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「おかえり、翔太」
「ただいま、蓮」
メンテナンスを受け、送り届けられた先は、新しい住所だった。これまでの部屋より格段に広くて日当たりもいい。
てっきり恋人の阿部さんと二人で暮らすのかと思っていたが、有名人である二人は流石にそうもいかず、近所に住むことで折り合いをつけたようだ。スキャンダルを恐れてのことだろう。人間は人間で大変なのだと考える。
メンテナンス先から預かった封筒を蓮に渡すと、暫く難しい顔をしてそれを読んでいた。内容は一切俺には共有されていない。ただ、いつもより点検や修理に時間が掛かったような気がする。
「今日はね、翔太を喜ばせるものがあるよ」
「何だろう…?」
じゃん、と言って、悪戯っぽく笑った蓮は食卓の上に掛けてあった白布を外した。
「わあ…!」
テーブルの上には、大きなホットプレート。
以前の家には無かったその装置に俺は歓声を上げた。横に置かれているのは、様々な肉や海鮮。以前、一度だけ蓮と食べたことのある、鉄板焼きの準備がされていたのだった。
「翔太ってあんまり食べないけど、これなら好きでしょう?」
「うん」
「退院おめでとう、寂しかったよ」
「ふふ。たしかに退院だね。ありがとう」
二人で久しぶりに抱き締め合った。蓮の触れるだけのキスがくすぐったい。吐息のかかる 首筋から蓮の体温を感じる。こうして直接に体温を感じるのは本当に久しぶりだった。
「阿部さんは?」
「今日は来られないんだって。翔太によろしくって言ってたよ」
「そう」
嬉しい、なんて思うのはまだバグが残ってるのかな。 軋む音が、胸の奥でまたしたのは気のせいだろうか。 阿部さんのことなんか質問しなければ良かった。少し微妙な空気が流れた。
それでも気を取りなおすと、蓮は食事中、終始にこにこして、俺に食べ切れないほどのご馳走を振る舞ってくれた。
その夜は実に9か月ぶりに蓮と繋がって、蓮の腕枕で目を閉じた。
耳元で聞こえる蓮の寝息が懐かしくて、目からまた意味のない体液が漏れた。全然不調が解消されてないみたいだ。蓮の腕が外れたタイミングで蓮を起こさないようこっそり起き上がると、ソファ前のローテーブルに無造作に置かれたままのメンテナンス結果を知らせる手紙を開いた。
『…製品内部の部品劣化が激しく、現行では廃盤で替えのパーツもないため、これ以上の修理は難しいです。新しいモデルのご紹介は…』
そこまで読んで俺は手紙をテーブルに戻した。
◆◇◆◇
「翔太、久しぶり!!退院おめでとう」
阿部さんはいつもと同じように柔らかい笑顔を見せ、新しい洋服一式をわざわざ俺にプレゼントしてくれた。いつもラフな格好に身を包んでいた俺としては、緊張するようなブランドものばかりだ。カーディガンひとつ取っても、高価なのがわかるようなとても心地いい肌触りをしていた。
阿部さんと俺のハグを見守っていた蓮が、最近買ったという車の後部座席に俺を乗せる。今日はみんなで遠出をするらしい。どこへ行くの?と聞くと、翔太に本物の海を見せてあげたいと思ってね、と二人でくすくすと嬉しそうに笑った。どうやら俺のメンテナンス中にあれこれと計画してくれていたらしい。
俺は嬉しかった。
休日にわざわざ予定を合わせて、今度は水族館じゃなくて本物の海を見せてもらえるなんて。それも大好きなこの二人と一緒に…。
「あれ~?おかしいな?この道で合ってる?」
「標識ではこっちみたいだけど」
都会を離れた海に向かってドライブして2時間ほど。蓮と阿部さんがナビを見ながら首を傾げている。路肩に停車してあれこれと話しているが、目的の場所がはっきりとはわからないのだろう、車を降りて、道を聞くために目に付いたサーフショップに入った。ついでにお土産も見たいと3人揃って店に入って行く。
中にはサーフボードとビーチサンダル。パラソルや水中メガネなんかも置いてあって、一角にはお土産物のキーホルダーやTシャツなどが飾ってあった。
蓮が奥に向かって声を掛けた。
「すいませーん」
「はい、いらっしゃい…え?…蓮……?」
背を向けていた店員らしき男性が振り返り、蓮と俺は息を呑んだ。
「しょっぴー…」
昔、何度も写真で見た、いや、今でも毎日鏡などで見る、自分そっくりの人間が奇跡的にそこにいた。会ったことのない阿部さんは俺と本物の翔太をわかりやすく見比べている。
……不思議な感覚だった。
瓜二つの姿がここにいる。
そして、【本物】は、蓮を見ると、心底嬉しそうに屈託のない笑顔を見せ、蓮をぎゅっと抱きしめた。
「久しぶりじゃん!元気だったか?おーおー、立派になって」
「お久しぶり…です」
「俺のこと覚えてる?」
「何言ってるんすか…忘れるわけありませんよ」
蓮は辛そうな顔をして、彼をじっと見ている。俺は慌てて自分の顔を隠した。幸い、彼には気づかれずに済んだみたいだ。
「涼太にも会って行けよ、もうちょっとしたら戻るから」
「いや、今、時間なくて…今度ゆっくりまた寄りますね」
「ん?そう?わかった。番号変わってないから暇な時にでもまた連絡してな?」
「はい…」
「お友達もありがとね!!!」
蓮は俺たちを強引に押すと、店から出た。
「どうかした?」
さすがに変だと思ったのか、阿部さんも心配そうに蓮を見るが、蓮は何でもないと言ったきり黙ってしまう。俺は朝からあまり体調が良くないみたいだよ、と蓮をフォローするように嘘の言葉を添えた。
その後はどういうわけか、あんなに楽しみにしていた海を見ても、俺はちっとも美しいと思えなかった。
水族館より【本物】で雄大な景色が目の前に広がっているのに、近くに寄りたいとも思わない。それよりも阿部さんに寄り添われて、浮かない顔をしている蓮のことが気になって仕方がなかった。
フィクションの水族館、フィクションの俺、この世は人間のために都合よく創り出された幻想と言うものが存在する。そしてそれは、時に本物の痛みを忘れさせ、人々に夢を与える…蓮は夢ではなく【現実】を見せられたことで知りたくもないことを知ってしまったのかもしれない。だとすればそれはとても哀しいことに違いなかった。
帰宅後。
阿部さんが帰った後も、蓮は一度も俺を見ようとはしなかった。俺も蓮のそばをわざと離れた。
俺のことが決定的に必要なくなったこの夜、俺は『俺』を終わりにすることを決めた。
コメント
4件
絶対泣くやん次
しょっぴー...なんか切ない... 続き楽しみです!!