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「——落ち着いた、かな?」
「…… おかげさまで、なんとか」
レアンが用意したハーブティーの入るカップを両手で包み込む様に持ち、スキアは真っ青な顔でカップの中の水面をじっと見つめている。今はもうレアンからの指摘を理解したので無闇矢鱈に否定はしていないが、まだ納得はしていない。そのせいか口元がへの字の状態だ。
初めての感情に戸惑いつつも、全ては『他者から求められて湧き出ている感情だ』と帰着した事で自分を保てていたのに、『違う』と指摘されてもそう簡単には受け入れられない。少しでも認めたらもう、二度と『彼女から離れよう』などとは思えなくなる事が目に見えている。彼女の過去を知り、それ故生じた『自分みたいな存在が傍に居るべきではない』という思いも捨てきれないし、どうしたって自分から、いつ監獄に豹変するかわからぬ場所に居座り続ける様な行為をする気にもなれず、スキアは綺麗な形をした唇をガリッと噛んだ。
「機会は今しかないかもよ?もうこのまま逃げて、憑依契約は反故にするかい?」
「…… するとしたら?その後、アンタはどうするんだ?」
「そうだなぁ、“あの子”は私の娘みたいなものだ。慰める為にすぐにでも傍に行ってあげたいから、出掛ける準備でもしようかな」
その答えを聞き、玩具を取り上げられそうになっている子供みたいにスキアがぶすっと不貞腐れるみたいな顔をする。親子以上に自分とそっくりな顔でそんな表情をされると、流石に声を出して笑いはしなかったが、レアンはおかしくってしょうがなかった。
「…… それにしても、名前では呼ばないんだな。さっきから“あの子”呼びじゃないか」
(君も、ね)
レアンはそう思いながらも口元に笑みを浮かべるだけに留めた。大きな子供がやっと落ち着いてきたのに、また拗ねると面倒そうだ。
「だってねぇ。再誕した“監獄の乙女”が今は何者となっているのかをハッキリ言葉にして言われるのは嫌なんじゃないかなと思ったんだけど…… 違ったかな?」
膝置きに頬杖をつき、レアンが優しく微笑む。年輪を刻んだ顔立ちで柔らかな視線を向けられると、慣れないせいかスキアはなんだか居心地が悪くなった。
「…… なぁ」
「ん?」
「今更な質問なんだが、その体はどうやって用意したんだ?アンタは今までに一度も、ヒトの姿になろうとなんてしてこなかっただろ」と不慣れな気遣いから目を逸らすみたいにスキアがあからさまに話題を変える。
「あぁ、確かにそうだったね。ただ偶然、これ以上の調べ物をするには限界があるなと感じていたタイミングで、家族を一度に全て失って自暴自棄になっていた魔法使いに出会ったから、『後を追って死ぬくらいならその体をくれないか?』と提案してみたんだ。その代わり本物の|“レアン”《彼》は今、私の中で覚めることのない幸せな夢を見たまま眠っているよ」と言い、レアンが自分の胸にそっと手を当てた。
「なるほどな」とスキアが頷く。
「それにしても、寿命のある生き物は体は扱いが大変だね。最初は気にならなかったけど、四十台、五十台にもなってくると、立ち上がるたびに体が固まって、ちょっとでも無理に動くと膝腰が痛いし、体力も落ちるから歩くのも面倒だ。耳は遠くなるし、徹夜なんかしたらすぐに肌が荒れるんだよ?いやんなるよ」
「…… へぇ」
心底どうでも良さそうな返事をスキアが返す。
「さっさと本体に戻ればいいんじゃね?」
「そうもいかないよ。貰った物は大事にしないとね。——あ。本体は今、誰も介入出来ない空間に隠してあるから八つ当たりに悪戯をしようとか考えちゃダメだぞ?」
「するか!」
スキアが大声で返すと、「ははっ」とレアンが声を出して笑った。昔みたいに、わざとそう言ったのだと察し、スキアはムッとした顔をしつつも、また少し気持ちを切り替えられたみたいだ。
ハーブティーを一口飲み込み、スキアが軽く息をつく。
頭ん中でどんな言い訳を並べようが、どう考えたって今までルスに対して抱いていた感情は全て自分のものであると認めざるおえず、今後の行動方針の見直しを考えねばならない。
