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「私のお着物やドレスはいりません!だからっ、京介さんの襟巻きを買ってあげてください!」
月子は、岩崎の外套《コート》の襟を直した時、首元に何も巻かれてなかったことに気がついていた。もしや、岩崎は、襟巻きをもっていないのか?
しかし、次男とは言え男爵家の人間。それ相応の襟巻ぐらい用意しているはず。
庶民と同じようなものでは、やはり格というものに響いてきて、値段もそれなりのものになる。だから、京介は襟巻きをしていなかった?
月子は、ひょっとしたら、自分の為に用意してもらっている着物やドレス、装飾品が、男爵家の財政を圧迫しているのではないかと思った。
自分の為に、岩崎の襟巻きが買えない。そこは、絶対に避けたい所だ。
月子は、清子へめいいっぱい頭を下げた。
とたんに、周囲から笑い声が巻き起こる。
「まあ、まあ!月子様!頭を上げてくださいませ!吉田さん!どうしましょう」
含み笑いをしながら清子は、執事の吉田に場を収めることを任せた。
「月子様。ご安心を。仮にも男爵家です。京介様の襟巻きなど、なんともございません。ただ……」
吉田は、意味ありげに言葉を止めた。
「……あ、あの、な、何か……」
吉田の態度に、やはり何かがあるのだと、月子は小さくなった。
「あらあら!月子様ったら、誤解ですわよ!吉田さんも人が悪いわ。素直に、京介さんが襟巻きがお嫌いなだけと言えばいいものを」
清子の一言に、見送りに出てきていた女中達は更に大笑いした。
「ええ、そうでございます。首元がゴワゴワするからと、あのように襟を立てて……」
みっともないから、外套《コート》の襟を立てるのはやめて欲しいと、吉田も清子も、そして、その場の女中達も頷いている。
「……お嫌い……なのですか。襟巻き」
それを聞いて、月子は拍子抜けした。
とはいえ、岩崎は大きなくしゃみをしていたし、しょっちゅう、寒い、冷えるといっている。寒がりのようなのだが、それなら、なおのこと襟巻きを……。
「だったら、月子さんが、見立てたらどうかしら?!それなら、京介さんも従うと思うんだけど?」
いつの間にか、芳子が現れていた。
「お茶の用意をと思って呼びかけたのに、誰もやって来ないんですもの。笑い声が聞こえると思ったら、玄関で京介さんの襟巻きの話なんかしてるんですものねぇ」
少し拗ねた様子で芳子は言った。
皆は、慌てて持ち場へ戻ろうとする。
吉田も、お茶の用意をと足早に動くが、それを芳子が止めた。
「お茶は仕方ないから厨房に頼んだわ。それより!襟巻きよ!吉田!百貨店の外商担当を呼びなさい。京介さんの襟巻きをもってこさせるの!」
芳子がやけに張り切っている。
「奥様、それもですが、御婚礼のお支度がそろそろ仕上がっている頃では?」
吉田が、確認を取ろうかと芳子ヘ言った。
「……そう、そうだわね!うっかりしてたけど、京介さんも月子さんも、いい加減、祝言を挙げないと!一緒に暮らしてどのくらいになるのかしら?」
「あの、奥様?……仮祝言のままというのも、いかがなものでしょうねぇ。吉田さん?手配していたお支度、もう、できているんじゃないかしら?とにかく、急いだほうが……年の差もあることだし、お子様の事だって、急がないと!」
清子が躍起になって口を挟む。
「お子様?!そ、そうね!清子!二人は二十歳離れているんだから、急がないといけないわよね!そうよ何よりも、子供を急がないと!」
ほんと、ほんと、と、芳子も清子も口を揃えた。
「では、百貨店には、お子様の為のお支度の見本を持ってこさせましょうか?」
吉田が、何事もなく言ってくれる。
それを聞いた月子は、言葉が出なかった。どうして岩崎の襟巻から二人の子供の話になるのか?
しかも、産まれていないにも関わらず、支度するとまで話が飛んでしまっている。
いや、行きがかり上、岩崎と暮らしているが、言われてみれば、どこか不自然で、家族のようなそうでないような二人の関係を改めて考えさせられた。
そして……。仮祝言というのも、おかしなもので、さらに、正式に祝言を挙げるというのもややこしい話だ。
月子の頭の中では祝言という二文字が渦巻いた。
が、同時に芳子と清子の子供発言は月子の頬を自然赤らめるものだった。
岩崎と家族を作る。本来、そうあるべき関係なのに、未だ同居人の気持ちが抜けきれていないということに、改めて月子は気付かされた。
なによりも、結婚したら当たり前の事が、事のほか意外で、さらに、忘れていたに等しく、どう対処すればよいのかと、月子は真っ赤になりながら俯くしかなった。
そうこうするうち、皆、持ち場に戻り始める。
「では、奥様、そのように手配を。祝言のお支度も確認しておきましょう」
「ええ、お願いね。吉田。あっ、あと、新柄の反物も持ってこさせて」
少し弾けながら言う芳子へ、
「奥様、先月お仕立てしたばかりではないですか?」
清子が、また買うのかとばかりにチクリと嫌味を言う。
「あら!私じゃなくて月子さんよ!まあ、私も何か見ても良いけど……」
などと、芳子も負けじと言い訳した。
自分の名前が出てきたことで、月子は焦った。これ以上というより、また、着物を仕立てるのかと。
一体どれほど着物を仕立てたことやら。
「あっ、そんな、私ばもう十分ですので……」
辞退の言葉を言う月子に、清子が優しく声をかけた。
「なら、京介様の襟巻き用の生地を持ってきてもらつたらいかがでしょう?月子様は裁縫がお得意でしょ?月子様お手製なら京介様も襟巻きを利用してくださいますよ……」
「あら!清子!名案ね!今まで散々用意してきたのに一度も手を触れないの!いい大人が、外套《コート》の襟を立ててなんて、みっともないわよ。そうね、そうよ!清子いい所に目をつけたじゃない」
「では、お子様様用と、京介様用、それに、祝言のお支度と……そちらでよろしいですね?」
吉田が淡々と言いまとめた。芳子も大きく頷いている。
ひょんな流れから、岩崎の襟巻きを手作りする話になり、月子はますます混乱した。