テラーノベル
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追跡の気配はなかった。神秘を兄弟とするネモルの街と異邦人の引き起こした喧騒はユカリたちの背後へ遠ざかる。アンソルーペ率いる焚書官たちの襲撃から辛くも逃げ延びたユカリたちは山間部へと身を隠した。
使い魔たち――何人かは白紙文書に貼られたままだが――を含めれば二十人を超える大所帯だ。除く者が他の使い魔たちに一時白紙文書に収まることを促したが、言葉少なに、しかし頑なに拒まれたのだ。
暗闇を徘徊する獣たちが穴蔵から這い出す頃、山の魔性が好むような窪地に身を潜め、幾人かの見張りを立て、状況を整理することになった。
ユカリ派と言えど、誰もがユカリを心の底から信じている訳ではなかった。魔法少女だとしても、決して間違わないわけでも、失敗しないわけでもないのだから、と。
ユカリ自身、自分に従う派閥というものに元々半信半疑だったので、むしろ安心したところもあった。
ユカリ派の一部に至っては、ユカリが焚書官襲撃の手引きをした可能性すら考えていた。
「ああも丁度いい頃合いに襲撃に遭うなんておかしいと思いませんか?」とユカリ派の使い魔の一人、語る者が演説をぶつ。人間の姿でいるが、青と緑に煌めく妙に派手な衣を身にまとっている。
「ユカリ様を疑うのですか?」と除く者が刺すような声色で言う。
「ええ、そうです。全ては私たちが油断する隙を狙って一網打尽にするためではないんですか?」
「そんなことしてないです。そもそも救済機構と協力関係にないですから」とユカリは当たり前の前提を話す。
「そういうこと」とベルニージュが加勢する。「ワタシたちには何の動機もない。疑われていること自体が馬鹿々々しい」
一つの焚火を囲むには人数が多すぎるが、ベルニージュの結界のお陰でこの明かりだけは窪地の外に漏れないのだった。焚火から放たれる光と熱の放射は窪地の縁で地面に溶けていた。
「隠された理由があるのかもしれません」と語る者は手を緩めない。
「どんな理由? 妄想で良いから言ってみなよ」とベルニージュも一歩たりとも退く気はない。
「そんなもの、私たちが知るわけがありません。こちらが知りたいのですから」
「じゃあ疑う根拠がないわけだ」とベルニージュ。「大体ユカリ派ってのはユカリの判断に従うことを決めた連中じゃないの?」と除く者に矛先を向ける。
「ええ、概ねそうです」除く者は悪びれることなく答える。
「概ねぇ?」ベルニージュは再び派手な格好の語る者に向き直る。「あんたは違うってこと?」
「そうですね。出来れば魔法少女を信じたいですが、妄信するつもりはありません。個人的な信条としては魔法少女が産みの親、私たちの製作者ならば、一定以上の敬意を払うつもりです」
「製作者!? 何のこと!?」といまいち立ち位置が分からないでいたユカリが表立つ。
魔法少女はいくつかある魔導書の一つであり、その力のあり方に過ぎないはずだ。魔導書が作られたから魔法少女は存在するのであって、その逆があろうはずもない。
幾人かの使い魔たちが疑わしげな眼差しをユカリに向ける。
「かわる者を除く全員、私たちは一度は白紙文書に貼られたことがあります。そしてそこに浮かぶ文章を総合して考えると、私たち使い魔は魔法少女の使い魔であり、魔法少女こそが使い魔を生み出した存在である、と。すなわちそれは魔導書全体を生み出したのも魔法少女だと考えられます」
もちろん、ユカリには、ラミスカには、そんな覚えはない。魔導書とは別の世界から転生してきた存在だ、とププマルに聞かされている。つまり魔導書が作られたのは前世の話だ。仮にこの世界に転生したことを指して製作というのであったとしても、やはりユカリには関わりのないことだ。
「あの記述に信憑性はないでしょ?」とベルニージュが指摘する。「各使い魔の説明は大仰なだけで出鱈目なんだから」
それに反論する者はいなかった。
「百一人柱の使い魔の誰も製作者に心当たりはないんですか?」とユカリは尋ねる。「魂があって意識のある魔導書である皆さんが初めて意識を持った時はどうだったんですか?」
「救済機構の尋問官にも散々【命令】されましたよ」と語る者はうんざりした様子で語る。「大概の封印は偶然貼られて意識を意識した者ばかり。何人かは誰かに貼られていますが、製作者ではありえません。それに自己認識した時代も場所もばらばらですしね」