あんな経験をして育った子だ、この先は幸せになるべきだろう。
対象者を不幸に落とす事を目的とした憑依契約を打ち消し、ルスからはもう離れてしまおうと決めた時に抱いた考えはまだスキアの胸の内にある。
となると——
「…… もう僕が選ぶべき道は、一つしかないか」
ボソッと小さく呟いたスキアの一言がレアンの耳にも届き、彼は安堵の笑みをそっと浮かべたが、レアンが膝置きに頬杖をついていたおかげでその笑みにスキアは気が付いていない。
スクッと椅子から立ち上がり、スキアが視線だけをレアンの方へやって、「もう帰る。知りたい事は知れたしな」と告げる。
するとレアンは「あぁ」と短く答え、「そうだ、お土産にコレをあげよう」と言って手のひらに収まる程度の小さな箱をぽんっとスキアの方へ投げた。
「なんだ?コレは」
開けぬまま受け取った箱の中身を確認する。中には小さな装飾品が二つ綺麗に並んでおり、特別な魔法がかけられていた。
「ソレはね、君の“義父”になった身として、少し前に用意していた物だよ。“あの子”には『パパからのプレゼントだよ♡』と伝えて欲しいな」
ハッキリ聞こえるくらいに大きな舌打ちをし、スキアが「ふ・ざ・け・る・な」と吐き捨てる。
「だけど私は“あの子”の父だろ?君が娘の夫なら、私は君の“義父”じゃないか」と揶揄うみたいな表情でレアンが言った。
「おい。“娘”の後に続くべき、『みたいな者』が外れているぞー」
「もういいじゃないか、長いし。それに今はこうやって人の肉体を持っているんだしね、『親子だ』『娘だ』と言い張ったって誰も疑わない。まぁ、“この体”と“あの子”の間に血縁関係は無いけど、彼女も私を“父親”みたいに思ってくれていると確信を得たし、もう解禁だ」
「根拠はなんだ?」とスキアが首を傾げる。
「簡単じゃないか。君だよ、君」
「…… 僕が?」
「だって、私と君はそっくりじゃないか。まぁ年齢はちょっと若くなっているけど、瓜二つのオッサンだ」
「オッサン言うな!まだ少し気にしてんだ!」
普段の作った低音ではなく、スキアが少年っぽい地声で叫んだせいで年配者の容姿には合わず、違和感が半端ない。
「ほら、『娘ってのは結婚相手に自分の父親に似た相手を選ぶ』って言うだろう?」
「僕は知らん、初耳だ」
顔を顰めるスキアをスルーし、レアンが話を続ける。
「私達が似ているって事は、私が“父親”を名乗ってももう問題無いって事だ。今まで散々会いに行くのを我慢してきたが、もうこれでこっちも解禁だな。いやー、そもそも異世界からの移住者計画は“あの子”を回収する為に始めたのだと知っているのは一部の上位魔法使いだけにしたからか、魔塔主である私が教育期間の終わった後でもまた“あの子”に会いに行こうとすると、『一人だけ優遇するのは目立つ』からと一部の魔法使い達が煩くってね。そのせいでずっと会いには行けないままだったんだ」
「…… ん?会いに『は』って。——待て。それって、監視はしていたって事だな⁉︎」
「当然だろう?やっと回収したのに、また消息を失う訳にはいかなかったしね」
「じゃあ、僕らが契約を結ぼうとしているタイミングで止めろよ!」
「その辺は二人の自由意志を尊重したんだ。それに常時見張っている訳じゃない。そもそも後日まとめて報告を受けるといった程度の監視体制だしね。それにしても、君の好きそうなモノを詰め込んで創った存在だったとはいえ、流石に私も、ここまで簡単にのめり込んでしまうとは思ってもいなかったよ」
「煩い!もう本当に帰るからな!」
「あぁ、そうだね。“あの子”を…… いや、ルスをよろしく頼むよ」
父性に溢れた柔らかな笑みを浮かべるレアンを一瞥し、スキアが足元の影の中にするんっと消えて行く。古い“友”であり、“娘婿”となったスキアとの再会を果たしたレアンの表情は満足気だ。仲直りの方が完了したかは微妙ではあるが、少なくとも昔みたいはやり取りが出来ただけ良しとしようと決め、そっと瞼を閉じて、今さっき終わってしまった楽しい時間をレアンは脳内で反芻し始めた。