弟の軍勢だった
コメント
1件
おおおおお第81話!!ネルロの「寂しいもんだな」めっちゃぐっときたよ…😭💔 ファービー総司令に悪態つきまくってたのに、いざいなくなるとポツリと本音が出ちゃう感じ、沼るわ…!! そしてマシニーサまさかの展開!弟に国も婚約者も奪われて帰国したら襲撃って運命酷すぎる…😭 ビスコーネ許せん!!次回どうなるの気になりすぎて夜しか寝れん!🌟
眠狂四郎
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