前世の記憶があれば分かったことなのだろうか、とユカリは残念な気持ちになる。前世についてはププマルにも聞いていない。前世でも魔導書に関わる存在だったのだろうと朧気に考えていたが、深くは考えて来なかった。しかし魔導書の前世に関わる者など魔導書の製作者以外にはいないのではなかろうか。前世の魔導書の製作者は前世も魔法少女だったのだろうか。
「魔法少女の魔導書は……」とユカリは切り出す。「私と共に生まれました。だけど、もちろん、母が魔導書の製作者という訳ではありません。母はクオルという魔法使いに『禁忌の転生』という実験を受けて私を生んだのですが、そのことが魔導書と関係があるかどうかも分かってないんです」
ふと視界の隅でユカリをじっと見つめる赤い瞳に気づく。焚火が爆ぜる音だけは結界の中でもよく響く。
「そんな話聞いてないけど?」とベルニージュが穏やかながら責めるような声色で言う。
「そ、そうだっけ?」とユカリはとぼける。「まあ、その、あまり言いふらしたくなる話ではないし」
「ふうん。まあ、いいけど。まだまだ信用されてないってわけだ」
「私にだって話しにくいことくらいあるよ」とユカリは声を抑えて返す。
「命を危険に晒して魔導書探しに協力しているのに? 魔導書について話せないことがまだあるの? 一体どれだけ無駄足を踏んでるんだろうね」
ベルニージュの容赦ない言葉がユカリに突き刺さる。
「我々は身を隠しているということを忘れるな」とソラマリアが、ユカリが声を荒げる前に釘を刺す。
「話を戻しましょう」と語る者が落ち着いた声で舵を取る。「私からすればユカリ様を疑うことなど馬鹿々々しいばかりですが。かわる者の言葉に心動かされる気持ちは分かります。何せ、私も、そしてここにいる何人かの同胞もかわる者によって救済機構から解放されたのですから。しかし私としてはたとえ恩人と言えど、ユカリ様に反旗を翻すなど許せず、志を同じくする彼らと共にユカリ様を支えるべく集ったのです」
そう言って語る者は一息置き、ユカリと向き直り、真摯な眼差しを向ける。
「一つ、提案があります。手っ取り早い手段ですが、抵抗もあろうことと存じます。封印をユカリ様の御身に貼り付けるのです。すると魂と魂の会話ができ、問いに対して答えたならば嘘は通じません。決して、ユカリ様の半生全てを詳らかにする訳ではありません。いかがでしょうか?」
「問題は、ユカリが操作される危険性があることなんだけど?」とベルニージュが庇うように言い立てる。
「承知の上です。であればこそ、信用もまた確固としたものになるかと」
「いいよ。話が早いのは助かる」とユカリは請け負う。
「って言うと思ったけど、使い魔一人だけだからね」とベルニージュが付け加える。「他はその行為で以って信用するかどうか決めて。それと貼るのはワタシ。これらは譲歩できない」
それに加えてベルニージュは何人かの使い魔に関しては事前に拒否した。ユカリを連れ去る魔術を持っている可能性の高い者だ。信用の話をしているのに、そんなことでいいのだろうか、とユカリは思ったが、使い魔たちに異論は無いようなので、その思いは呑み込んだ。
「じゃあ貼るね」そう言ってベルニージュはユカリの頬に本を読む孔雀の描かれた封印を貼る。
選ばれた使い魔は語る者だ。
てっきり貼った瞬間下手なことをさせないようにベルニージュは【命令】を下すのだろう、とユカリは予想していたが、そのようなことはなかった。
「このようなことをさせておいてなんですが」と思いのほか語る者は下手から切り出す。「貼らせていただいた時点で信用できます」
心の内でユカリは苦笑する。「まあ、でもせっかくですから何か質問してください」
「では、ことの本題、救済機構や焚書官とは結託していないですね?」
「義父と義母に誓って、決してそんなことはしていません。魔導書を集めることは私に与えられた使命であり、私の意思と責任の下に実行しています。その結果、魔導書を封印した際に使い魔たちの魂が消滅する可能性に関して、まだ結論は出ていませんが、誰かが悲しい思いをする事態は避けたいです」
語る者の魂がユカリの魂を観察するように沈黙し、そして口を開く。
「……ありがとうございます。では、これからいかがいたしましょう」
「もちろん私の使命は魔導書の収集です。そして今確実に在処が分かっている魔導書は、アンソルーペに強奪された者たちです」
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